第1章 2-2 受け入れがたい言葉、碧の誓い

「……ゴホン! さて、それでは始めましょうか」


 戻ってきた拓哉が軽く咳払いをして、周囲を軽く見渡してから宣誓する。

 約束通りに話をする、力也からしても異論はない、あるはずもなかった。

 あんなものを見させられて納得などできないと、顔を強張らせて真剣な顔つきになる。

 ソファーの真向かいに座る拓哉とキール、一人立ったままで一歩離れた場所にいるTシャツにジーパンの私服姿になった明美だ。


「あの、ノルンさんは座らなくていい――」

「お気遣いなく。 私はこちらの方々とは同格ではありませんので、それは不敬にあたります」

「まぁ普通ならな。 けど、ここは俺たちの世界じゃない。 なら力也様基準で考えて行動するのが妥当じゃないのか?」

「……屁理屈では?」

「いいから、貴方も座りなさいノルン。 全く、貴方には手を焼かされてばかりですね……」


 立ったままで、しかも手放す気はない竹刀袋もそのままにする明美に、楽にしてほしいと力也は遠回しに告げる。

 振る舞いは紳士然とばかりに変わらないが、キールの援護に対して面食らった顔をする辺り、予想していなかったようだ。

 拓哉の追撃もあって、納得していないが言われてしまえば従うしかないと、一人掛けのソファーに少女は腰を下ろす。

 流石に座るときは邪魔なのか、竹刀袋はすぐそばに置いた。


「それではまず、ご無事で何よりでした、力也様。 そして申し訳ありませんでした、我々がいながら情けないことです」

「あの……、その様付けはやめてもらえませんか? そんな敬われるみたいな態度は、違うと思うんですけど」

「そうはいきません! 貴方様が事情を存じ上げないことは承知しておりますが、我々にとって丁重にもてなさなければならない――」

「まぁ待てって、ラディ。 悪かったな、色々と面倒事に巻き込んじまって。 もっと早く対処するべきだったんだが、何分調べないといけないこともあったんだ。 ただこれだけは分かってくれ、俺たちは君の敵じゃないってことをな」


 改めて、拓哉は深々と頭を下げて謝辞を述べてくるものの、ずっと気になっていた敬称に力也は違和感を覚えすぎていた。

 やめてくれと告げても、それは聞き入れられないとばかり食い付く拓哉に、横にいたキールが本当の名で制止する。

 先ほどの言葉通り、肩の力を抜いて話すキールを信用できるかと言われると、判断に迷うところだった。

 何せ狼、それも獣人などと非存在の姿になっていることを、力也はどうしても受け止めきれない。

 今でこそ明美は普段通り人の姿をしているが、拓哉という殻を被る男の反応からして、彼もまた人外なのは言葉にする必要はなかった。


「敵、か……。 なら、さっきの黒い変な化け物が敵だと?」

「平たく言えばそうだな。 なにせアレは、君を殺すための呪いが形を成したものだからだ」

「……はっ?」

「要するに、狙われてるんだよ君は。 悪意あるものが、君を害そうとしている、俺たちはそれに対抗、守護するためにここにいる」

「そして、私が力也様のお側で護衛として立ち、キール卿が周辺警戒、ラディーヴァ卿が情報支援をする役回りで回っております」

「元を正せば、もっと早くこういった場を設けるべきでした。 まさかこのような行動に出るとは……」


 どこまで信用できるか、その判断がつかない今、話を聞くしかないとしたものの、狼男の言葉に何を言われたのか理解が追いつかない。

 つい先刻に起こったあの異常な出来事、あれが全て自分を殺害するためだったと言われて、受け止められるわけがなかった。

 だがそれは事実と断定し、キール、明美、拓哉と続けて話す姿に嘘偽りを告げてる様子もない。


「ちょっと、待ってくれ。 なんで、俺の命が狙われて……、いやっ何でそれをあんたたちが知ってるんだよ!?」

「そりゃ調べてたからな。 、君に随分とご執心だし、露骨に態度も出てたから分かりやすかったのもある」

「悠長にしていられないと判断したのは、2週間ほど前からですね。 水面下で押し留めてはいましたが、種をばら撒いて芽吹くのを待っていたのでしょう」

「種って……、まさかっ美山先輩は……!?」

「糧にされたのでしょう、貴方を確実に殺せるだけの存在を生み出せると」


 戸惑いが渦巻き、疑心暗鬼に陥りつつある力也はキールたちに疑いの目を向けるも、気にした様子もなく淡々と話を続けていく。

 もし犯人ならばここまで冷静に対処することはないはずと、素人考えではあるが少年は思えた。

 守ってくれていた、その言葉通りに動いていたものの、力及ばず危険に晒した事実に拓哉の顔から悔しさが滲み出ている。


「……じゃあもし、俺が美山先輩を受け入れていたら」

「残念だが、結末は変わらねぇな。 むしろその方がもっとたちが悪い展開になっていたはずだ、内側から食い破られるとか、されたくないだろう?」


 もしもの可能性を口にする、それをキールの言葉で否定されたと同時に、空恐ろしいことを口にした。

 瞬間、忘れようとしていた美山という少女だったものが捕食されていく場面を思い出し、急激な吐き気が昇ってくる。

 口を押さえて堪えていると、背中をゆっくりと擦り、優しく撫でてくれる感触に振り向くと、いつの間にか拓哉が移動していた。

 落ち着いて息を整えるようにと、無言の語りかけに促されて力也は呼吸のリズムを取り戻していく。


「……ありがとう、ございます」

「いえっ、そのようなお言葉をいただく身ではございません。 ノルン、その意味では助かりました、ありがとうございます」

「お気になさらずに。 自由に動いてもラディーヴァ卿が後片付けしてくださるので、私としては立ち回りやすいので」

「だからといってやり過ぎていいとは言ってませんがね?」

「元々そういう役回りなのでは?」

「有能過ぎる我が身を呪えってな、ラディ♪」

「……貴方達は」


 吐き気が収まり、力也が感謝しても拓哉は無念そうに顔を歪め、明美へ顔を向けて頭を下げた。

 当然のことをしたまで、という言葉の後にやりたい放題してもいいという、よく分からない安心感に拓哉が食いつく。

 おかしなことはないという少女と、それがお前の仕事だとばかり言っている笑顔の狼に、頭を抱える青年の姿に少年は苦笑した。

 ここまではいい、自分の身が危険に晒されていることも、とりあえず理解はする。

 問題は、どうして三人がここまでのことをしてくれるのかという点だ。


「……あの、なんで俺のためにここまで?」

「んっ?」

「質問の意図が分かりかねるのですが、何をお尋ねになりたいのです?」

「――アンタたちは誰かに言われてここにいるのか?」


 口から漏れ出た呟きをキールが拾い、明美が何を聞きたいのかと直球で聞き返してくる。

 ならば遠慮はいらないと、力也は分かっているはずの答えから目を逸らしたくて、その言葉を口にした。


「それは――」

「ノルン。 端的に申し上げれば、貴方様の

「……っ!!」


 明美が答えようとするのを拓哉が止め、再び向かい合うように座った青年が口にした事実に力也は唇を噛む。

 人知を超えた存在、それが三人も現れて、さらには見たこともない化け物に襲われたことも衝撃だが、そんな惑いが全て一蹴されるようだった。

 ドロドロとした内に秘めた感情が迫り上がるように湧き出て、視界が白く覆われ歪んでいく気がしてならない。

 抑えられそうにない、そう思ったときに出てきた言葉に少年は爆発した。


「我々の主であり、貴方様の父君が保護と同時に護衛するよう我々は仰せつかっているのです。 ですので――」

巫山戯ふざけんな!!!!!!!!」

「……、力也様?」

「父親だと……? 15年、顔を見せなければろくに便りも寄越さなかったロクデナシが、今更何の用だって言うんだよ! 保護? 護衛? 調子いいときだけ父親ヅラするってか? 舐めてるにも程がある!」


 拓哉の言葉を遮り、テーブルを叩き、置かれていたソーサーやカップの金属音が上がり、勢いよく立ち上がる力也の顔は憤怒に満ちていた。

 唖然とする青年と、それを意に介さないように表情を変えない狼と少女の顔がより腹立たしく、少年は激昂する。

 力也は幼少の頃から、母の語る父を一度も見たことがなかった。

 まるで理想の父親を体現したと語る母の言葉に間違いはないのかもしれない、しかし力也からすれば会ったこともない男を父と呼び、それを誇らしげに語る母に戸惑いしか生まれなかった。

 経済的な援助もなければ、手紙を寄越すといったこともなく、離れて暮らしているというにはあまりに素っ気がなさ過ぎる態度に、いつしか父親が疎ましくて仕方がなくなっていく。

 それが今になって、そんな感情で支配された力也は言葉を荒らげていった。


「大体父親だっつうそいつも、実は母さんを騙してる化け物だったってことじゃねえか! アンタらみたいな化け物に命令できるなんて、常識じゃ考えられねぇよ!」

「力也様、それは――!」

「……お言葉ではありますが、それは如何なものかと」

「何が――!」

「それに、貴方様はご自身のことがまるで見えていないと見受けられます。 、そのような物言いは失礼ながら不快と言わざるを得ません」


 怒りで我を忘れている力也に拓哉が言葉にしようとするより先に、彼女が動いた。

 反論しようとした少年に向けて、明美はいつものように無表情で、聞き逃がせない言葉を告げる。

 呆気にとられ、何を言っているといった顔をする力也は少女を問い詰めた。


「今、なんて……? 自分たちと、同じ……?」

「はいっ、力也様。 貴方は人ではありませんよ」

「やめなさいノルン! それ以上は――!」

「お、俺は人間だ! アンタらとは違う……!」

「いいえ、貴方様は私やラディーヴァ卿とは一線を画するです」

「……は?」


 少女の言葉を何一つ理解することができない、およそ自分に向けられているとは到底信じることができない。

 止まらない明美に拓哉が声を荒げるも、力也の必死な否定を切り捨てるように、事実ばかり目を見て言い放った。


「違う……、俺は人間だ! 化け物なんかじゃない!」

「力也様、お認めになられてください。 貴方様は我らにとってそれだけーー」

「いい加減にしなさいノルン! それ以上発言をするというのならば、こちらも容赦しませんよ!?」


 混乱の極致へと陥りかける力也に追撃を続けようとする少女の声を、勢いよくテーブルを叩いて制止し、さらに鋭い眼光を向けた拓哉が黙らせる。

 それでいいのか、そう顔に出して言いたそうにするが、立場を考えればそれができないことを重々承知しているのか、明美はその口を閉ざした。

 じっと事の成り行きを見守っていたキールは息をつき、何度頭を抱えればいいのかと悩む拓哉だったが、やるべきことが一つだけ確かにある。


「……力也様、大変失礼いたしました。 ノルンの不手際、私から謝罪させていただきます。 あとでよく言い聞かせておきますので、どうかご容赦を」

「ーー何なんだよ、もう。 訳わかんねぇよ……」


 深々と最上位の謝辞を伝える拓哉の姿に、毒気と共に意気まで抜けてしまった力也はソファーに倒れるように座り込んだ。

 何も分からなくなり、何が真実か見えなくなっている少年の様子に、キールは困り果て、明美はじっと見つめ、そして意を決した拓哉が顔を上げる。


「正直申し上げますと、ノルンの言葉は真実です。 ですが、これまで人として生活してこられた貴方様には到底受け入れがたいことだというのも、重々承知しております。 ですが、これだけはどうか覚えておいていただきたいのです。 我々は決して、貴方様と貴方様の母君に仇なす者ではないのです」

「……」

「これ以上はお伝えしても、混乱するだけかと思いますので、詳しくは後日お話いたします。 そしてこれが、私から見せる誠意の証とさせていただきます」


 青年の凛とした声を荒波激しく暴れる心を沈めるように、力也は耳を澄ましていた。

 聞いていて心地よく、落ち着きが取り戻せるような感覚に浸っていると、指を鳴らす音と共に正面から淡い光が放たれる。

 顔を上げてみれば、そこに座る青年の姿が、人からあおい竜へと変貌していた。


「改めて名乗りを上げさせていただきます。 私はラディーヴァ、神竜ヴァルフレイル様を王にいただき、神竜妃しんりゅうき様の専属護衛及び王国守護者ロイヤルガーディアン 番外席次エクストラ クラウンの座をいただく者でございます。 以後お見知りおきを、竜藤 力也様」


 すっと立ち上がり、力也の元まで歩み寄ると、迷うことなく膝を下り、右手を胸にかざすようにおいて、拓哉ことラディーヴァは挨拶をする。

 その態度を呆然と見つめ、どのような反応をするのが正しいのかは力也にも分からなかった。

 ただ、目の前の男がどうしてこんなに紳士的に接してくれるのか、それだけは聞いておきたいと思い、問いかける。


「何で、俺のことを気にかけてくれるんですか……?」

「当然のことです。 ヴァルフレイル様の御子おこであること、貴方様という存在を我々はずっと探していたことも含めても、私にとって特別なのです。 それにーー」


 竜の姿になって畏怖の対象となるはずが、静かに顔を上げたラディーヴァの表情はとても穏やかで、そして懐かしくもやっと見つけたという感涙に浸っているように見えた。

 言いたそうにする言葉を無言で待っていると、何とか体裁を保とうとしてそれを告げる。


「貴方様は、我が主であるミリアリス様に似過ぎているのです。 本当に、ずっと、ずっと、ずっと……、お探ししておりました……」


 それを見て力也は、ハッキリと分かった。

 あぁ、この人はどこまで言っても自分を心配してくれる、味方なのだと。

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