第1章 2-6 狂気の襲来

何を言っているのかと、そんな考えさえする余裕すらないほどに、力也は真正面から向けられる、これまでにない敵意に言葉が出ない。

前から頭髪についてアレコレ言われ、何かと敵視されていたとは自覚していたが、あそこまで明確な殺意のようなものを向けられたことはなかった。

ただはっきりとしているのは、ノルンの言葉通りだとすれば、近づけば間違いなく命の危険があると本能から一歩後ろへ下がる。


「ハァ、ハァ……! 痛い、痛い……!」

「止まりなさい、それ以上近づくことは許しません」

「うるさい、黙れ! あぁっ、クソックソッ! どうしてだ、どうしてうまくいかないんだ!? 憎い、憎い憎いにくいにくいニクイニクイニクイニクイ〜〜〜〜〜!!!!!!」

「……ひっ!?」

「あぁ、その髪、その顔……! 私から、私から何もかも奪ったあの女そっくりだ! その目も、その魔力も! ずっと嫌いだったんだ! 見下し、蔑み、無能な私を可哀想なものだと言わんばかりに見るあの態度、全てが嫌いだったんだ!!!!」


怨嗟の声を喉が潰れんばかりにのたまう岡田の姿に、少年は感じたことのない憎悪に小さく悲鳴が溢れる。

ノルンはそれをじっと、しかし怯むことなく城壁の如く立ちはだかり、その眼光の鋭さは対象を睨み付けていた。

叫び、髪を振り乱し、痛みに耐えるように押さえていた左目を掻き毟るように引っ掻き、抑えつけるつもりのない恨みを、真っ直ぐに少年ではない誰かにぶつけている。

おぞましい、そんな言葉しか出てこない力也など尻目に、ひとしきり叫び終えた男はゆらりと首を傾け、二人を見つめ狂気に満ちた笑いを浮かべた。


「もういい、こざかしい事はなしだ……、私達の邪魔をする奴は、みんなまとめて排除する……!」


直後、廊下全体を覆い尽くそうな黒い何かが広がり、力也とノルンを飲み込まんばかりの殺意が湧き立つ。

岡田の足元に浮かび上がる魔法陣に力也は何が起こっているのか理解が追いつかず、ノルンは厳しい視線を外すことなく見ていた。

狂気に支配された男は自身の手を噛み、無理やりに傷を作って出血を伴わせ、滴る血液が地面へと吸い込まれる。

ピチャリと距離があるのに聞こえた錯覚を覚えた途端、魔法陣から形容し難い咆哮が上がった。

ずるりと解き放れたと言わんばかりに這い出る黒い腕が何本も出てくると、男の周りにその巨体を晒していく。

力也は見覚えがあるその姿に息を飲む、それは昨晩襲われたばかりの黒い影によく似た化け物だった。

決定的な違いがあるとすれば、目の前に現れた4体の黒い獣たちは実体を保っている。


「ノルンさん、あれって……」

「昨晩のものと同質の存在でしょう。 ですが、術者本人が直接呼び寄せているので、強度は桁違いと言えるかもしれません」

「そ、それなら逃げるしか!」

「力也様、私が何のためにいるのか、もうお忘れですか?」


開かれる眼光が8つ、ギョロリと捕食対象となる二人を見つけ、その口を開いて涎をだらだらと垂れ流す。

召喚した岡田には忠実なのか襲う気配はなく、多数の異形の存在を前に力也は震え、声を上擦らせながらノルンへ言葉を投げた。

彼女は決して怯んだ様子もなく、じっと守護する態勢を崩すことなく睨みあっている。

戦況的に不利だと、力也はノルンの言葉をそのまま受け取って逃走を提案するも、振り向いた彼女の顔は少しだけ心外だと言わんばかりの表情をしていた。


「忠誠をお受け取りいただく前に、まずは私の実力をお見せする方が先のようですね。 ですので、こちらでお待ちを」

「そんな! 一人であんなのに勝てるわけが……!」

「無用の心配ですね、そもそも私が何なのかをお忘れではないでしょうか?」

「……」

「ご安心ください、私はあのような下等生物に負けるほど、弱い竜ではないのですよ?」


ノルンの言動に虚勢はなく、はっきりとした自信に満ちていると力也は感じてしまう。

その証拠に、今まで見たことがないほどに彼女の顔は穏やかで、かつ自然な笑みを浮かべていた。

何も言えなくなってしまう少年へ再び背を向け、騎士は手に持っていた鞄を放り捨て、竹刀を取り出す。


「仕事よアイギス、起きなさい」


告げる言霊に反応して、ノルンの手の中にある竹刀が鳴動し、真の姿を表す。

3mにも及ぶ銀の槍が顕現し、華奢な少女が持つことはおろか、屈強な男ですら困難な武器を彼女は軽々と持っていた。

姿形は人のままを保ちつつも、全身から漂わせる覇気はおよそ人間が出せるような闘気ではない。

瞬間、化け物共は理解する、目の前の少女の形をしたモノが、自分たちよりも圧倒的強者であることを。

遊んでいては自分たちが殺されるだけと悟ったように、岡田を中心に陣形を整えた。


「邪魔をするな小娘! 私はそこにいる奴に用がある! 死にたくなければそこを退け!!!!」

「貴方の方こそ、今すぐそれらとの契約を断ち切りなさい。 それ以上は身が持ちませんよ、最も私の一撃で既に死に体のようですが」

「黙れ! 黙れ黙れ!! いいだろう、まずは貴様ーー!」


男が声を荒げてノルンを罵倒するも、少女は涼しい顔のままに受け流す姿は、明らかに格下相手とみなして接している。

それでは逆上させるだけではと焦る力也だが、岡田にも肌で感じるほどだったようで、激昂しその腕を振るおうとしたときだ。

力也から見て岡田の右側に立っていた四足歩行の獣が顔面から貫かれ、その巨体を廊下の端まで届かんばかりに吹き飛ばされていくのを見る。

一瞬の出来事に何が起きたのか、常人である彼ら二人には事が起きた後でようやく把握できた。

それはとても簡単で、とても分かりやすい柄の長い武器を用いる時のとても単純(シンプル)な攻撃行動、刺突である。

だがそれは人間の動体視力では追いきれないほどの神速であり、繰り出したと思われるノルンがそこにいるだけだった。


「あぁ、すみません、何かお話されているところでしたか? あんまりにも緩慢な動きでしたので、つい仕留めてしまいました」


片手でその巨大な槍を軽々と操り、戦う姿に力也は呆然と、持っていたカバンがずり落ちてしまうくらいに見ているしかできない。

岡田にしても異常な相手であることは分かっているつもりだったが、敵が近くにいることをようやく認識し飛び退きながら、他3体の魔獣たちで迎撃した。

3方向から飛んでくる巨体により引き裂かれる、よりも早くノルンが槍で薙ぎ払うように振り回し、2体が何とか上空へ逃れ、1体が激突し、そのまま廊下の壁へ押し潰す。

尋常ではない相手を前に1体が警戒心を最大に、残る1体はやや自棄になりながら吶喊するも、それをか弱い少女の姿をした騎士は片手で押さえてしまった。

体格差から押し返そうとする魔獣の力など物ともせず、小さなその体になす術もなく、赤子を相手するようなノルンに、力也は呆然とした。

ここまで強かったのかと、改めて彼女の力が凄いことを認識するに至ったのは、彼だけではない。


「ば、バカな!? 貴様、何で、何をしたんだ!?」

「何、とはどういうことですか? 単純に力の差が歴然というだけのことですよ?」

「ふ、ふざけるな! 昨日もそうだ、突然妙な格好になったかと思えば、今日はーー!」

「あぁ、あれは」


呑気なほどに岡田の叫びに対して答えるノルンの様子に、残っていた魔獣が好機とみなしたのか、飛びかかっていく。

たとえ避けても押さえ込んでいる魔獣により、邪魔者はいなくなると岡田は短絡的に考えた。

当然ながら、そんな安い手で負けるほどノルンという竜は弱くはなく、また油断しているように見せかけて冷静に動く。

押さえていた魔獣の顔をそのまま片手で掴み、ありえないほどの怪力を持って飛び込んでくる魔獣に向け、その体を投げつけた。

空中で激突する二つの影、その中央を神速の槍術が串刺しにし、一瞬にて絶命させる。


「あれは、油断のしすぎとはいえ、不覚にも攻撃を喰らってしまったので、少し腹いせも兼ねていたのです。 そうでなければ、貴方のような小物に見せる必要はないですから」


可憐に、優雅に、涼やかなまでに笑ってみせるノルンの顔に、あっという間に召喚した魔獣を全滅させられた岡田の顔が歪んでいく。

離れた位置で何もできず、しかしできることはない力也はノルンを心配するが、過剰な不安を持つことは彼女に対して礼に欠けると思った。

それでも何かしたい、そう思った少年は騎士へと声をかける。


「ノルンさん!」

「如何されましたか?」

「頑張って、勝ってください!」

「ーー勿論です、我が主よ。 我が槍、今こそ貴方へと捧げるために!」


その時力也は初めてみるノルンの顔に思わず見惚れてしまう。

常に無表情のノルンが、本心からみせる笑顔というものを浮かべ、その槍と共に敵へと立ち向かっていくのを。

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