2. 最後の抵抗

 「私、霊感があるの」


 「お姉さん、幽霊が見えるタイプの人なんだ」


 「こんなこと言っても、変な人だとしか思われないけど」


 「そうだろうね。俺もそんな感じだからよくわかるよ」



 自殺があったアパートを離れて歩く海渡と咲良は、彼ら自身にしか見えないについて語り合った。


 こんな話をしてもすぐに信じてくれる人はいないが、海渡は表情を変えずに咲良の話に耳を傾ける。



 「海渡くんも霊感があるの?」


 「いや、幽霊の類は生まれてから見たことない。お姉さん、あの部屋で何を見たの?」


 「白山未来さんの幽霊。遺体のそばに立って、壁を睨みつけてた。でも、壁には何もなかったし、どうしてそんなに憎しみを持った目で見ていたのか、わからない」



 「壁ね」と海渡は考え事を始めた。何か引っかかっているのか、彼は無言で歩き続けるので、咲良は邪魔をしないように黙って彼の少し後ろを歩く。



 「それって、どっちの壁?」


 「廊下から見て左」



 未来の部屋は二階の角部屋で、左側には隣の部屋がある。先ほど紅音と裕武が聞き込みをしていた部屋だ。


 それより驚くのは、彼が一切の疑いを持たずに咲良の言葉を信じていることだ。今までこんな話をすぐに信じる人間はいなかった。それは、彼自身も他人に共感されない何かを見ているからだろうか。



 「あの、海渡くんは何が見えるの?」


 「場所の記憶」


 「場所の記憶?」


 「トレース能力って呼ばれてるけど、その場所で何が起こったのかが見える力らしい。脳が現場の状況を分析して勝手に映像を作るみたいなんだけど、科学では解明されていない謎の能力なんだよ。かなり体力を使うみたいで、甘いものが欠かせないのが面倒なところかな。あんまり食べると太るし」



 そう言った彼の体型は細身で、正直もっと肉があってもいいとさえ思える。彼は女性が羨む食べても太らない体質なのかもしれない。


 あのアパートの部屋で彼の目が何もない場所を追って動いていたのは、自殺した未来と何者かが争っていた光景を見たもの。


 しかし、トレースは何が起こったかは見えても、誰がやったかはわからない。そこにいない人を見通すことができるなら、それはもう超能力の域だ。



 「それで、これからどうするの?」


 「聞き込みは紅音さんに任せてあるから、後から情報はもらうとして、俺はファミレスに行く」



 ファミレスに行く?


 疑問に思った咲良だったが、追及はしなかった。彼は刑事として先輩であり、他の人には見えないものが見えている。


 きっとファミレスに行くことも何か理由がある。それならば、私は黙って付いて行こう。これものちに活きる経験となるはずだ。


 と、決意した咲良の心は砕かれた。


 近所のファミレスに入った海渡は客としてテーブルにつき、店員を呼ぶとパフェを注文した。さすがに何も頼まないわけにはいかず、咲良はドリンクバーを注文してコーヒーを飲むことにした。



 「そんな苦いものよく飲めるね」



 ブラックのままホットコーヒーを飲む咲良を見ながらパフェを頬張る海渡は、まだ中学生くらいの子供に見える。


 彼は二十代半ばほどに見えるが、顔つきが幼くて学生服を着ていると高校生でも疑われないほど若い。刑事とは思えないような服装をしていて、班長の紅音に対しても咲良と同じようにフランクに話していた。



 「捜査するんじゃないの?」


 「ちょっとは頭使ってよ。能力を使ったら糖分を摂取しないと駄目なの。捜査するにしても、近隣の聞き込みが終わってからじゃないと何もできないでしょ。急がなくても自殺に犯人はいないよ」



 少しは自分で考えろと言われたのだが、会って間もない人のことを理解するなど咲良にはできないし、事件に慣れれば人が死んでも呑気にいられるのだろうか。


 できることなら、人の死になど慣れたいと思わない。



 「あの場所で何かがあったんでしょ? だったら、自殺に見せかけて殺害された可能性もあるんじゃ」


 「馬鹿なの? あの現場を見て殺人だなんて刑事としてこれからやっていける?」



 刑事としては新人の咲良だが、交番勤務の経験は長い。本格的な捜査は経験がないものの、現場に急行して事件に遭遇したことはこれまで何度もあった。


 海渡の言い方は経験を無意味だと言われているようで癪に触るが、現場では他の刑事たちも自殺だろうと考えていた。


 刑事は足で稼ぐと言われるように、動き回って聞き込みをして情報を集めて、そこから地道な捜査が始まる。聞いた話では、数日で革靴を駄目にするほど歩く刑事もいるらしい。


 今回は鑑識が調べても自殺だと断定される可能性が極めて高いため、本格的な捜査はされないだろう。


 未来を自殺に至らしめた要因はなんだったのか。少なくともそれは明らかにしてあげたい。



 「食べ終わったら署に行って、紅音さんたちが聞き込みで得た情報を集める。それからどうするか考える」


 「わかった」



 幸せそうにバニラアイスをスプーンですくう彼は、先ほどまで自殺があった現場にいた人物だとは思えなかった。


 糖分補給を終えた海渡は満足すると咲良のドリンクバー代もまとめて支払った。礼を伝えると、心のこもっていない声で配属祝いだと言った。


 彼は言った通り、綾瀬中央署に向かうと捜査第一課の部屋へと直行し、現場から戻っていた紅音を捕まえた。



 「何か情報あった?」


 「特に何も。アパートは八部屋のうち、二部屋が空室。隣の部屋の住人は変わったことは何もなかったって言ってたし、真下の部屋は空室だった。そもそも集合住宅なんて隣にどんな人が住んでるかも知らないことがほとんどでしょ。隣の住人は引っ越してきて間もないって言ってたけど、早々に隣室が事故物件になったのは気の毒よね」



 紅音と海斗が話していると、部屋に入ってきた裕武が口を挟んだ。



 「近隣にも話を聞いてみたが、不審な人物がいたなんてこともなかった。気になったと言えば、白山未来が最近誰かに見られてる気がすると言っていたことくらいか。第一発見者の友人が何度か相談されていたらしい。警察に相談も考えたそうだが、実害がないうちは動けないだろうしな」



 白山未来はストーカー被害に遭っていた。だが、誰かに見られている気がするだけで警察が本腰を入れて動くとは思えない。



 「他に何か情報は?」


 「爪から血液と皮膚片が見つかったから、鑑定してる。あとは腕に掴まれた跡があったけど、それはあなたなら気付いているでしょ?」


 「ああ、そのDNAがデータベースと一致すればいいんだけど、おそらくそうもいかないだろうし、手掛かりはないかな」


 「自殺は自殺なんだろうが、爪の皮膚片と腕の痣は気になるところだな。海渡もそれが引っかかってるんだろ?」


 「あの部屋で別の事件が起きてるんだよ」


 「別の事件? なんだそりゃ」



 裕武が両目を細めて海渡を見ると、海渡はため息をついて近くにある椅子に座る。



 「あの部屋に何者かが侵入して白山未来を襲った。だけど、彼女は爪で引っ掻いて返り討ちにした。そして、首を吊った。警察に通報せず、友人にも連絡せず、ひとりで命を絶つほどに耐え難い何かがあったんだ。だから、彼女は憎しみを持ってあの部屋に立ってる。壁を見てるのは、そういうことなのかな?」



 海渡の独り言に紅音と裕武はお互いの顔を見合って首を傾げた。


 すると海渡は何かを思いついたのか、勢いよく立ち上がって駆け足で部屋を飛び出していった。


 咲良はどうすべきか紅音を見ると、紅音が頷く。彼を見失ってはいけない。咲良は捜査一課を出て廊下を走った。

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