渡り傘

月井 忠

雨の日

 今日は朝からずっと雨だった。


 思い出の公園が見えた。

 自然に足が止まる。


 僕は右手で自分の傘を差している。


 左手には、もう一本ビニール傘を持っていた。

 ビニール傘はたたまれたていて、柄にはマジックでハートマークが描かれている。


 この傘は彼女のものだ。

 僕は彼女の傘を盗んできた。


 彼女は幼なじみで、僕は彼女のことが好きだった。


 今頃、彼女はアイツと相合い傘をしているのかもしれない。




 五時間目が終わって帰ろうとしたら、彼女に呼び止められた。


「私の傘を盗んでおいて」


 僕はわけが分からなくて聞き返した。


 彼女はアイツと一緒に帰る予定だからと答えた。

 アイツとは女子から人気のいけ好かない男子だ。


 おそらくアイツも、彼女の傘にハートマークが描かれていることを知っている。


 彼女は傘を盗まれたと言って、アイツと相合い傘で帰るつもりなんだ。

 学校の傘立てに、ハートマークが描かれた傘があると辻褄が合わない。


 だから事前に傘を盗んでおけということだろう。


 盗んだ傘は捨ててもいいよと彼女は言っていた。


 左手に持った傘の柄にはハートマークが描かれている。


 彼女はすっかり忘れてしまったようだ。


 この傘は僕が上げたものだった。




 彼女はずぶ濡れになって公園で泣いていた。

 僕はその時、右手で自分の傘を差し、左手にもう一本傘を持っていた。


 お父さんが駅にいるから持っていってと、お母さんに渡されたビニール傘だった。

 僕は左手のビニール傘を差し出して、上げると彼女に言った。


 彼女はありがとうと言って笑った。


 それが彼女との出会いだった。




 とある雨の日、彼女は僕が上げた傘を持っていた。


 ほら見てと、柄に描かれたハートマークを見せた。


「お母さんが自分の印をつけなさいって言うから描いたんだ。カワイイでしょ?」


 僕は笑って応えた。




 彼女と出会った公園は雨に沈んでいる。


 見ると左手のビニール傘の柄には、まだフィルムが張られたままだった。

 爪で引っ掻いてフィルムを剥がす。


 フィルムに描かれたハートマークも一緒に剥がれた。


 これで完全に彼女のものではなくなった。


 僕はビニール傘をコンビニの傘立てに置いた。

 捨てるようで気が引けたけど、誰かが使ってくれるかもしれない。


 この傘は僕にも彼女にも必要とされなくなってしまった。


 でも、他の誰かが必要としてくれるかもしれない。

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渡り傘 月井 忠 @TKTDS

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