CASE 3 逃避の代償
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沖田時乃が死亡した連絡を受けた二日後、綾瀬中央署管内のある公園で男性の遺体が発見された。
その公園は線路が走る高架沿いにあり、すぐ近くに駅がある。敷地は広く、花が綺麗に植えられた花壇が並び、散歩や子供の遊び場として親しまれていた。
早朝、公園で犬の散歩をしていた近隣の住民によって男性の遺体が発見され、警察に通報があった。
被害者の身元はまだわからず、通報者に話を聞くも会ったことがない人だと言う。
容姿から年齢は六十歳前後だと思われるが、身分を証明するものもスマートフォンも持っていなかった。ジャージを着ているため公園で散歩をしていたのだろう。
死因は後頭部を地面に打ち付けたことによる頭部外傷。急性硬膜下血腫になり、その場で意識を失って発見されることなく亡くなったものだろうと検死官は推測した。
男性は歩道で転倒して後頭部を地面に強打したが、それが事故か他殺かは判明しない。
手掛かりらしいものは何も発見されず、公園という性質上足跡を調べても不特定多数のものが見つかるだけだった。
「班長、身元の確認にご家族と思われる方がお越しになりました」
「そう、お通しして」
三鷹班の刑事が男性と同じ年代であろう女性を規制線の中に招き、ビニールシートで覆われた遺体の顔が見えるようにめくり上げた。
女性は悲鳴を上げて膝から地面に崩れ落ちたので、紅音が彼女の肩を支えた。反応からして、この女性の家族で間違いない。
話を聞こうにも女性が落ち着くまで時間がかかりそうだ。紅音は女性を班の刑事に任せて、しばらく捜査車両の中にいてもらうことにした。
「怪しいことは特にないですが、こんなに何もない場所で転んで頭を打つなんて突然病気になる以外考えにくいですよね」
「そうなのよね。もしかしたら、持病があったのかもしれない」
裕武が言うように、もしそうであれば、これは病死である。女性が落ち着いたら話を聞いて、男性に持病があったかを含めて確認する必要がある。
紅音が周囲を見渡すと、視界に咲良の姿が入った。彼女は別件で現場に来るのが遅れると事前に連絡が入っていた。
「お疲れ様です」
「お疲れ」
咲良は紅音と裕武に挨拶をして遺体の方に目を向けると、なぜか地面に横たわるビニールシートに覆われた遺体とは少し違う方向を見た。
紅音と裕武は咲良が何を見ているのかと同じ場所に視線を向けるが、そこには何もなかった。
それはいつも事件現場に現れたときの海渡と同じ行動に見えた。まるで他の人間には見えない何かを見ているような、そんな感覚だ。
「どうしたの? 何か気になる?」
「いえ、あの・・・」
咲良が話しにくそうにしていると、突然彼女の足から力が抜けたように身体が後ろに倒れそうになった。
素早く反応した裕武が咲良の背中に手を伸ばしてぎりぎりで身体を支えた。
「一条、大丈夫か?」
「ああ、すみません。大丈夫です」
「まだ捜査一課に来てから日も浅いし、慣れない環境だから疲れたのかもね。無理はしないで」
「少し外で休んでもいいんだぞ」
紅音と裕武に優しくしてもらえることはとても有難いが、今咲良がすべきことは休むことじゃない。
本当のことを話そう。ふたりなら、咲良の言葉を冗談で笑い飛ばすことはしないはずだ。
海渡のように、信じてくれるかもしれない。
「私、霊感があるんです。生まれた頃から持っていて」
「幽霊が見えるってこと?」
「はい。殺人現場とか、事故の現場に行くと必ず亡くなった方の幽霊が見えます」
「海渡のことがあるから、ありえないとは言えないな。あいつはその能力でこれまでいくつも事件を解決した。一条のそれが本物だとして、ここで何が見えた?」
やはり、ふたりは完全否定することなく話に耳を傾けてくれた。完全に信じたわけじゃなくても、否定から入られるとそれ以上何も言えなくなる。
「話ができるわけじゃないんです。何かを訴えられても、犯人を教えてくれることはないんですが、今回は今までと違って」
「今までと違う何かが見えたのね?」
今までがわからない紅音にとっては、違っていても関係ない。
咲良が先ほど足の力が抜けたとき、一人称の視点に切り替わった。真っ暗な公園で誰かに強く押されて後ろ向きに倒され、後頭部をぶつけた鈍い音が頭蓋骨の中で反響する。
仰向けに倒れて薄れゆく意識の中で、走って逃げるふたりのシルエット。花壇で何か回収したみたいだが、性別も年齢もわからず、それらは焦った様子で去っていった。
おそらくこれは亡くなった男性の記憶。これまで遺体のそばにいる幽霊を見ることは何度もあったが、被害者が殺害された瞬間の映像をその者の視点で見たことは一度もなかった。
これは、咲良に備わった新たな能力なのだろうか。
「これは事故じゃありません。被疑者は何者かに押されて転倒して、頭を打って亡くなったんです。犯人はふたり。逃げた方向は・・・あっちです」
咲良は一瞬見えた映像と現実世界の風景を重ねて、犯人が逃げた方向を指差すと、紅音と裕武がそちらに目を向けた。
「それが本当なら、強盗の可能性もありますね」
「ええ、財布やスマホを盗られた可能性があるわね」
「防犯カメラが設置されていたら、犯人の姿が映ってるかもしれません」
「咲良ちゃん、付近のカメラ当たってみてくれる? あと、周辺の聞き込みもお願い。私たちはこの男性の家族の方に話を聞いてみる」
捜査車両に乗っている女性は、深呼吸を繰り返して少しずつ平静を取り戻していた。そろそろ話が聞けるだろう。
「わかりました。そういえば、海渡くんは来てないんですか?」
「海渡は大阪に行ったわ」
「大阪? 沖田時乃の件でわざわざ?」
「そう、かなり罪悪感を持ってるみたいで。誤解されやすいけど、海渡はちゃんと使命を持って捜査してるのよ」
意外だった。
海渡は警察庁の捜査官であり、管轄に縛られることなく捜査する権限があるが、彼が捜査をするのは基本的に紅音のためだと思っていた。何か恩があるのか、詳しい話は聞いていないけれど、彼が自発的に動いている印象はなかった。
時乃が大阪で死亡した話を聞いたとき、確かに海渡は自分を責めていた。普段の彼は自由に動いて組織の枠に捉われずに行動しているが、それは彼自身の信念によって成り立っているのだ。
警察庁の影の捜査官、二永海渡は、咲良が考えていたより人間味のある刑事なのかもしれない。
咲良は被害者の男性が見た映像を思い出しながら、ふたりが公園を走って去った方向に歩みを進めた。
敷地を出ると道路があり、その向こうにはマンションやコインランドリーが並んでいる。
歩道沿いにある電柱を見てみると、防犯カメラが設置されていた。それは公園の入り口に向いていて、この角度なら逃走した人物が映っているはずだ。
咲良は綾瀬中央署の防犯カメラを管理している部署に連絡を取り、該当のカメラに記録された映像を用意してもらうように電話で依頼をした。
逃走した犯人は公園を出てどちらの方向に向かったかはわからない。まずはこのカメラの映像を見て逃走経路を割り出す作業が必要になる。あの男性の身元がわかったら、人間関係などを洗って周囲の人を調べる必要がある。
逃げたふたりの声はおそらく男のものだったが、それだけで断定はできないし、あのとき一瞬見えた映像が、本当にあったことなのかもわからない。
それでも、手掛かりがないなら一度信じて捜査をしてみる他ない。
海渡がいない今回の事件は、彼に頼ることなく解決しなければならない。
咲良は通行人に声をかけて聞き込みを開始した。
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