第1章 2-1 竜と狼と執事と

 来なければよかったかもしれない、力也は心底そう思っていた。

 しかし見たものをただそのままに受け止めることも、なかったこととして忘れようとしても、忘れられるはずもない。

 そのため男の提案に逡巡こそしたものの、首を縦に振り、二人の後をついて行く決断は最初こそ間違いではなかったと思えた。

 だが問題は初っ端から発生し、人の姿に戻った明美の服が戦いによる被弾からところどころ破れ、肌はもちろん下着まで見えてしまっている。

 目を逸らすが、着替える素振りもなければ羞恥心すらないのか、そのままスタスタと歩く少女にそれはマズいと声をかけた。

 それに対して明美からは『何がマズいのかご説明を』と、またしても質問返しをされてしまい、途方に暮れてしまう。

 隣の男に助けを求めるよう視線を向けても、首を横に振るだけで援護は期待できず、話す時間もあれとして人通りが少ない道を行こうと提案した。

 その言葉に再び竜の姿になって、なかったはずの翼を生やして飛ぼうとするので、それも流石にマズいと男が制止する。

 何がいけないのかわからない明美に、頭を抱える力也と男は極力人気がない道を選びに選び、ようやく彼らのマンションにたどり着いた。

 目的の部屋、というよりはフロアそのものが彼らのものなのかと驚きもしたが、玄関を開けた先で出迎えてくれたのは、何故か生徒会長である。

 聞きたいことが山ほど出てきて混乱の一途を極める力也を更に困惑させる事態が、今まさに目の前で起きていた。


「お待たせいたしました、力也様。 ミルクと砂糖はご入用でしょうか?」

「いえっ結構、です……」

「かしこまりました、こちらに置いておきますので、ご自由にお使いくださいませ」


 部屋に入るのを待ってほしい、鈴木 拓哉の申し出に構わないと告げると、彼は来た道を戻ってリビングへ通じるドアを閉める。

 瞬間、まるで模様替えを大急ぎでしているような爆音が上がり、いきなり過ぎる展開に力也は置いてけぼり感がすさまじかった。

 ただ、それは傍らの男も同じで何をしているのかと驚いているのだが、僅か数秒後に呆然とする彼らを先ほどより穏やかな顔をした拓哉が出てくる。

 招かれ入った先は、モダン調のモノクロームを下地に、クラシックな家具でまとめられたオシャレな室内に、力也は案内された革張りの黒ソファーに腰掛ける。

 目の前のテーブルにいそいそと配膳される紅茶セットとお菓子を載せた台座が置かれ、いわゆるアフタヌーンティー形式に準備が整えられた。

 拓哉の言葉に遠慮気味に答えると、次の準備をとばかり離れる彼の背を見つめて呟く。


「……なんで執事服に着替えたんですか、あの人?」


 丁寧に接してくれるのは良い、拓哉の所作は見ていて好感が持てる上に、こちらへの気遣いにも溢れているため緊張感が安らいだ。

 だがそれを差し引いても、力也は彼がなぜ学生服から黒の燕尾服と白手袋を身に着けた、執事の格好になったのかが気になって仕方がない。

 待つよう言われたあの数秒で着替えたのかと、もっともな疑問を抱いている様子に一人がけのソファーに深く腰かける男が話しかけてきた。


「気にしてあげるな。 執事の仕事はあいつにとって普通のことなんだ」

「し、仕事……? 執事喫茶みたいなところで働いていると?」

「執事、喫茶……? すまない、浅慮ながら言ってることがよく分からないんだが、それは何だ?」

「あっいえっなんでもないのでお気になさらずに」


 どこから突っ込めばいいんだと、力也に対して受け入れろと言われ、余計なことを口走ったためか、男に質問されたのをすぐに問題ないとする。

 明美もだが、ここに来てからアレコレとツッコんでばかりな気もするが、しなければ精神がもたなかった。

 少女よりは常識があると思っていた拓哉も少し突拍子もなく、加えて目の前の男が何より奇妙で力也はどう反応したらいいか迷う。

 接点がない学校の先輩、それも素行不良と言われる彼を相手に変なことを口走れば、何をされるか分かったものではないのだ。

 身構えている少年を見て、男は軽く息を吐いてから言葉を口にする。


「そういえば自己紹介がまだだったな。 俺は柳 翔吾やなぎ しょうご、というのは仮称だ。 もう察してると思うけど、本来の名前はキールだ」

「はいっ、あの、どうも初めまして……」

「そんな緊張しなくていいさ、じゃないな、いいですよ」


 足を組んで両腕を笠木部分に置いた柳ことキールに、力也はおずおずと自己紹介を交わす。

 気負わない彼の態度と言葉に少しだけ安堵するが、急に言葉遣いを正してきたため、どうしてと彼の視線を追った。

 見れば、リビングのさらに奥へ位置するキッチンから、ものすごい顔を浮かべた拓哉が睨みつけており、それを感じて改めたのだろう。

 堅苦しくしないでもらいたい思いから、少年は助け船を出した。


「あの、そう畏まられると困るので、砕けた態度でいいですよ?」

「んっ? いいのか? よしっお墨付きをもらったぞ! 文句ねぇよな!」


 力也の許可を得たキールは待ってましたと言わんばかりに、なにか準備をしている拓哉へ当て付けるよう声を出す。

 納得していないと顔に出ているが、追撃をしてこない辺り、容認したと見なしていいのだろう。

 加えて男は少しだけ期待に秘めた目で力也を見つつ、もう一つお願いをするのだった。


「なぁ、力也様? 問題ないならノルンみたいに俺も本来の姿に戻りたいんだが、構わないか?」

「……っ、その姿じゃ、ダメなんですか?」

「ダメじゃねぇんだけどよ、どうにも慣れなくてな〜。 あっ別に裸を見せるとかはしねぇぞ? 訂正しておくと、アイツだけだからな、抵抗ないのは」


 キールからの願いとは、彼本来の姿になりたいというもので、やはり人ではないのかと分かっていたが、どうしても背筋が強ばる力也は迷う。

 可能ならば人の形でいてほしい、明美も確かに人の形をしているが、竜というおとぎ話にしか出てこない空想上の生物の姿は贔屓目に見ても恐怖を覚えた。

 目の前の男もどんな姿になるかわかったものじゃない、そう思っているとじっと見つめては物乞いするようなキラキラ感が漂う。

 心なしか犬みたいだと思ってしまい、その様子にため息混じりにOKと許可を出してしまった。

 小さくガッツポーズを取り、キールが耳につけたピアスを外した瞬間、その姿は今しがた見たばかりの幻に酷似している。

 ピンと立つ長い耳とマズル、ふわふわと灰色の毛並みに包まれた犬の形をした人が現れた。


「へっ!? い、犬……?」

「ノンノン! 俺は狼、狼な、OK?」

「はっはい……」

「はぁ〜っ! 人間に擬態するのも楽じゃないんだよ! 元々あるものがないっていうのは落ち着かなくてな? 分からんだろうけど、尻尾がないってだけで最初は戸惑ったもんだ!」


 力也の言葉に大きな耳がピクリと動き、すかさずキールは種族が違うと訂正と理解の改めを求めた。

 正直違いが分からない、という本音は置いておくとして、首を縦に振れば満足そうに座り、後ろに生えた尻尾が嬉しそうに揺れる。

 やっぱり犬ではと、戻れた喜びで鼻歌を歌いつつ、キールは目の前にあるカップを手にとってポットに注がれた紅茶を飲んでいた。

 残る一人もそうだが、いそいそと支度に忙しくしている拓哉を遠目に見て、力也はカップを取る。

 透き通るような色味の紅茶を見て、何もはいっていないことを祈りつつ、喉の乾きを潤そうと一口だけ飲んでみた。


「……!? うわっ、めちゃくちゃ上手い、これ!」

「そうなのか? 俺は何飲んでも変わらねぇんだけどな」

「貴方が味覚音痴なだけですよ。 力也様、お気に召していただけましたか?」

「はいっ、あのっこれってもしかして、すごく高いんじゃ……」

「こちらは、マリアージュフレールのマルコポーロになります。 もしや、ご存知でしたか?」

「やっぱりか……。 これっうちの母も大好きなやつなので、たまに一緒に飲んでるもので……」


 市販で飲むペットボトルの紅茶が思い出せなくなるほどの味に、力也は淹れられた紅茶の味に驚かされる。

 少年の態度にキールはガバガバとついでは飲んでを繰り返し、作法もなっていないといつの間にか側に来ていた拓哉も会話に加わった。

 紅茶の味について聞かれたので答えると、嬉しそうにする生徒会長だったが、力也の飲み慣れたという発言の後に意表を突かれたような顔をする。


「お母様、ですか……。 あの……」

「はい?」

「……いえっ何でもございません。 お口に合っていたようで何よりです」

「そんな、こんな味はなかなか出せないですよ。 母さんがやると上手いときもあれば、エグかったり渋すぎたりで、飲めないときもありますから」

「……そうでしたか」


 何かを聞きたそうな顔をする拓哉だったが、言葉を引っ込めて態度を取り繕う様子に、力也はキョトンとする。

 続けてこんな美味しい紅茶は飲んだことがないと、家で飲むときの母は淹れ方が上手くないと遠回しに伝えると、何故か目を逸らされた。

 何かを思い出しているような拓哉だったが、すっと廊下へ通じるドアへと顔を向けて、息を吐く。


「すみません、少し席を外します。 キール、任せましたよ」

「あいよ、程々にな」


 頭を下げ、後をキールに任せるよう拓哉がリビングから出ていく、その直後に彼の怒号が閉められたドア越しからでもよく響いた。

 誰に怒っているのか考えるまでもない、自分だけが苦労しているわけではないのだと、妙に納得した力也は紅茶を飲んで心を落ち着ける。

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