第1章 2-3 side:L

 トボトボと暗くなった帰り道を歩く力也の顔は非常に重苦しく、悲壮感すら漂わせている。

 自分の出自について、とんでもないことを言われてしまい、それは紛れもない事実であると断言されては、疑いたくなっても仕方がなかった。

 どうして母はそんな大事なことを話してくれなかったのか、いやっ話せるわけがないと自分で自分の問いに答えを出してしまう。

 今日まで人として生きてきた自分に、ある日突然人間ではないと言われても、信用などするはずなかった。

 だが皮肉なことに、命の危険に遭遇して知らされることになるとは考えたところで思い浮かぶはずもない。

 何が真実で、何が嘘なのか、考えてもドツボにハマり、グルグルと出口のない迷宮に迷い込んでしまった気分のまま、家の前にたどり着いた。

 今朝と何ら変わらない自宅を前に、悩みながらも重い一歩を踏み出し、門扉を開く。

 敷地内を歩き、家屋の入り口である玄関に手をかけ、鍵のかかっていない扉をゆっくりと開いた。


「お帰りなさい、遅かったわね」


 そこには何一つ変わらない、優しい笑みを浮かべて迎え入れてくれる母の姿がある。

 いつも見ているのに、今は母のことがよく分からないと、自己嫌悪に浸るような思いに晒された。

 小さくただいまと呟くと、俯きながら靴を脱いで家へと上がり、母の横を通り抜けて階段を上り、自室へ向かっていく。


「お風呂、沸いてるから先に入ってきなさい。 ご飯用意しておくから」


 背中へかける声に、振り返ることなく頷くだけ、見る人によっては悪態だと言われても仕方がなかった。

 そんな息子に母は態度を変えることなく接してくれる、その事実に力也は胸が痛む。

 どうして、もっと早く教えてくれなかったのかと。


 入浴を済まし、リビングにて遅めの夕食を取る力也の前で、母 美里亜はタブレット片手に仕事をしていた。

 先に済ませていたらしく、お茶とお茶菓子をお供に、スラスラとデザイン画を描いているタブレット用ペンを自在に操る。

 流し目で見つつ、邪魔をしないよう静かに食べる力也は言葉にするべきか否か、判断に迷っていた。

 気まずくなる可能性は十分ある、だからといって聞いてしまえば、また怒鳴り散らし、平静を保って話ができるとは到底思えない。

 少し時間を置いた方がいい、そんな少年に視線を下の画面に向けたまま、母は言葉にした。


「……何も聞いてこないのね?」

「ーーっ!」

「てっきり、怒鳴られるかなって思ってたんだけど。 でもそうね、私もまず何から話すべきか、ずっと考えていたら、機会を先延ばしにし過ぎて、今になってしまったの。 ごめんなさい」

「……最初から、知っていたってこと?」

「もちろん、それについては?」


 いつもと変わらない、むしろそれ以上に落ち着いて口にする母の言葉からは謝罪と共に、後悔の念が見える。

 そっと尋ねれば、先ほどまで会っていた人外の名が出てきたため、力也は否応なく真実だと受け止めるしかなかった。

 本当ならここで怒り散らしてもいいところだが、感情を発露したところで結果は何も変わらない。

 むしろ知ったことでどうするべきかを考えた方が建設的だと考えれば、自分を落ち着かせることができた。


「言いたいことはある、けど今は、頭はこんがらがっているから、聞かないことにする」

「……そう、分かったわ。 なら明日、ちゃんとお話しましょう。 まっすぐ家に帰ってくるのよ」

「それと、ラディーヴァ、さんから伝言で、近いうちに会いたいって……」

「やっぱりそうなるか。 やれやれ、お小言を飛ばす姿が目に浮かぶわ」


 顔を上げて力也の様子と言葉を見て、美里亜はそうした方がいいと、彼女も一旦時間の必要性を理解する。

 ただ息子から言われた点について、ペンをテーブルに置き、苦笑しながら天井を仰ぐ姿はすまなそうにしている姿をしていた。

 気づけば食事を食べ終わり、キッチンの流し台へ片付け、食器を洗う息子へこれだけは伝えておかなければいけないと、母は伝える。


「力也、貴方に本当のことを話してこなかった私を許してほしい、と言うつもりはないわ。 罵りたければいくらでも罵ってくれていい。 でもね、これだけはーー」

「……父さんが俺たちのことを捨てたわけじゃない、って言いたいんだろう? でもそれは、俺が実際に見て聞いて、言葉を交わして判断する。 これだけは、絶対に譲れない」

「……分かったわ」

「だけど、母さんのことを悪く言うつもりはない。 理由はどうあれ、俺がここまで成長できたのは母さんのおかげなんだ。 感謝こそすれ、罵声をぶつけるつもりはないよ」


 美里亜が最後まで言い切る前に、父については自分が考えて自分で判断すると、力也が言葉じりを強く断言した。

 曲げるつもりはない態度に、母は仕方がないと諦めるも、息子から出てきた思いがけない言葉に呆気にとられる。

 瞬間、安心したような顔で息つく様子に恐れていたような素振りに、食器を洗い終えた力也がリビングを後にしようとした。

 不意に気になっていたことについて知りたくなり、尋ねることにする。


「母さんの本名ってさ、ミリアリスって言うのか?」

「……そこを話しちゃったのね、ラディは。 正直なところ、その名前で呼ばれるのはあっちにいる時だけで良かったのにな」

「何だよ、それ」

「愛着ができたの。 何だかんだで、美里亜って名前も気に入ってるの。 そうよ、それが私の本当の名前、正式には『』というのよ」

「……ならさ、俺の本当の、名前って何なんだ?」

「それについては、今は内緒ね。 貴方の名前はね、本当に特別なものなの。 おいそれと、口に出していいものではないの」


 力也の問いに、美里亜ことミリアリスは嫌そうな顔を浮かべ、余計なことを教えたラディーヴァを恨めく思う。

 ひねりのない偽名を気に入っていると言いつつ、さらりと本名を明かした母に、少年は自身の本当というべきかは分からないが、名前も聞いてみた。

 今は言うことができないと共に、意味深な言葉に力也が苦笑していると、二人は共に笑い合う。


「それに、力也って言うのも貴方の名前よ。 あの人が付けてくれた名前も好きだけど、私が考えた力也というのも、貴方だって証明する言葉なんだから」

「……分かった。 なら今度、教えてくれよ」

「ええっ、それじゃあ、おやすみなさい」

「うん、おやすみ母さん。 無理しない程度で切り上げて早めに寝なよ」


 他愛ない母と子の会話になったやりとりに、二人はまた明日からも親子として生活していけると確信し合う。

 今はそれでいい、関係が拗れるような間柄になるかもしれないが、今はその時ではなかった。

 何も話さないわけではない、今はただ話すよりも時間を置き、落ち着いてから真実を伝えるのが正しいこともある。

 その方法をとった力也へミリアリスは声をかけ、力也は母へ挨拶をして自室へ戻っていった。

 足音が遠く、部屋へ入り扉を閉める音を聞いてから、ミリアリスはズボンにしまっていたスマホを取り出す。


「さて、寝る前に済ませておきましょう。 ラディの怒る声を聞くのもずいぶんと久しぶりになるわね」


 言葉とは裏腹に、乗り気ではないという態度をするミリアリスだったが、まだまだ子供だと思っていた息子に倣い、自分も動こうと決意する。

 スマホを起動し、念じるように画面を見つめていると、ディスプレイに突如として魔法陣が浮かび上がり、登録されていない番号を探し当てるように起動し、やがて自動的に表示されたダイヤル番号をタップした。

 何回かのコール音の後、聞くのは一体どれくらいぶりかと懐かしさを感じながら、スマホの耳に寄せて話しかける。


「もしもし、ラディーヴァ? 久しぶりね、元気していた?」

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