第1章 2-4 力也とノルン①
夜が明け、次の日がやってきた。
いつも通り起きた力也は自宅を済ませ、食事を済ませ、母からお昼ごはんの弁当を受け取り、玄関へ向かう。
「それじゃ、いってきます」
「いってらっしゃい」
見送ってくれる母に声をかけ、玄関を開けて外へと出た。
青く澄んだ快晴の空が陽射しを降り注がせ、気持ちがいい朝の空気が寝ぼけ眼の体を起こしてくれる。
門扉を開けていつもの通学路へと足を進ませ、増えていく生徒の数に紛れて校舎へと向かった。
昇降口を抜けて下駄箱へ行こうとしたとき、後ろから声をかけられる。
「おはようございます」
「……おはようございます。 佐藤、先輩」
変わらないなと思いつつ振り向くと、そこにはいつもどおりの明美が立っていた。
竹刀袋を肩にかけた彼女は無表情のまま挨拶してくれたので、不自然に思われないよう挨拶を返す。
昨日の今日で考えると気安過ぎる気もしなくないが、そうしないと振る舞えなかった。
力也の言葉にすっと頭を軽く下げてから歩いていこうとする少女が、通り過ぎる際に耳元へ向けて囁いてくる。
「本日の昼頃、お伺いしますのでそのつもりで」
横を過ぎるときの、そのほんの一瞬の間で要件を伝え、何事もなかったように明美は去っていく。
変わらないなと少しだけ苦笑する力也は、ある意味で覚悟を決められたと思うことにするのだった。
「もう少しだけ、周りへの配慮とかできませんか?」
そしてまさか、その覚悟を改めなくてはならないと数時間後に思うなど少年は考えてもいなかった。
確かに迎えに来た、昼休みになった直後にまだ科目担当の教師が去ってもいないところへ、明美はやって来る。
何故にと思うと同時に、クラス全員の視線が自分に向けられ、力也は弁当を持って彼女の背を押してその場を大急ぎで離れた。
やや騒がしくなる校内の、比較的静かな階段の踊り場に来た辺りで、力也は苦言を呈する。
「お伺いすると事前にお伝えしていたはずですが、他に問題が?」
「あんなところへ来られたら、嫌でも注目うけるじゃないですか!? それはそれでマズイでしょう!?」
「そういうものなのですか? 人間の価値観とは本当に難しいですね……」
明美は力也の言葉に疑問しかなく、理解できないと相変わらずの無表情で受け答えした。
他の二人はそれなりに常識的なのに比べ、この少女の異質さはやはり人とは違うのだと、改めて痛感させられる。
とにかく話をしなければと場所を探そうとする力哉を尻目に、明美は階段を上がりはじめたので慌てて追いかけた。
向かう先はどう考えても屋上なのだが、生徒はもちろん、基本立ち入り禁止となっているため、扉には鍵がかかっている。
そのはずなのだが、前まで来たところで何食わぬ顔でドアノブを捻り、難なく解錠、というにはこじ開けたような音が上がった。
「……あの、今何しました?」
「扉を開けました」
「そうじゃなくて、鍵はどうしたんですか!?」
「? 普通に捻り潰しただけです、これくらいなら人化時でもたやすいことなので」
「そういう問題じゃねぇだろう!?」
思わず敬語を忘れてしまうくらいに、非常識な明美の行動に力也はツッコミを入れるしかなかった。
これでも駄目なのかと、表情が乏しいながらに不満そうな彼女の姿に頭を抱えたくなる。
もしかしたら苦労しているのかもしれないと、ここにいない二人の顔が思い浮かんだような気がした。
ともあれ屋上へ入れたので出てみると、ほどよい陽射しと風に居心地がいいと不覚にも思えてしまう。
少年は初めて来る屋上に少しだけ興奮していると、明美は扉を閉めるとその前で手をかざして何かをしていた。
瞬間、空間が遮断されるような感覚を覚え、完了したのかトコトコと少女が近づいてくる。
「結界と人払いの法式をかけました。 ラディーヴァ卿のものなので、精度は問題ないでしょう」
「はっはぁっ……? それは、一体……?」
「魔法です、言葉であれば存じ上げますよね?」
何でもない顔で、さも当然のように非現実的なものを使ったと言われてしまい、力也は何でもありだなと素直に思った。
魔法自体は非常に興味はあるものの、まずはお腹に何かを入れなくてはと限られた時間でまず食事をすることにする。
それは明美と同じで、適当な場所へ並んで座り込んだところへ、今まで見えない振りをしていたものへ少年は厭々ながら目を向けた。
「あの、ところでその包みは……?」
「
「デカすぎない!? 六段重とか、こんなの食べられるか!?」
「ご安心ください。 食べられる分だけ食べていただければと。 あとは私が食べますので」
座っている隣の明美がドカンと、そんな音が聞こえてきそうな大きな風呂敷に包まれたものを口元が引きつる力也は絶句する。
少女は自然な振る舞いで包みを解いて現れる六段重を、キレイに広げていき、中身の圧倒さに少年を慄かせた。
自分の分もあるとのことだが、専用のお弁当があるので食べられるはずないのだが、ふと渡された手紙のようなものを広げる。
『お好みはある程度調査して把握しておりますが、何が一番美味だったかあとでお教えいただけると幸いでございます』と、悪意なき善意の生徒会長の顔が思い浮かんだような気がした。
ここまでされたら口にするしかない、喉を鳴らして覚悟を決めて力也は箸を手に取るのだった。
「えっ? ラディーヴァさん、今母さんと会ってるんですか?」
「はい。 ミリアリス様からご連絡をいただけたとのことで、卿らは力也様のご自宅へ向かわれております」
食後、力也は明美と二人で地べたに座りながら話していた。
ちなみに大量の昼食については、力也が全てのおかずを一口食べた後、宣言通り少女が全て食べきる。
どこに入るのかという量を苦もせずペロリと飲み込むように、平らげる姿は圧巻だ。
苦しそうな素振りもなく、今もこうして淡々としているので、少年はあまり気にしないことにする。
そのほうが精神衛生上に良いのもあるが、それ以上に気になることを言われたのもあった。
「卿らはって、キールさんも?」
「止める役は必要とのことです。 よくわかりませんが、ラディーヴァ卿が今朝から随分と張り切っていましたので、そのためかと」
「……何だろうな、母さんの苦笑する顔が見えた気がする」
この場にいない二人、ラディーヴァとキールの二人が母に会いに行っていると聞かされ、力也は昨晩のことを思い出す。
少し困ったような、面倒くさいような悩ましいように見せかけた怠い表情に、何となく側近だといった彼に同情した。
美里亜の人となりは息子自身分かっているつもりだが、苦労は彼のほうが凄まじいのかもしれない。
ともあれ、事前に伝えられたのは悪いことではないので話を続けることにした。
「じゃあ放課後は明美、いやっノルンさんも家に来るんですよね?」
「はい、ですが……」
「? 何かあるんですか?」
「少々、気がかりなことがありまして。 授業が終わりましたらお迎えにまいりますので、教室でお待ち下さい」
誰もいないことを確認しつつ、力也は少女の本当の名前で呼ぶことにした。
そうしてこの後の予定について話していると、明美ではなく、ノルンは真剣に何か考えている顔を浮かべる。
素直な疑問として尋ねると、その言葉には警戒を強めておくべきとばかりに護衛すると暗に伝えてきた。
向かう先は一緒なのでそれは問題ないが、彼女のこうした態度は慣れないと、力也はかねてからの疑問をぶつけることにする。
「あの、ラディーヴァさんとかもですけど、ノルンさんは何でそこまで俺のことを守ろうとしてくれるんですか? それは、その……、俺の父が関係していると?」
「勿論それもありますが、私のためでもあります。貴方は私の主になられるお方、そう決められているのですから」
「そんなこと言われても……。 俺はただの学生ですよ?」
「それは貴方ご自身が人という肉の枠に嵌ってしまっているからです。 正直にお伝えすると、貴方を見初めた時は言い知れぬ恐怖を私は覚えました」
ノルンの一貫した態度に、力也は自分がそこまでされるだけの価値はない、ただの人間だと言い張る。
彼女にすれば何を言っているのかと、呆れた顔をしてしまうが、仕方がないとラディーヴァとキールにも言われていた。
人として生を受けた少年にすれば、竜だと言われて即座に肯定できるほど、柔軟な思考を持つ者など稀有すぎる。
それでもノルンは、力也こそお仕えするに値する方だと断言できた。
「恐怖って、そこまで俺の印象が悪かった、とか……?」
「そういう次元の話ではありません。 生物としての本能、とでも申し上げればよろしいでしょうか。 それこそ竜である私がお伝えすれば、説得力もありませんか?」
彼女が自分に感じた印象に、そこまで不機嫌に過ごしていたつもりはないと思ったものの、ノルンという少女の本来あるべき姿を思い出すと、思わず首を縦に振りたくなる。
竜という力也にすれば架空の生物でしかなかったはずの存在が、こうして目の前にいる事実を見過ごすなどできるはずがなかった。
だからといって信用に値するか否かの話になれば、迷いが生じるのも事実。
これ以上は平行線の話になると思い、護衛についてはとりあえず置いておくとして、あと一つだけはっきりさせておきたいことが力也にはあった。
「あの……、俺の父も街のどこかに、来ているんですか?」
「残念ですが、それはまだ無理だと思います。 ですが時が来ればお会いすることになるでしょう」
「そう、ですかーー」
「それに、ミリアリス様と力也様を見つけることができるのです。 今の問題が解決したなら、お二人をお連れして本国へ帰還することになるので、どの道お会いできる機会はそう遠くはありませんよ」
「……はっ?」
街のどこかに実の父親がいるかもしれない、その事実に少しだけ体が強張るものの、ノルンに否定されてホッとしたのも束の間、とんでもないことを口にして唖然とする。
自分と母を連れて帰る、という展開は予想していなかったため、力也は彼女が何を言っているのか理解が追いつかなかった。
キョトンとする少年にどうしたのかと声をかけようとするノルンだったが、タイミング悪く予鈴が鳴り響く。
「それでは戻りましょう。 授業が終わりましたら、教室でお待ちになっていてください」
後片付けをしたノルンに手を差し出され、素直に借りて立ち上がる力也は、先に歩く彼女の背をじっと見つめた。
受け入れがたい状況と展開が近づいている、少年の思いなど置き去りにしたまま、時間は過ぎていく。
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