8. 因果応報
黒田大和は高蔵浩輔を殺害した犯人であると結論づけられ、被疑者死亡で事件は幕を下ろした。
黒田の部屋のベランダに大きなゴミ袋があり、その中に高蔵浩輔を殺害したときに使用された包丁と、黒田が犯行時に着用していた手袋が入っていた。鑑定で付着している血液が同一のものであるとの結果が出た。
捜査本部は事件解決で解散、峯山と雪平は警視庁へ戻った。彼らは世間体のために捜査をしていたのであって、殺人犯が判明すればそれでいい。
しかし、三鷹班にとってまだ事件は終わっていない。
黒田のスマホを調べると、自殺直前に非通知から着信があったことがわかった。その電話が彼に死の決断をさせた。
電話の相手は誰か。
海渡は紅音、裕武、咲良と共にある場所を訪ねた。外観は一軒家の民家のようだが、家事代行を派遣する会社が入っている。
紅音は扉を開けて事務所に顔を覗かせると、年配の女性がいた。
「綾瀬中央警察署の者ですが」
「警察の方? どうされたんですか?」
「こちらに沖田時乃さんいらっしゃいますよね?」
「沖田は退職しました。担当していた高蔵さんがあんなことになって、かなりショックを受けていたようです」
「連絡先はわかりますか?」
「ええ、わかりますよ」
女性はファイルが並んでいるラックからひとつの黒いリングファイルのものを取って、その中から目的の書類を見つけた。
紅音に渡されたのは沖田時乃が入社面接の際に提出した履歴書で、電話番号や住所が書かれている。それを裕武がメモを取って、女性にお礼を伝えて事務所を出た。
「やっぱり海渡の睨んだ通りだったな」
黒田のスマホに残っていた通話履歴の電話番号と時乃のそれが一致した。
「もうこの住所にはいないだろうね。電話番号も変えてるはず」
紅音がため息をついたところでスマホに着信があった。彼女は着信の相手を見ると怪訝な顔をして通話を開始した。
「三鷹です」
電話は峯山かららしいが、話している紅音の声に力が入る。何か起こったようだが、紅音は詳しい話をすることもなく「わかりました」とだけ言って、電話を切ってしまった。
「どうしたんです?」
紅音の様子の変化に気付いた裕武が訊ねた。
「沖田時乃が遺体で見つかった」
「沖田が死んだ? なら現場に・・・」
「場所は大阪。私たちの管轄じゃない」
「そうですか・・・」
なんともやり切れない思いが咲良の中に広がっていく。
今回の事件を計画したのは沖田時乃だ。
海渡は高蔵家であるものを見つけ、そこに事件の真相がすべて記されていた。
高蔵浩輔は二年ほど前から記憶障害で通院していた。沖田時乃が依頼を受けて家事代行として通い始めたのもその頃だった。
浩輔は障害のためにあらゆることをメモに取るようになった。居間に散らばっていた書類はすべて彼の手書きのメモで、ある日の出来事や、覚えておく必要のあることがたくさん書かれていた。
当然時乃はそのことを知っており、今回の件を計画した。
海渡が彼女を怪しんだのは現場で顔を合わせたときで、床下に浩輔の遺体があることはトレースですぐにわかったが、そのことをあえて咲良に発言させた。
床下に遺体があることを時乃が知っていれば、彼女の表情に変化が出る。海渡が指摘をしているときに遺体のある場所と反対にいる時乃を見て話すと不自然だから、咲良に発言させて時乃が動揺するかを確認した。
結果、彼女はわずかに眉を動かした。
そのとき、海渡は彼女がすべてを知っていることを悟ったのだが、実行犯が彼女じゃないので、計画した時乃ではなく、共犯者を先に逮捕して彼女を追い詰める策を取った。
その結果、黒田大和は自殺し、少なくとも海渡の選択が、間違っていたことが証明されてしまった。
高蔵浩輔は時乃の計画に気付いていた。そしてメモに残していたが、それを居間の引き出しに入れていては家事代行として掃除をする彼女に見つかる可能性が高い。
だから、彼は彼女に見つからない場所に隠した。海渡がそれを見つけるのに二日を要したので、隠し場所としては正解だった。
浩輔が時乃に戸締りを任せていることもメモに記載されていた。そして、引き出しの中に一千万円という大金を隠していることも。
本来なら計画に気付いた時点で現金を他の場所に移すべきだったが、彼はそれをしなかった。
浩輔が計画に気付いていることを彼女に知られてしまうと、計画を変更するかもしれない。
浩輔は、時乃の計画を知っていて、彼女に犯行を思い止まるように説得するつもりだったのだろう。それだけ彼女を信頼していた。記憶障害があると自覚しながら家のことを他人に任せることは、信頼がない相手では成り立たない。
裏口の鍵が施錠されていないことに浩輔が気付いた事件当日、普段なら寝ている時間に起きて時乃が忍び込むのを待っていた。
だが、そこに現れたのはまったく知らない男。
黒田大和は聞いていた通り、屋内に侵入し、現金を奪おうとした。そこで、浩輔と会ってしまった。
時乃であれば説得しようとしただろうが、相手はまったく知らない男だったので、浩輔は警察に通報しようとしたのかもしれない。
動揺した黒田は揉み合いの末に浩輔を殺害してしまった。刺されても掴みかかる浩輔に恐怖を抱いて、何度も刃物で刺した。
黒田はお金を盗むだけで、浩輔に危害を加えるつもりはなかったはずだが、計画通りに事は進まなかった。
それを時乃に電話で伝えると、彼女は遺体を隠すことと、メモを探すように指示をした。警察の疑いが自分に向かないように。そして、黒田ひとりの犯行であると見せかけるために、彼を自殺させた。
どう誘導したかはわからないが、黒田は殺人を犯して正常な精神状態ではなかった。追い詰めることは難しくない。黒田のスマホには事件があった日の夜に時乃との通話履歴が残っていた。
引き出しが畳に落ちていたのは目的のメモを発見するため、殺害後にすべて引き出したから。だから、畳に付いた血痕の上に引き出しや書類が落ちていた。
しかし、それは見つからなかった。
事件の夜の目撃証言で、黒田が鞄を持っていたことがわかっている。
その中に現金と殺害に使った凶器や脱いだ服が入っていたが、黒田の部屋から現金は見つかっていない。
すでに現金は沖田時乃の手に渡っていて、目的を達成した彼女は姿を消した。
この話を海渡が紅音たちに伝えたとき、彼女たちは驚きよりも怒りの方が大きいようだった。
第一発見者の時乃は、すべてを知った上で警察に通報し、黒田から現金を受け取った。実行犯の彼を犠牲にすることで自分は安全な場所に逃げた。
そして、何があったか大阪で遺体として発見された。それが事故なのか自殺なのか、それとも他殺なのかはわからない。
それを明らかにするのは大阪府警だ。
この件は警視庁の刑事であっても関わることができない。警視庁は東京都の本部であり、大阪府警本部の管轄に立ち入ることは許されないのだ。
「紅音さん、ごめんね」
綾瀬中央署に戻る捜査車両の中で後部座席に座る海渡が助手席の紅音に謝罪した。
「どうして海渡が謝るのよ」
「もっとうまくやれば、沖田時乃も黒田大和も死なずに済んだかもしれない。紅音さんの評価を下げたかも・・・」
「私の評価なんてどうでもいい。そもそも海渡がいなかったら、これほど評価してもらえなかったんだから。犯人が亡くなったのは残念だけど、海渡は何も悪くないわ」
「そうだ。背負いすぎるな。こんな言い方をすれば刑事失格かもしれないが、そもそもやつらは悪人だったんだ。報いを受けたんだよ」
時乃が
すべては時乃の狙い通り、黒田は罪をひとりで背負って自殺した。他の誰も、この結果を覆すことはできなかった。
どれだけ慰めの言葉をかけられても、海渡が窓の外を眺める目は虚だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます