森保一という男について

あきかん

森保一という男

 ドイツ戦の後半を見て実家のような安心感があった。アレはミシャ式だった。画面に映る森保監督は、風間フロンターレを完膚なきまでに虐殺していたあの森保監督だった。


 あれは森保監督が広島を率いていた頃。私は川崎フロンターレのファンだった。

 止めて蹴る。視線を合わせて背中を取る。悪夢のような風間時代に何度も聞かされた合言葉。それが結実したと思った三年目。森保監督の広島に川崎は手も足もでなかった。

 昨晩のドイツ戦とはまったく違う。引き込まれてからのカウンター。それは風間就任から嫌というほど見た光景だった。

 攻撃の事しか考えていなかったような風間フロンターレは相手陣内にGK以外の全選手が密集しているかのようなサッカーだった。両サイドバックも当たり前のように同時に攻撃参加するそれは、同時に広大なスペースが空いていることは誰の目にも明らかだった。風間監督曰く、ボールを取られなければ問題ない。それはそうだが絶対に違うという無謀な戦術を長年積み上げた風間三年目の川崎は遂にその理想に近づいていた。

 当時の川崎対策は誰の目にも明らかだった。前線からのハイプレス。要はボールが持てない守備陣を潰す。これは谷口がCB化することで解決する。元々中盤で名を上げていた谷口は足下は下手な中盤より上手かった。相方との連携を深める事で、並のプレスなら2CBだけで打壊できるだけの力を身に着けていた。

 もう一つは引き込んでからのカウンター。サッカーの攻撃は難しい。半歩ボールがズレただけで失敗する。攻撃編重との形容すらまだ甘い、守備を捨てていた当初の風間フロンターレはカウンターを喰らいまくって負け続けた。当たり前だ。しかし、懲りずに続けた結果、フロンターレのパスの精度とスピードは国内リーグにおいて他チームの追随を許さない領域へと引き上げた。ボール1個分空いていればスペースがある、という正気を疑う概念が現実のものとなったのだ。調子が悪く無ければだが。

 引き込んでのカウンターすら破壊して押し潰す超攻撃型サッカー。対策は2つ。マンマークか前線からのハイプレス。多くのチームが大幅に戦術を変えて川崎に挑まざるを得なかった。

 真っ向勝負で挑むチームもあった。ミシャ率いる浦和がそうだ。超攻撃が信条のミシャとは撃ち合い、そして打ち勝った。もう一つ。ミシャの愛弟子でもある森保率いる広島は他チームに比べれば微調整で風間フロンターレを虐殺した。

 風間フロンターレは絶対にアタッキングサードに中盤がボールを持ち、そこから前線にスルーパスを出す。スルーパスを出した後に潰されても相手がそこから攻撃に移るのは困難な事は風間フロンターレが証明していた。つまり中盤の攻防こそが最終防衛ラインであり、そこの優位性のみを追求していたのが風間フロンターレだった。この中盤を潰しに来たのが、森保監督だった。

 フォワードを捨てて中盤を潰すセンターバック。ボールを回収すればウイングバックやフォワードへとパスを出す。後は煮るなり焼くなり好きにすれば良い。

 地獄だった。森保が監督としてJリーグにいる間は風間の天下はないと確信できるほどには。あの光景がドイツ戦で蘇った。


 ドイツ戦の戦術はまったく違う。5枚の前線によるハイプレス。バックラインのパス回しに参加する中盤が降りてこようが数的有利が築かれた狂気の戦術だった。闇雲に外へ出した所で二人の敵に囲まれてボールが回収される。およそギャンブルとしか思えないような戦術を森保監督は仕込んでいた。

 あれには有利な点がいくつかある。まずミシャ式にみられる疑似フォーバックのサイドの攻撃参加が不要である点だ。その意味であれをミシャ式とは呼べないのかもしれない。守備の人数は必要最低限残せていた。そして、前線のハイプレスに必要な一人あたりの走行距離が短くなる。

 パスの精度が無くなり人も捕まえられなくなったドイツを蹂躙したのは見た通りだ。あの光景。ドイツ側から見たであろう絶望的な風景の先に立つ森保一という男こそ、かつて私が見た森保監督だった。

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