第1章 2-5 力也とノルン②

1日のカリキュラムが終わり、掃除当番が教室内の清掃を済ませるのを邪魔にならないところで、力也はじっと見つめる。

その様子に帰ろうとしている徹が誘いをかけてきたが、待ち人がいるからと先に帰ってくれて構わないと告げた。


「あのさ、もしかして佐藤先輩か?」

「……ちょっとな」

「えっ、なぁまさか本当に、お付き合いをすることになったと!?」

「そうじゃなくて! その、だな……」


どうしてと訳を聞くと、言いづらそうにする姿に幼馴染が邪推してくるため、力也は耳を貸すよう合図する。

わざとらしく、かついかにもな内緒話にワクタクとする徹だったが、幼少期からの付き合いである少年の言葉に、意表を突かれてしまった。


「父親の関係者? えっ、じゃあ何か、もしかして近々親父さんに会うのかよ?」

「もしかしたらな。 でっ、母さん次第だけど、そのまま父親が住んでいるところへ引っ越すことにもなるかもしれないって。 連れ戻しに来たとか言われてな」

「あちゃあ〜、それはなんとも、急展開だな……」


大まかに、概要だけを伝えると徹は複雑そうな顔で、力也の肩をそっと叩く。

父親が不在の母子家庭であることは家族ぐるみで付き合い続けているため、複雑な関係になっているのは目に見えていた。

そのくせ、力也の母は仲違いこそしているものの、離婚するつもりはないと断言しているせいもあって、子供としては心中穏やかではない。

しかも生まれてから15年もの間、一度も会ったことがないのに帰ってこいと言われたところで、納得できるはずがなかった。


「せっかく進学したのに転校かよ? さすがにそれはあんまりじゃねぇか?」

「まぁ、まだ確定じゃないしな。 そこはこっちも譲れないからって粘るつもりだよ」

「あれならお前だけこっちに一人残るのも手だよな? そうしたらあの家で一人暮らしとか、どんなギャルゲーだよ!」

「そうしたら一緒に住まねぇ? あそこに一人は萎えるわ」

「それもいいな! もしそうなったら、母ちゃん達に相談だな!」


力也の境遇を理解しているのもあって、徹は真剣に考えつつ、リラックスした態度で明るく切り替えられるようにと振舞う。

長年付き合い、お互いに真剣に話をすれば、真剣に馬鹿をしてきたので、二人の間に遠慮はなかった。

詳しい話はあとで聞く、そう言い残して親友は帰宅の途へとつき、それを力也は手を振り見送る。



清掃も終わり、誰もいなくなった教室で力也は自分の席に腰掛け、窓の外を眺めていた。

この日は校庭で部活動をするところもないのか、やけにがらんとした物寂しい印象があり、陽もそろそろ沈み、赤橙色の夕焼けが発生する時間までそうかからないだろう。

わけもなく感慨に浸っていると、教室の扉を開いて現れたのは、言うまでもなくノルンこと明美だった。

右手に鞄、左肩に竹刀袋を掛けた少女はすっと頭を下げる。


「お待たせして申し訳ありません。 念のため、校内の見回りをしていましたので」

「……どうも」

「それでは参りましょう。 ラディーヴァ卿らも待っているはずです」


立ち上がり、リュックを持ってトコトコと少女の元へ向かうと、先導するように明美が歩き出し、その後をついて行った。

話すこともないため黙っていると、気になったように少女の方から話しかけてくる。


「如何なさいましたか?」

「……別に、なんでも」

「そのようにお見えになれませんので、お伺いしております」


はぐらかそうとするも、それでは納得できないと立ち止まり、力強い視線を向ける明美の瞳は、間違いなくノルンとしてのものだ。

その視線から逃げようとしてもできないと悟り、力也は重い口を開いて思っていた言葉を絞り出す。


「……どうしても、帰らないとダメなんですか?」

「それは、当然なのでは? 力也様とミリアリス様、お二人の場所はここではありませんし」

「だって、それは俺の父親の都合じゃないか! どんな理由があろうと、15年間顔を出したこともない相手に、会っていきなり家族になれとか、そんなの無理に決まっているだろう!?」

「そういうものなのですか?」

「だってそれが普通じゃないですか!?」


考えるまでもない、力也の本音は今住んでいるこの街から離れる、というのは選択肢としてありえないというものだ。

遠回しに伝えても明美は事実のままに、そうするのが自然だと答える。

当然そのような言葉を出されてしまえば、反論してしまうのは少年ではなくてもそうするだろう。

だが少女は無表情に、少年の語る言葉をなんとか理解しようと試みても、何をそこまで躊躇うのかが分からなかった。

だからこそ、自分も思ったままの言葉で伝えるべきなのだと、明美ではなく、ノルンとして答える。


「正直申し上げますと、私には人間という種の考えは理解できません。 力也様のお考えも、きっとそれは個人として当然のことなのでしょうが、私には分からないのです」

「分からないって、ノルンさんだって会ったこともない父親がいきなり現れたらーー!」

「私に父はいません。 母も、そもそも家族というものがありません」

「……えっ?」

「竜とは、ただそこにある現象が形となって生まれ落ちるものなのです。 私も例外ではなく、気づいた時にはすでに私という個体が誕生していました」


感情を宿さない顔で告げるノルンの言葉に、力也は絶句した。

親がいない、という話ではなく、親という存在そのものが初めからいないということに唖然とする。

言っている意味が理解できない、それを承知の上でノルンは続けた。


「そもそも竜と呼称される存在について、力也様はどのようにお考えですか?」

「……生物の、頂点?」

「そうですね、確かにそれもありますが、あくまで一面に過ぎません。 竜とは、人間のように交配によって生まれ受け継がれていくものではなく、単体で完成された存在として、世界という枠に当てはめられ、与えられた形に定められるのです」

「完成された……? そんな、それは神様みたいなものじゃ……」

「人間の価値観で見ればそうとも取れます。 ですが、我々からすれば王であり神とお呼びする御方は唯お一人のみ……、それが貴方様の父君であらせられる、ヴァルフレイル・ベルクレス様になるのです」


立ち止まり、誰もいない人気の失せた廊下で向かい合い話す力也とノルンの間に言いしれぬ緊張感が漂う。

黒い影と戦闘したときよりもやや穏やかだが、それでも人間の尺度で考えれば圧倒されるに十分な覇気に少年は息を飲んだ。

少女の形をした竜の言葉が真実か否か、判断する術はないが、嘘をついているとはとても思えない。

だが自らの父がそんな竜たちの神と言われても、スケールの大きさに頭がついていかなかった。


「じゃあ、母さんはどうなるんだ? 母さんは普通の人間じゃないか! そうだ、俺だって普通の!」

「ミリアリス様は。 正しくは、竜化人ドラゴノイドと呼ばれる存在へ変質しております」

「……人、じゃない? 母さん、が?」

「そうしなければ、ヴァルフレイル様との間に御子を成せなかったと伺っております。 あの方はそれをするため、我らが王の血を飲み、精を受けることでようやくだったそうです」


愕然とする事実を告げられ、力也は茫然自失の一歩手前まで追い込まれる。

話をする、そのために昨晩はあえて何も聞かないことにしていたこともあり、ノルンの言葉は少年に言葉を失わせるだけの効果があった。

母がすでに人ではない、父もまた竜と呼ばれる存在だということ、すなわちそれは、自身も人間ではないのだと証明しているようなものである。


「何だよ、それ……。 そんなの、信じらんねぇよ……!」

「そうでしょうね、なので私は、あるがままに、知りえていることをお伝えしたまでです。 信じるか否かは、力也様ご自身が決めてください。 ですが、これだけは知っておいていただきたいのです」

「えっ」

「私は、力也様の矛です。 盾にもなり、立ちはだかる敵から御身を守ることこそ、私の宿命なのです。 何卒、私の忠誠をお受け取りくださいませ、我が主よ。 私は、如何なる災厄からも貴方様をお守りすることを誓います」


夕陽差し込む廊下の中で、憤る自分の感情に苛まれる力也へ届くノルンの言葉は、どことなく優しさがあった。

問いかけられるような声に伏せていた顔をあげれば、正面に立つ少女がその胸に手を当てて宣誓する。

少年はここでようやく合点がいったと、妙な納得が生まれた。

佐藤 明美として過ごし、話をして、昨晩に正体を現したノルンという朱の竜が自身に見せる態度が、一貫して騎士と呼べるものだと気づく。

勇ましさと気高さを兼ね備えた風格が威風堂々とした立ち居振る舞いを実現させ、彼女を彼女たらしめるに至っていた。

信じるかどうかは自分で決めていい、その言葉に話をするまで保留にしておけばいいと、踏ん切りをつけられる。

もしかしたらそれが狙いだったのかと、力也はノルンに感謝を伝えようとした。


「……ノルンさん、俺は」

「力也様、私の側に」


刹那、ノルンの顔つきが厳しいものへと変質し、瞳には苛烈さが浮き彫りになるまでに険しい色を浮かべている。

言葉を交わすのも惜しいと言わんばかりの様子に、何事か飲み込めない力也の視線が、彼女のさらに後方へと向いたときだ。

カツンカツンと、階段をゆっくりと登ってくる靴音が異様なまでに廊下まで響いてくる、同時に何か強烈なドス黒い感情のようなものが地面から這い上がるように感じられる。

異質なものが来ようとしている、背筋に寒気が奔ったことで力也はノルンの指示に従い、彼女との距離を埋めた。

手を回し、文字通り守護するように持っていた鞄を放り投げ、肩にかけていた竹刀袋を右手に持つ。

ほぼ同じタイミングで足音が力也たちがいるフロアに到着し、ゆっくりと踊り場を抜けて二人がいる廊下に姿を見せた。


「お、岡やん……?」


現れたのは力也のクラス担任である岡田 雅巳だが、彼は今日体調不良とのことで休みという方に聞かされている。

それがなぜ放課後にわざわざ来たのかと疑問に思う力也だが、彼の登場にノルンの警戒はさらに強まり、全身から放たれる覇気は一直線に男へ向けられていた。


「驚きましたね。 1割程度の力とはいえ、とは。 脆弱な人間にしては丈夫のようです」

「の、ノルンさん……?」

「お下がりください、あの者は昨晩貴方様を捕食しようとした魔獣の核を作り出した者、つまりは敵です」


思わず本名で呼んでしまったが、それ以上に衝撃的なことを告げられて力也はまさかと担任教師の顔を遠目に見る。

左目を押さえ、痛みに耐えるように息を荒げ、ゆっくりとこちらへ向けられる顔はまさに、鬼の如く歪み、憎悪に満ちた顔を浮かべていた。

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