7. 捨て駒
高蔵浩輔の遺体が発見された三日後、海渡と峯山はファミレスにいた。峯山がブラックコーヒーをすすりながら、向かいの席でパフェを頬張る海渡を見る。
「そんな甘いもんばかりよく食えるな」
「そんな苦いもんばかりよく飲めるよね」
「もう少し大人の口になれよ」
「自分から望んで味覚を変えられる人なんてこの世にいないでしょ」
この三日間、峯山が海渡を綾瀬中央署から連れ出して捜査を行おうとしたのだが、結局海渡が主導権を握って捜査を行うことになった。
捜査本部で峯山は、連日聞き込みを行ったが有力な情報は出なかったと報告したものの、何もお咎めはなかった。
毎回峯山は必ず決め手になる情報を掴んでくる。そんな彼も空振りをすることはある、程度に思われているからだ。
雪平もまた、情報が掴めないときも叱責されることはない。理由は父親の存在だが、彼は親の七光を嫌っているので、そう思われないように必死で情報を集めて帰ってくる。だからこそ憎めない存在なのだが、残念なことに彼が優秀じゃないことはすでに周知されている。
海渡は峯山と担当するよう命じられた聞き込みエリアを完全に無視して、事件があった高蔵宅を隈なく捜索して、あるものを見つけた。
そして、峯山は海渡に言われた通りに聞き込みを行い、情報を集めた。海渡にはすでに事件の概要が見えており、あとは犯人を特定するだけだった。そして、ひとりの人物が容疑者として上がった。
彼が容疑者であることはまだ誰にも伝えていないし、捜査本部に報告もしていない。峯山は常に海渡を連れて捜査を行い、彼の手柄を自らのものにして本庁の今の地位についた。
それは横取りじゃなく海渡自身が手柄なんていらないと言うので、もらっているだけの話だ。
彼らの出会いは十五年前に遡り、海渡が警察庁の捜査官になったきっかけも峯山にある。
今日はこの後、容疑者の黒田に接触しようと計画しているので、今はその前の休憩タイムだ。
「犯人は黒田で間違いないのか?」
「さあね。まだ確証はない。目撃証言にあった大柄な男は、俺がトレースで見た人物像と一致してる。荒らされた居間、散らばった書類やメモ、高蔵浩輔が記憶障害だったことから導き出されるすべての条件に彼が当てはまるだけで、犯人だと決めつけることはできないよ」
「まあ、俺にはわからんが、犯人が逮捕できるならそれでいい」
「まったく、本庁にいるのにまったく頭を使わないんだね。そんなんでよく刑事ができるもんだ」
「うるせえ。俺も紅音ちゃんも、海渡のおかげで刑事ができてることは自覚してるよ」
そう、紅音が女性であるにもかかわらず班長になっていることや、峯山が刑事として特別優秀じゃないのに警視庁の捜査第一課に所属しているのは、海渡が関わることで事件を解決してきた実績があるからだ。
だから、峯山は捜査になると海渡を連れ出し、紅音は事件が起こると彼を呼ぶ。そして、本来なら彼らの思いのままに動かされることを嫌いそうな海渡であるが、彼らに黙って協力するのは過去の出来事があるから。
四日連続でパフェを奢った峯山だったが、事件を解決してくれるなら安いものだと中身が寂しくなった財布から現金を取り出してレジで会計を済ませた。
「それじゃ、黒田に会いに行くか」
「逃げたらよろしく」
「若いもんが走れよ」
「じゃあ、峯山さんはなんのためにいるのさ」
「手柄を上げるためだな」
いつもふたりでこんな冗談を言ってから容疑者に会いに行き、事件を解決してしまう。だから、課長は峯山が自由に動いていても何も言わない。
紅音と裕武が常に一緒に行動することを許されているのも峯山と同じ理由で、彼らは海渡と事件を共にすることが多い分、捜査の経験値が高い。あらゆる事件を早々に解決してしまう三鷹班は警視庁管内で有名だった。
特に紅音と裕武は所轄最高のペアとしてその名前を轟かせている。その裏にいつも海渡がいることはあまり知られていない。
黒田の住むマンションに到着したふたりは、エントランスに入った。エントランスといえど、オートロックなどなく、管理人もいない。
集合ポストが並ぶ床には投函されたチラシが散らかっており、住んでいないのか情報誌やチラシで溢れかえっているものも見受けられる。あまり治安がいい集合住宅とは呼べなさそうだ。
五階建てだというのにエレベーターがなく、黒田の部屋は最上階にある。峯山が階段を一歩ずつ上っていく後ろで海渡はため息をついた。
「なんだよ」
「別に。エレベーターすらない場所によく住めるなと思っただけ」
一度訪ねるだけでも面倒なのに、これを毎日繰り返すとなるとすぐにでも引越したくなる。その分家賃が安いのかもしれないが、これだと住人のモラルが欠如していることもなんとなく想像できる。
階段は汚くて落書きだらけ、酒を飲んだのか、ビールの空き缶や日本酒のガラス瓶、煙草の吸い殻が至るところにある。管理会社が清掃してもすぐにこの状態に戻ることは容易に想像できる。
最上階まで上がると、廊下を進んで一番奥の部屋が目的の部屋だ。賃貸住宅なので表札はなく、名字を掲示するための場所はあるが、どの部屋も空白のままだ。
都会では隣にどんな人が住んでいるのかすら知らないことが多い。これも、変な事件が多い反動かもしれない。誰も厄介ごとに巻き込まれたくないのだ。
扉の前まで着いたところで、峯山はインターホンを押した。しかし、音が鳴らず、故障しているようだ。
「壊れてんのか?」と愚痴をこぼした後、峯山は鉄製の扉をノックした。
「黒田さん、いらっしゃいますか? 警察の者です。少しお話できませんか?」
何度もノックをしてみるが、誰も出てくる気配はない。
「留守なのか?」
「いや、いると思うよ。嫌な予感がする」
どういう理屈かわからないが、海渡が嫌な予感がすると口にしたとき、必ず何かが起こる。それは彼の持つ能力のためか、何かしらの勘なのかは定かじゃない。
峯山はドアノブを回してみると、扉は抵抗なく開いた。
わずかに開いた扉の隙間から室内を覗き込むと、シャワーの音が聞こえる。
「シャワー中か?」
海渡は扉を開けて、土足のまま廊下を進んだ。
「おい、ガサ状もないのに勝手に入るな」
廊下から扉の開いた浴室を見た海渡の予感は的中した。浴室に入った海渡はシャワーを止めて浴槽に顔を入れた黒田の身体を水から出し、脈を確認する。
手首は剃刀で切ったのか、その血がシャワーに流されて排水溝に流れ、淡いピンク色になっていた。
廊下を駆けてきた峯山は黒田の姿を見て、すでに助からないことを悟ったらしい。
「くそ、応援呼ぶ」
峯山が捜査本部に連絡を取り、海渡はワンルームの部屋に足を踏み入れた。ほとんどものがない部屋で、布団がフローリング上直に敷かれ、ひとつの小さなテーブルがあるだけだった。
そのテーブルの上に紙が置いてあり、そこに『高蔵浩輔を殺害したのは私です。死んで償います』と書かれた遺書があった。
「自殺か?」
「うーん、ないんだよね」
「何が?」
「なんか変な感じだな」
海渡は何かを探すようにクローゼットを覗いて何かを探しているようだが、室内にものはほとんどない。クローゼットの中もハンガーに掛けられた服が数着あるだけで、それ以外のものは何もない。まさに断捨離だ。
「高蔵浩輔を殺害したのは黒田で間違いないけど、彼は利用されただけだ。死ぬ前に逮捕できればよかったのに」
海渡はそこからは見えない浴室にいる黒田の方を見て、目を閉じた。
「あんまり自分を責めるなよ」
峯山は海渡の肩を叩いたが、それが慰めにならないことを知っている。
あの日から、海渡はずっと自分を責め続けた。生きていることを悔やみ続けた。
海渡は室内の何かを目で追っていた。
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