第1章 1-3 力也の悩み、母の怒り

 宣言通り、力也たち三人は駅前にあるファミレスへ向かい、生徒会長との接触で思ったことを言い合う。

 敵意がない、この点だけははっきりしていたので、その後は話しかけられても適度に応じればいいと結論が出た。

 無事問題が解決し、お会計を済ませて店舗前で徹と別れ、買い物があったという若葉と共に、力也は繁華街へ向かう。

 頼まれていたコーヒーを買って、一瞬どうしたものかと悩みつつも、ドラッグストアで髪染めを求めることにした。


「染めちゃうの? そんな良い色なのに」

「教師に睨まれるよりはマシだろう? スプレーで誤魔化しても良いかもしれないけど、何回もかけるのは面倒くさいし」

「……目立つからって、出る杭を叩くってどうなんだろうね」

「仕方がないさ、それが人間ってものさ」


 商品を手に取り、レジへ向かう途中に納得できていない若葉は、力也がここまでする必要はないと訴える。

 当人がその気ならば効果はあるが、事を荒立てたくない彼は気持ちだけ受け取っておくと遠回しに伝えてきた。

 社会という枠において、圧倒的多数こそ美徳であれと考える風潮の中、力也のような少数派が肩身の狭い思いをするのは常である。

 不条理と嘆くことはできるが、それがひいては現在の世界を成り立たせていると考えると、仕方のない話と誰もが片付けてしまいがちだ。

 苦しくてもしょうがない、力也も髪色についてはそう受け止めて納得したフリをしている。

 レジにて購入するものを見て、店員さんがもったいなさそうな顔をし、周囲の客からも外国人と勘違いされるほど、力也は目立つのが当たり前だった。

 目的のものを買い終えた頃には陽も沈み始めていたので、帰路へ二人は着く。


「今日も今日とていろいろあったなぁ。 特に佐藤先輩と鈴木先輩、あの二人がなんで俺なんかを気にかけるのやら」

「気にしても仕方ないでしょう? 結果的に知り合いになったんだから、それとなく付き合えば問題ないでしょう」

「そうだな、うんっそうするわ。 ありがとう、若葉」

「……お礼なんて、別に良いから。 当然のことをしているまでだし」


 力也と若葉は並んで帰り、途中まで彼女を送り届けてから少年もまた家への道を歩み出した。

 そうして見えてきた頃には、すっかり陽も地平線へと沈んでしまい、月が出始めている。

 やがて到着した自宅の門扉を開け、玄関扉を開けて入ればそこにはまるで帰ってきたのを分かっていたかのように美里亜が立っていた。


「おかえりなさい」

「ただいま、相変わらずいつも良いタイミングで立っているよな、母さん」

「お母さんに分からないことなんて何もないのよ?」

「はいはい、これ頼まれていたコーヒー。 あとでお金頼むよ」


 出迎えてくれた母に帰宅の旨を伝え、持っていたビニール袋を渡してから靴を脱ぎ、スリッパを履いて自宅へと入る。

 横をすり抜けようとすると、そっと肩を掴まれたので何事と力也は振り返った。

 穏やかな顔を浮かべた母の表情に、何かをやらかしたわけではないと直感で悟った少年は次の行動を待つ。


「……お風呂、沸いてるから先に入る?」

「えっ、良いの? じゃあありがたく」

「はいはい、ゆっくり浸かってらっしゃい」


 二拍遅れて言葉を口にする美里亜からは、入浴の提案だったため力也は拍子抜けしてしまった。

 大事でもあったのかと身構えてしまうも、問題ないのだろうと安堵して、自室がある二階へと上がっていく。

 一番風呂が待っていると少し陽気な足音を立てながら部屋へと入室していく様子を確認してから、美里亜は掌を確認した。

 先ほど触れた力也の肩、正確には服の上から張り付いてたを彼女が気づかれないよう剥がし、その塊が蠢いている。

 対象から引き剥がされ、剥がした相手を呪い殺さんばかりに動くも、それを美里亜は冷たい視線で見下ろしていた。


「……趣味が悪いわね、全く」


 ポツリと一言呟くと同時に、取り囲むように展開された無色透明の檻が瘴気を閉じ込め、そのまま跡形もなく空へと還る。

 美里亜は息子が気づかないまま呪いを自宅へ持ち込んだこともだが、それ以上に力也の周囲が慌ただしくなっているのを知っていた。

 本人の口から聞いたわけではなく、彼女が張り巡らせている網にかかって知らされるので、手に取るように把握している。

 それはおよそ人の為せる技ではなく、曰く神秘と呼ばれる力を行使しているためだ。


「何事もなければ良いと思っていたけど、そういうわけにもいかないか……」


 懸念はあるが、息子の私生活に不躾なほど介入することは、今の美里亜にはできそうになかった。

 故に見守るしかないわけだが、そう悠長なことを言っていられるほど、状況が安穏としているわけでもないため、どうしたものかと悩む。

 母の気苦労など知る由もなく、ドアを開けて風呂を目指し降りてくる力也の陽気な鼻歌を耳にして、母という仮面を被り直すのであった。



「……」

「あの、母さん……? 何もそんなに怒らなくても……」


 入浴後、力也は母と食卓を囲んでいるのだが、目の前の女性は酷くご立腹で、怒りから黙り込んでいる。

 何故か、それは息子が浴場へ持ち込もうとしていたものを視認し、何故そんなものを使うのかと問い詰められ、理由を話したからだ。

 一番風呂を喜んだのは、まだ食事の支度が終えていない母がリビングから離れられないため、その間に染めてしまおうと力也は企む。

 だが予想に反してまだ玄関にいた美里亜に、いそいそと通り過ぎようとするが、隠蔽虚しく見つかってしまったのだ。


「染める必要はないわ、力也。 明日私の方から抗議するから」

「い、良いってそんなことしなくて!」

「良くないわよ、なんのために許可を取ったと思っているの? 大体、力也のその髪は生まれつきなのよ、証明するために書類だって用意したのに、これじゃあ何もかも元の木阿弥じゃない」


 息子が言われない罰を与えられそうになり、決着したはずの話を蒸し返されれば、親としては黙ってなどいられないだろう。

 過保護すぎると訴えても、母は聞く耳を持とうとせず、力也に非はないことを伝えてきた。

 それは間違いない、だが何事も平穏に過ごすためには、どこかしら妥協することも大事だというのを力也は知っている。

 今回も母の手を煩わせたくない、その思いもあって秘密裏に動きたかったが、叶う可能性はなかった。

 こうなることだけは避けたかったと、ご飯を口に運びモソモソと食べていると、不意に力也は頭に手が置かれている感触を覚える。

 見上げれば隣に来た母に、髪の毛を撫でられ、悲しくも温かな瞳が向けられていた。


「……この髪はね、力也。 あなたのお父さんがあなたに与えてくれたものなのよ。 それをただ目立つから、派手だからっていう私怨で弾圧して良いわけじゃないわ」

「それは、そう、だけど……」

「それにもし、そんなことを許したらお母さん、お父さんに顔向けができないじゃないの。 だから、染める必要なんてないわ。 力也は悪いことなんて何もしていないんだから」


 自分を気遣ってくれる母の言葉は素直に嬉しい、

 会ったこともない、見たこともない、写真すらない父の話をする母の姿に、どうしてもそこまでと手に持つ箸を潰しかねないほど強く握り締めた。

 醜い顔を浮かべているかもしれない自分の表情を見せまいと、そっと俯く力也の様子に、美里亜は複雑な思いを抱いてしまう。


「……食事中にする話ではなかったわね。 さぁ、冷めてしまわないうちに食べましょう」

「うん……」


 重苦しい雰囲気になってしまったものの、食事は済ませなければならないと、話を切り上げて二人は食事に戻る。

 気まずい空気の中、食べるのに集中できず、どうしたものかと悩む力也は助けを求めるようにリモコンを取った。

 スイッチをつけて設置されたテレビから音が発信されると、昨今話題のアニメである悪役令嬢転生シリーズについての特集が流れる。


「……悪役令嬢? どういうこと?」

「最近流行の転生系作品のことだよ。 現代で死んだ人がゲームみたいな異世界に転生し、生まれ変わった先が破滅しかない悪役令嬢だからって、悪役にならないよう足掻いて、最終的にヒーローたちと結ばれるっていうね」


 他の話題を求めていたのは母もそうだったものの、テレビから聞こえた聴き慣れない単語に、力也が説明する。

 アニメや漫画、小説はそこまで深く突っ込んで読んで観ているわけではないにしても、流行りを知るために彼も浅く広く知ってはいた。

 ヒロインが転生した先が悪役令嬢で、転生先のヒロインも転生者で、自分がヒロインと我が物顔をする様に、悪役令嬢が必死になって抵抗し、活路を見出すことを説明する。

 そこまでは良かった、だがある程度の説明を終えた力也が見たのは、母の不満げな顔だった。


「えっ? あの、どうかした……?」

「くだらないわね、どうしようもなく、くだらなすぎる」

「い、いやっ、フィクションだし、創作なんだから別にそこまで……」

「なら力也は、転生した先では自分が主人公だからと、ゲームの世界だと思い込んでそこで生きている人たちを蔑ろにすることは、間違いではないと言えるの?」


 忌憚なき言葉には刺があり、不快とばかりに機嫌が悪くなる母に力也は宥めようとする。

 それを美里亜が正論まじりに、こうした作品に対して誰もが抱く意見や感情をぶつけてきたので、思わず黙ってしまった。

 そこが楽しいところなのだと、それを武器に傍若無人のヒロイン気取りな女をざまぁする、というのが面白いのだと言いたいところだが、今の母にはそんな言葉が届きそうにない。


「そもそも転生ヒロインの転生先が男爵家って、そんな家系の人間が王室に迎え入れられる可能性なんて、限りなく0に近いわ。 王家と何かしら縁がないと、まず無理よ」

「あの、母さん、何をそんなに怒って……?」

「無責任すぎるからよ、そのヒロインが。 高位の貴族ともなれば政略結婚なんて普通なのよ、それを台無しにすることで国にどれほどの不利益をもたらすと思う? 王家と、公爵・侯爵レベルが取り交わすようなものともなれば、国を左右するだけの一大事なの。 それを破綻に追い込んでみなさい、反発は免れないし、最悪クーデターだって起きるわ。 ゲームシナリオだからって、やりたい放題して良いわけではないっていうのよ。 その結果、国が滅びることだって十分起こり得るのだから」


 激昂し、力也を睨むような目つきで話す言葉に押されながらも、息子は妙に説得力のある母の言葉に思わず納得もしてしまう。

 まるで実際に見て感じて、体験したかのような重みのある指摘に、何をそこまでムキになっているのだろう、その疑問も同時に抱えるが、勢いを増す母に言葉が出せなかった。


「大体ね! 王太子と結ばれるだけならいざ知らず、他の貴族子弟と関係を持って逆ハーレム、とか訳のわからないことをしでかす方が余計にタチが悪いわよ!? 貴族に生まれた以上、体裁を守るのはとても大事なことなのよ? 風評で家が傾くなんて普通にあるし、それを見目麗しいからと籠絡するってどうなの!? 男も男よ! 性悪ヒロインに呆気なく絆されるなんて、下半身が緩すぎるのよ!」

「分かった、分かったから母さん落ち着いてくれって!?」

「……ごめんなさい、少し頭に血が上りすぎたわ。 お茶、入れるわね」

「あ、あの、はい、ありがとう、ございます……」


 ボルテージが上がり、自分のことのように語る母の迫力に、力也は必死に宥め、抑えようとする。

 その言葉にハッとなり、ついムキになりすぎていたことを自覚した美里亜が、申し訳なさそうに咳払いした。

 若干顔を赤くしつつ、誤魔化すように席を立ってキッチンへ向かっていく。

 これで頭を冷やしてくれるだろうと、母の中で何がそこまで怒りを抱かせるのかわからなかったが、転生ヒロイン物語系が逆鱗であると息子はそっと心に留めおくのだった。

 食後、みっともない姿を見せてしまったと母が用意したのは、手作りのジェラートを出してくれたので、部屋に持っていき力也はその絶品さに舌鼓を打って1日を終える。

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