4. チート

 アパートに到着した海渡と咲良は階段を上がって二階へと向かう。すでに現場には紅音や裕武を含めた三鷹班の刑事が集合していた。


 紅音と裕武は階段下から様子を伺い、他の面子は部屋のベランダから飛び降りることを想定して裏側で待機する。


 海渡はこれから犯人の可能性が高い人物と接触するというのに、妙に落ち着いた様子だった。これまでの経験から来る余裕なのか。


 本来なら刑事として新人の咲良が犯人の前に現れるべきじゃないのかもしれないが、海渡と一緒に乗り掛かった船を途中で降りることはしたくなかった。班長である紅音も何も言わずに送り出してくれた。


 今後の成長に繋がればと思っているのだろう。


 海渡は部屋の前に到着すると、咲良を見てインターホンを鳴らした。すぐにスピーカーから笹川の返事があった。



 「何度もすみません。綾瀬中央署のものですが、少しお話よろしいでしょうか?」



 相手を警戒させないように女性の咲良が話しかけた。突然海渡が「ちょっといい?」なんて訊くと、不審に思われるかもしれない。



 「今朝すべてお話ししましたけど、まだ何か?」


 「はい、確認したいことがありまして。少しの時間で済みますので、玄関先まで来ていただけませんか?」


 「わかりました」



 腑に落ちていないようだが、笹川は渋々了承してインターホンの通話を終了した。


 扉を開けた笹川拓也たくやの首には海渡が言ったように絆創膏が貼られていて、廊下の奥に見える室内はダンボールが並んでいた。すでに引越しの準備を進めているらしい。


 笹川はどこにでもいそうな若者で、特に雰囲気からは何も感じない。


 こいつが未来を襲ったせいで自殺に追い込んだなら、許すことはできない。その怒りが顔に出ないように咲良は拳を握って感情を抑えた。



 「なんでしょうか?」


 「隣の白山未来さんの件で、殺人の可能性が出てきた」


 「殺人? 自殺じゃないんですか?」



 海渡は何かを狙って発言しているはずだ。ここは下手に反応して笹川に手の内を知られないようにしなければ。



 「あることから、何者かが部屋で暴行して自殺に見せかけて殺害したのではないかと。それで捜査を」



 わかりやすく笹川は片目を痙攣ひきつらせた。



 「そうですか。それで、僕に何を訊きたんでしょう?」


 「隣の部屋に入ったことは?」


 「ありません」


 「最近引越してきたみたいだけど、挨拶には行った?」


 「あー、ええ、それは行きました」


 「ちなみに、その絆創膏、どこで怪我を?」



 海渡はわざとらしく笹川の首を指差して訊ねた。笹川は墓穴を掘らないように必死に思考を巡らせているのか、目線が定まらない。



 「これは、ちょっと切ったんですよ」


 「どうやって?」


 「猫に引っ掻かれて」


 「このアパートはペット禁止のはず。どこの猫?」


 「えーっと、野良猫です。公園で餌をあげてたら急に怒って」



 なんとか言い逃れしようとすると、話はどんどんおかしな方向に進んでいく。そして、いつか嘘は矛盾を生じるものだ。



 「あ、指紋とらせてもらっていい?」



 海渡はそう言うと、咲良に名刺を出すように指示した。名刺に触れてもらうだけで指紋は検出できる。


 普通ならわざわざ指紋をとらせてほしいなどと伝えることなく、あらかじめ印刷不良に見せかせて細工した名刺を差し出して相手に触らせてから、不良を指摘して別の名刺に変える。


 ここで海渡があえて指紋という言葉を口にしたのも、相手の反応を見るためだ。


 咲良は胸ポケットから出した名刺を笹川に差し出すが、彼は一向に触れようとしない。



 「どうされました? 皆さんから指紋をいただいているので、ご協力をお願いできませんか?」



 追い討ちをかけるように咲良が名刺をさらに笹川に近付けた。冷や汗をかいて生唾を飲む笹川は、突然扉を閉めて廊下を走って逃げ出した。


 海渡は閉まった扉を見てため息をついただけで、室内の笹川を追うことはしなかった。


 代わりに、アパートの裏側で待機している刑事たちから容疑者を確保した合図が聞こえて、海渡はゆっくりと外廊下を歩いて階段を降りていった。


 階段の下で紅音が「お疲れ」と海渡を労うと、彼は頷いてひとりアパートを去ってしまった。



 「咲良ちゃん、行こうか」


 「え、海渡くんは?」


 「いいのよ。彼は私の班の人間じゃないから」


 「違うんですか?」



 紅音は微笑んでアパートの裏側に歩き出し、咲良がその後を追う。


 いろいろと疑問が頭の中を飛び交っているが、今は容疑者を署へと連行するのが先だ。


 二階のベランダから飛び降りた笹川は足を挫いたが、そんなものは未来の命に比べれば安すぎる代償だ。


 咲良は視線を感じて二〇一号室を見上げると、ベランダに立つ未来の姿があった。最後に自分を苦しめた男が逮捕されたことを確認した彼女は、ゆっくりと空の水色に溶けていった。


 これで彼女の気持ちがすべて救われたわけではないけれど、せめて安らかに眠ってくれることを祈る。



 「どうしたの?」


 「いえ、なんでもありません」



 咲良は紅音と裕武と共に捜査車両に乗り込んで綾瀬中央署に戻った。


 その後、観念した笹川は白山未来へのストーカー行為、また彼女に暴行しようとしたことを認めた。


 取り調べで彼は「部屋に指紋を残していたとは思わなかった」と言ったそうだが、未来の部屋から指紋は検出されていないことを伝えると、抜け殻のように崩れ落ちたらしい。


 すべては海渡の策略で、笹川は掌の上で踊らされた。


 笹川は「」という言葉を聞いて身構えた。そして、指紋をとらせてほしいと言われたことで、彼の指紋が部屋から見つかったのだと勝手に思い込んだ。


 その前に部屋に入ったことはないと断言していたことで、矛盾が生じることになる。


 だから、彼は嘘で逃げ切ることはできないと考えて、物理的に逃げようとした。


 残念ながら、そんな考えは海渡によって読まれていた。ベランダから飛び降りて足を挫くという怪我を負って、動けなくなったところを捕らえられた。


 それでも、彼は未来を殺害しておらず、彼女は自殺したことに変わりない。


 人ひとりの命を奪うほどの行為をしておいて、笹川は傷害罪で送検されることになる。


 それを考えると、やるせない気持ちになった咲良だったが、裕武に「やったことに対する罪は認めさせたんだ。よくやったよ」と慰められた。


 綾瀬中央署の捜査第一課に戻った三鷹班の面々は、事件をひとつ解決したことで白山未来に献杯を上げることにした。


 新人の咲良が缶ビールを買いにいく役割を拝命したが、紅音も一緒に行くとふたりで綾瀬署を出た。


 最寄りのコンビニまで歩く間、咲良は解決できていない疑問を班長にぶつけることにした。



 「海渡くんは何者なんですか?」


 「彼は警察庁の人間なの。『影の捜査官』って呼ばれてる」



 説明を聞いてもわからなかった咲良は首を傾げた。警察庁は各都道府県の警察本部を管轄しているため、実際現場に出て捜査をすることはない。



 「彼の能力のことは聞いた?」


 「はい。トレースでしたっけ?」


 「そう。現場を見るだけで何が起こったのかが見える能力。刑事としてはチートみたいなものよね。羨ましいわ」


 「でも、能力だけじゃなくて、推理もすごいです。私じゃあんなこと思い付きませんでした」


 「そうなのよね。能力に加えて、捜査官としても優秀なのよ。彼のおかげで私はここまで来れたみたいなものだから」


 「それはどういう?」



 話の途中でふたりはコンビニの前に着いた。



 「話の続きは今度ね。お酒買って早く戻りましょ」



 ひとつ謎が解けたら、別の謎が増える。


 警察庁所属の影の捜査官。二永海渡とは、何者なのだろう。

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