3. 罪を隠す死

 「ちょっと待ってよ」



 綾瀬中央署を出て警察署前交差点で横断歩道を渡る海渡に声をかけて咲良は彼に追いついた。


 彼はちらっと咲良の方を見たが、歩くペースを変えずに反対側の歩道へと進む。横断歩道を渡り終えたところで歩行者用の信号は点滅を開始し、赤に変わった。



 「どこ行くの?」


 「付いてくればわかる。いちいち質問しないでよ」



 わかったわよ。もう何も聞かない。


 黙って彼の後を追い続け、到着したのは賃貸の仲介業者だった。事件が起こったのが賃貸アパートなので、物件について調べるつもりだろうか。


 自動ドアの前で、海渡は「ここからはお姉さんの仕事だ」と言って咲良に先に入るように手で促した。


 仕方なく彼女は先にドアを通って店内に入るが、何を調べるために来たのかを聞かされていないため、どうしたらいいかわからない。


 カウンターにいるスーツ姿の若い男性店員が「いらっしゃいませ。どうぞ」と案内してくれたので、とりあえずブースまで移動する。



 「本日はどういった物件をお探しでしょうか?」



 丁寧に接客をしてくれているところ申し訳ないが、咲良は警察手帳を示した。



 「すみません、私たち客じゃないんです。綾瀬中央署の一条と言います。少しお話よろしいでしょうか?」



 店員の男性は警察手帳を見て驚いたが、すぐに表情を切り替えて対応を了承した。


 カウンターはそれぞれふたり掛けになっていて、椅子がふたつ並んでいる。咲良がひとつに座ったが、海渡は立ったまま彼女の背後にいた。



 「昨日の件ですか?」


 「はい、そうです」



 管理物件で起こった事件や自殺の情報はすぐに会社に報告されるようになっている。


 自然死や不慮の事故以外で死亡者が出た物件は事故物件として扱われ、その情報は賃貸情報に載せなければならない。また、そういった物件は家賃が格安になることが多く、不動産としての価値は下がってしまうのだ。


 担当の男性はラックから青いフォルダを持ってきた。ふたつのリングで書類が束ねられたその中には、様々な物件の情報が保管されている。


 男性は準備を終えて席につくと、咲良がどの情報をほしがっているのか、次の言葉を待った。


 しかし、海渡が何を求めてここに来たのかを知らされていない咲良は、男性の期待に応えることができず、海渡の顔を振り返る。



 「あの物件で、最近入居した人はいる?」



 咲良が困っていると、ようやく海渡は口を開いた。カウンターの向こうの男性は突然喋った海渡に視線を向け、アパートの契約者の情報を調べた。



 「最近がどの程度の期間かによりますけど、もっとも契約が新しいのは二〇二号室ですね。契約は二週間前、入居は先週です。それ以外の契約は少なくとも六ヶ月以上前です」



 二〇二号室は自殺した白山未来が住んでいた隣の部屋だ。紅音と裕武が聞き込みをしたときに、隣の住人は入居して間もないと話していた。



 「白山未来さんはいつ入居したの?」


 「二〇一号室もまだ最近ですね。二ヶ月ほど前です」


 「二〇二号室の契約を担当した人はいる? 話が訊きたいんだけど」



 男性は奥の事務所にいる従業員に声をかけて、誰が担当だったかを確認すると、女性が表に出てきた。


 その女性はベテランの雰囲気を感じさせた。フレッシュな男性と違い、落ち着きがあって、刑事を前にしても物怖じしない強さがある。



 「二〇二号室の笹川ささがわさんは私が内見から契約まで担当しました。あの物件を本当に気に入ってくれたみたいで、内見に行って即決だったんですけど・・・」



 女性は何か言いたそうだが、次の言葉を発していいものか悩んでいるようだ。それでも、目の前にいるのは刑事だ。心を決めたのか、顔を上げた。



 「来店してすぐにあのアパートが気になってると言われて、物件が新しいものではないので家賃は安め、立地もそんなによくないんです。だから、あそこがいいというお客様は少ないので他にも提案しようとしたのですが、聞く耳持たずといった感じで。とにかくあのアパートの二階のあの部屋がいいと。内見に行ったらすぐに気に入ったと仰っていたのですが、何がよくて気に入られたのか、正直不思議に思っていたんです」



 そういうことか。


 ここでようやく咲良も海渡がここに来た目的に気付いた。現場の隣の部屋に住む笹川をストーカーだと疑っているのだ。


 だが、どうしてそれがわかったのだろう。ここに来て笹川についての情報を得てようやく疑いを持つのならわかるが、海渡には笹川に疑いを向ける他の要因があったということだろうか。



 「で、隣が事故物件になったから退去したいと連絡があったとか?」


 「ええ、そうなんです。今朝退去の申し出がありました。気に入っていたとはいえ事情を考えると仕方がないでしょうね」


 「よくわかった。ありがとう」



 海渡が情報を得られたことに満足すると足早に店舗を出ようとするので、咲良も「ご協力感謝します」と頭を下げて店を出た。


 咲良が外に出ると、海渡は誰かに電話をかけた。相手は紅音のようだが、彼はこれから笹川を訪ねると言う。もしものときのために、周辺に刑事を配置してほしいと依頼したのだ。



 「笹川がストーカーで間違いないの?」


 「どうしてストーカーは白山未来の部屋に入れたんだろうね」



 海渡の質問の意味がよくわからず、咲良は考えてみた。


 普段から誰かに見られていると恐れていた女性ならば、部屋にいるときは施錠しているはず。であれば、インターホンを押して普通に来客として訪ねるしかなく、ピッキングなど素人がそうそうできることではない。


 もし、見ず知らずの人が訪ねてきて、警戒心を持っている彼女が扉を開けるだろうか。



 「そうか。隣に引越してきたから挨拶に来たと言えば、対応するかも」


 「誰かに見られている気がする、と言っている状況じゃストーカーの顔は知らないはずだ。販売営業や宗教の勧誘なんかじゃ玄関に出るまでもなく断るでしょ? それに、笹川は首に絆創膏を貼っていた」


 「え、笹川に会ったの?」


 「昨日聞き込みをしていたときに見たでしょ」


 「見たけど・・・あんなに遠くから見えたの?」



 規制線の外、かなり離れた場所から紅音と裕武が聞き込みをしていた姿は見たが、あれだけ遠くから首の絆創膏が見えるものだろうか。少なくとも咲良の目には彼の顔すら認識できなかった。



 「あれが白山未来に引っかかれたときの傷なら、辻褄が合う。ここまでは状況証拠だけ。でも、これだけ揃うことも珍しい。確証はないけど、今会っておかないと部屋を出ちゃうかもしれない」


 「もしかして、私が見た未来さんの霊が壁を見てたのって・・・」


 「隣の部屋だと思う。二ヶ月前に引越したのも笹川に住所を特定されていたからじゃないかな。そして、逃げた先でストーカーに襲われて、しかも相手は隣の部屋の住人だった」



 未来の気持ちを想像するだけで鳥肌が立った。


 視聴者を怖がらせるために作られたホラー映画にありそうな展開だが、それが未来の身に現実のものとなって起こった。


 冷静な判断ができず、衝動的に命を絶ってしまってもおかしくない。



 「でも、決定的な証拠がないのに逮捕できるの?」


 「物的証拠がないなら吐かせればいい。やつにとっては、ある意味で白山未来が自殺をしたのは好都合だったんだ。自分が犯した罪が隠蔽できるわけだから。絶対に逃さない」



 海渡は悪巧みををしているような、恐ろしい笑顔を見せた。それは、咲良に悪寒を感じさせるほどに邪悪なものだった。


 だが、このまま罪を犯した人間が野放しになることは刑事として阻止しなければならない。


 直接殺したわけじゃなくても、精神を追い詰めて人を死に追いやった責任は取らせるべきだ。


 咲良は両頬を叩いて海渡と共に歩き出した。

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