11. 闇に潜むもの
「戻りました」
「おかえり。何かわかった?」
咲良は綾瀬中央署に戻り、真っ先に自らの考えを伝えるために紅音のもとに向かった。
「最近現場の公園で悪質な悪戯が起こっていたようです。突然誰かにぶつかられて転倒させられるものだそうで、付近のコンビニ店員から証言を得ました。昨夜その悪戯のせいで茂樹さんが転倒した可能性があるかもしれません。防犯カメラの映像を提供してもらいました」
「悪戯か。確かにあるかも」
ただ転倒しただけでも、不意に転んで後頭部を打ってしまって一生ものの後遺症に苦しむ人もこの世にいる。
紅音はひとつの可能性として咲良の推理を受け入れた。それに縛られてはいけないが、可能性のひとつとしては有力な情報だ。
紅音は新たにわかった情報を咲良に共有するよう、裕武に頼んだ。
「被害者の妻、聡子さんから連絡があった。スマホも財布も自宅に置いてあったそうだ。つまり、被害者は貴重品などを一切持たずに散歩に出ている」
スマホを持っていれば、救急に連絡することができたかもしれない。助けを求める人もおらず、ただ薄れる意識の中で身体が言うことを聞かないという状況は、どれだけ恐ろしかっただろう。
まるで確定した死を待つ拷問だ。
「あと、花壇の縁から微量だが血液が検出された。被害者のものではないらしい」
現場の公園には花壇があり、植物が育てられている。血痕が見つかったのは、茂樹が亡くなった場所から五メートルほどの位置にある花壇で、人の腰の高さほどの木が植えられていた。
その血痕が今回の件と関係があるかは、まだ定かではない。
「今はみんなで公園周辺の防犯カメラを総当たりしてるところだ」
「私もやります」
咲良は先輩刑事たちが肩を
早送りで映像を見るとはいえ、映像はカメラの数だけあり、そこそこ広い公園周辺は路上のものだけで五十に及ぶ。
さらに、夜であっても駅が近いこともあって通行人はそこそこいるし、犯行時刻がはっきりわからない。
早送りして、人が通る度に通常の再生速度に戻して、人物を確認しやすいところで一時停止をする。その作業を繰り返すと、すべて終えるには五人体制でも一日はかかりそうだ。
地道な努力がいずれ実を結ぶ。
そう信じて突き進むのが刑事の仕事だ。
映像と睨めっこを開始してから三時間が経過し、咲良は公園から去るふたりの男の姿を見付けた。夜に黒い服を着ているふたりは駆け足で公園を出て、路上を走って映像の外へと消えた。
他の捜査員は、ふたり組という条件に限らず映像を検証するが、怪しい人物は特におらず、自転車に乗った学生や仕事終わりのビジネスマンなど、駅が近いこともあって多種多様な人物が公園前を行き交う。
咲良が見た茂樹の記憶で、ふたりの男は焦った様子で走っていった。公園を出るときも走って去った可能性が高い。
その情報に根拠がないために、捜査の軸をふたり組の男と断定することはできないが、あまりにもリアルなその記憶は、咲良を信じて突き動かすだけの説得力があった。
咲良の勝負はここからだ。
コンビニのオーナーが提供してくれた防犯カメラの映像。それは店内の様子を映したものだが、悪戯を行っていた人物がコンビニを利用している可能性は否めない。
昨夜の映像を早送りで見ていくが、コンビニ店員の坂野が言った通り、彼はシフトに入っておらず、違う若い男性がレジに立っている。
早送りをしていても、コンビニを利用する客はほとんどが数分で退店するので、速度を早めすぎると人が入ってきたかもわからないまま映像が過ぎ去っていく。
それは路上の映像も同じで、むしろコンビニよりも通行人の映る時間が短いため、早送りをしつつも時間をかけて見ていく必要があった。
結局昨夜のコンビニの映像にふたり組の黒い服の男は映っていなかった。当てが外れたようだ。
咲良は椅子に掛けたまま凝り固まった肩を解して、両手を目一杯に伸ばして睡魔に襲われる脳に刺激を与えた。
「生きてるか?」
裕武が咲良のもとにやってきて、自動販売機で買ってきた缶コーヒーを差し出した。
先輩に飲み物を買ってこさせるなんて
「路上の映像からふたり組の男は見つけました。でも、コンビニの方には映っていませんでした。海渡くんみたいにうまくはいかないものですね」
「あれは才能だけじゃない。これまでの経験もあって、あいつは推理してる。一ヶ月やそこらで身に付くものじゃないさ」
「それはわかってるんですけど、私にも力があるから、できることはあるんじゃないかと思いまして」
「焦らなくていい。狙いが外れても、あり得た可能性がひとつ消えたなら、捜査が進展した証だろ?」
裕武の言葉には重みがあった。
刑事として先輩だから、という理由だけでなく、彼の人間性に魅力を感じさせる。そんな刑事だ。
「そうですね」
時計を見ると、時間はもう午後十時を回っていた。映像に集中していた結果、作業を開始してから六時間以上が経過した。
肩が凝るはずだ。
「ちょっと休め。肩を揉んでやれたらいいんだが、ハラスメントがうるさい時代だから、やめておく」
「そういえば、柴田さんは紅音さんより歳上ですよね?」
「年齢は上だが、警察歴は班長の方が長い。俺は大学を卒業して警察官になったが、班長は高卒で警察に入ったんだ」
裕武は三十八歳、紅音は三十五歳。大学の四年間を考えると、紅音が一年先輩ということになる。
「おふたりは付き合いが長いんですか?」
「ここに配属されてからは三年ほどか。まあ、それよりずっと前に会ってたんだけどな」
裕武は昔のことを思い出して、遠い目で一点を見つめた。その目には、何か憂いのような感情がある気がした。
「それはどういう?」
「いや、なんでもない。年齢なんて関係なく、班長は上司で、警察官としても先輩だから、俺は尊敬してる」
「んー? 何話してるの?」
紅音がふたりの会話を聞きつけて裕武の背後に現れた。きっと聞こえていたに違いないが、彼女はあえてもう一度聞き返そうとする。
「なんでもありません。一条と交流を深めてただけです」
「へー、咲良ちゃんみたいな女の子がタイプなの?」
「若い子はいいなと思いますが、仕事にそんな感情は持ち込みません」
冗談を言い合うふたりはまるでカップルのようだ。プライベートも本当は、などと無粋な想像を膨らませる咲良だったが、スマホに着信があったことに気付いた。
相手は大阪にいるはずの海渡だ。
「もしもし」
『お姉さん、公園の事件、捜査は進んでる?』
「どうして知ってるの?」
『こっちでもニュースになってるし。で、何か見た?』
咲良は海渡なら信じてくれるという安心からか、初めて経験した被害者の記憶を見たことを正直に答えた。
焦っている様子で逃走するふたりの男。そして、防犯カメラでそれらしきふたりを見付けたことも。
コンビニで得た悪戯の情報と、それが今回の事件と関係していると咲良が考えていることを伝えると、海渡は「確かに、可能性は高いね」と同意した。
『今回は俺が出るまでもなさそうだから、お姉さんに任せるよ』
海渡の言うようにそうなればいいのだが、あまり自信はない。
「海渡くん、大阪にいるんでしょ? 沖田時乃の件で。何かわかった?」
『それは戻ったら話すよ。まだ途中だから。それじゃ』
海渡は一方的に会話を終えて電話を切った。
彼が大阪に乗り込んだ理由は、高蔵浩輔の事件のためだけじゃないのかもしれない。
彼を突き動かす何かが、咲良の知らないところで進んでいる。そんな予感がした。
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