第1章 1-1 何気ない日常、無表情な女生徒
時は西暦2000年代へと突入して20年近い時間が経過していた。
その時代の日本は東京、その中の一つに構成されている町山市にあるとある一軒家の住宅は、朝から音が響いている。
白を基調とした天井と壁紙に包まれた部屋にて、けたたましく目覚まし時計が騒いでいた。
室内に設置されたベッドでは、音に反応してもぞもぞと布団の中でもがき苦しむように、手が伸びた。
置いてあるはずの時計を探し、ようやく見つけるとアラーム停止のスイッチを押せば部屋に静寂が戻る。
それに安堵して、布団の主は満足げに息を吐いてから再び寝息を上げ始めた。
もはや邪魔者は誰もいない、そう高を括っていた主をあざ笑うように部屋の扉が思い切り開かれる。
「力也! いつまで寝てるの、いい加減起きなさい!」
女性特有の高くもどこか気品もある気高き声が、眠りに就こうとしていた主を震わせる。
どうやらまだ来ないだろうと踏んでいたが、宛が外れたようで、布団を剥ぎにくる女性の手に必死で抗い始めた。
「もう、毎朝、何でこうなのよ!? 抵抗はやめなさい……!」
「もう少し、もう少しだけ!? 母さん、成長期の子供には睡眠だって大事なんだぞ!」
「屁理屈言うなら、もっと早く寝なさい……! ほらっ、起きる!」
布団一枚の瀬戸際攻防を繰り広げる、女性こと母に対して息子と思しきテノールの声が言い訳を繰り出す。
聞き飽きたとばかりに母親が布団を取り上げ、現れたのは紺色のパジャマを身に着けた少年が現れた。
最後の砦を崩され、渋々といった様子で起き上がる彼は全体的に色味が白く感じられる。
欠伸をして伸びをする少年を確認して、長い髪を一つにまとめている女性はカーテンを開き、室内へ陽の光を通した。
瞬間、太陽光に当てられて少年の白とも銀とも言えるような髪が輝き、プラチナブロンドを彷彿させる色合いを放つ。
「目が覚めたなら早く着替えなさい。 今日布団干しておいてあげるから、出しやすいようにしておいてね」
「へ〜い、ふわぁ〜ぁぁ……」
すでに起きて活動的な母の快活な声に、気の抜けた声で少年は寝ぼけ眼ながらすっと立ち上がる。
これ以上寝ようものなら本気で怒られると分かっているので、無用な喧嘩は避けたいと彼なりに考えていた。
力の抜けた子供の様子にため息を漏らしつつ、部屋を後にする女性は足取り軽やかに階段を降りていく。
遠くなる気配に、少年こと
雲ひとつない青空の朝、また新しい一日を迎えた彼は気づく。
「……宿題、やってなかったわ」
清々しい朝とは正反対に、絶望を味わう羽目になるのであった。
「じゃあなに? 夜更かししていた割に宿題を忘れていたの? もう、だから帰ったらすぐやりなさいと言ってるのに!」
「ごめん、でも大したものじゃないから、大丈夫だって!」
「そういう問題じゃないの! 貴方って子は、どうして後回しにしがちなのかしら……」
学生服に着替え終えた力也を待っていた母、
叱れど当人は気にした様子もなく、パクパクと朝食のご飯を平らげていった。
非常に健康的といえるが、美里亜からすれば呑気すぎる子供に頭を抱えてしまう。
そうこうしている内に食べ終えた力也は、早々と食器を流し台に片付けると、部屋から降りてくると共に持ってきたリュックを背負った。
忙しない姿に親心から、もっと余裕を持って行動してもらいたいという言葉を呑みこみ、美里亜も席から立ち上がろうとする。
「見送りはいいよ、母さん。 じゃあ行ってくるから」
「いいの? 反抗期かしら、お母さん悲しいわ」
「そうじゃない、まだ食べてるじゃないか」
「あらっ気遣ってくれたの? ありがとう、ついでに帰りコーヒー買ってきてね、お金は後で渡すわ」
「……ホントいい性格してるよな」
「何か言ったかしら?」
「な~んにも。 行ってきます!」
「はいっ、いってらっしゃい!」
親子の他愛ないやりとりを交わし、力也は母の言葉を耳半分に受け止めつつ玄関へ向かう。
帰ってきてそのままにしていたローファー靴を履き、玄関扉を開けて外へ出た。
庭に出て門扉を開いて閉じ、ふと見上げれば小さいながらも立派な一戸建て住宅が見える。
力也と美里亜の二人だけが暮らしている、竜藤家の拠点とも言うべき場所だ。
不意にリュックの袖部分を強く握り締め、振り払うように力也は駆け出す。
遠ざかる我が家を尻目に加速していく少年は、学び舎へと向かうのであった。
竜藤 力也について語るなら、一言で述べれば今年高校へ入学したばかりの学生だ。
一般的な、と言われるとその枠からは残念なことに外れてしまう。
まず初めに、その髪は生まれつきの、美しいと言う言葉が似合いすぎるホワイトブロンドだ。
母である美里亜は黒髪なので、父親譲りと幼少期の頃に聞かされ、そうなのかと当時は納得する。
当然目立つことこの上なく、学校側からも統制のために黒へ染めるよう強要された過去もある。
それについては母が前に出て、あろうことか各遺伝情報やらの書類を提示、素晴らしすぎるプレゼンで頑固な教師たちを黙らせてしまった。
公的機関が認めた書類を前にして、力也の髪については不問とされ、もし何かあれば出すようにと母から予備の書類を受け取っている。
それだけならまだ良かったが、目鼻立ちも母譲りで可憐さがあり、しかし男性的な雰囲気を纏うこともあって、何かと騒がれていた。
ここまで来ると非常に傲慢で、かつ自意識過剰すぎる自尊心に満たされると思われたが、幸いなことに彼はそうならずに済んでいる。
「……よしっ! 終わり〜!」
「お疲れ、今度何か奢れよ〜」
「いつかな」
「そう言って何も奢ってくれてねぇよな?」
「旦那、ちょっと秘蔵の物を手に入れやしてね? これで手打ちとしようや」
「その話、じっくり聞こうか。 ふふふっ越後屋、貴様も悪よなぁ」
「いえいえっお代官様こそ、クックックッ……!」
学校に着いた力也は始業ベルが鳴る前に、やり忘れていた宿題を無事片付ける、友人のを参考という模写する形で。
慣れたとばかりに相手をしている、髪を逆立たせている少年
登校した時は疎らだった生徒たちも、教室を埋め尽くすように集結し始め、やがて予鈴が学内に響き渡る。
音と同時に現れた担任教師に生徒たちは自席へ戻り、力也と前の席の徹も背を正して腰掛けた。
朝のHRにて今日の予定と、伝達事項があるならばそれらを生徒たちへ共有する、いつもの日常である。
ふと教師と視線が合えば、なぜか怪訝そうな顔をして逸らされてしまう辺り、禍根は燻り続けているようだ。
それを内心苦笑しつつ流し、HRを終えて担任教師が出ていくと、室内のざわめきが戻り始める。
「めっちゃ睨んでたよな、岡やん。 力也の髪でまーだ根に持ってるんだな」
「みたいだ。 地毛だって言ってるんだけどなぁ」
「それな! だって力也ん家の母ちゃん黒なのに、何で白なんだよって! でも羨ましいぜ、染めなくて良いのは」
「そうか? こう見えて髪は細いし、何だかんだ手入れが大変なんだよ。 それに髪切ろうとすると、美容院には行くなって言われるしで……」
「えっ? まだ母ちゃんに切ってもらってたのか? えっ、その髪型って力也のお母様作なの? ねぇ今度俺の髪もやってくれないか頼んでくれねぇ!?」
「お前、そう言いつつ母さんに会う口実にしてるだろう……」
授業前のほんの僅かな時間ですら、話す時間として生徒たちは言葉を伝え合う。
高校へ入学してから一月ほど経ったこともあり、親睦を深め合っているのもあるが、力也が話す徹は幼馴染でもあった。
何だかんだと高校まで共に上がり、家のことや親のことも知り尽くしているので軽口が絶えないのもあり、やり取りはかなり勢いがある。
「もう少し高校生らしいやり取りしなさいよ、アンタたち」
「何だよ、別にいいじゃねぇか」
「そもそも高校生らしいってどんなだよ?」
「えっそれは……、大人ぶる?」
「疑問形」
「それこそダサくねぇ?」
「うるさい」
そんな姿を見て、力也の隣の席に座っていた長い黒髪を一つにまとめた少女
男子二人はあまりに抽象的だったので具体的な内容を問うも、若葉もあまり考えていなかったようで、余計に話が拗れる。
この少女もまたそれなりに長い付き合いになるので、そこまで気にせず少女も加わり3人で話し始めた頃、1限目の授業を担当する教師が現れた。
続きは後ほど、そんな暗黙の了解を経て学生たちは勉学に励んでいく。
「昼〜♪ さて、今日は何を食べるか?」
「いいよなぁ徹んちは。 毎日昼代貰えて」
「力也んとこは毎日弁当作ってくれてるじゃん。 俺なんか共働きだからって疲れて面倒って言われてるから、結構羨ましいんだぜ?」
数時間後、時計の針が12時を指すと同時にベルが校内に木霊した。
午前の授業は終わり、教師生徒問わず誰もが昼食を取る時間になったことを知らされる。
力也も例外なく徹と席を立ち食堂に向かうが、母美里亜のお手製弁当が入った保温バッグを持っていた。
この日は徹が食堂で食べるとのことで付き合いも兼ねて、学食へ向かうことにする。
着いた頃には大半の生徒たちが押し寄せ、食事を受け取ろうと行列を作っていた。
嬉しくない並び順だと、他人事として眺める力也は幼馴染と一旦別れて席を確保するため別行動をする。
いつもこうしているので、広い食堂内に二人で座れる席を何とか見つけ、腰を下ろし場所を確保した。
「さて、来るまで時間掛かるだろうし、食べてるか。 いただきます」
空気を読むのであれば友人が来るまで食べるのを待つ、というのが自然と言っていいかもしれない。
だが力也は、お腹の減りが異常に早すぎるのか、空きすぎているときは待つのが苦手だった。
故に申し訳無さはあるものの、腹が減っては戦はできぬと言って、先に食べてることを事前に取り決めていた。
二段重ねの弁当箱に、片や彩り豊かなおかずが敷き詰められ、片や白いご飯の中心にツナマヨが添えてある。
胃袋を掴まれているのは承知の上と、好みを押さえつつ栄養が偏っていない抜群のお弁当に、力也は母に感謝していた。
いつも早く起きて食事を作り、自宅でフリーのジュエリーデザイナーとして活動し、家事をこなす美里亜への尊敬は忘れたことがない。
それが逆に、力也の中で見たことのない父を思う度に憤るような感情を抱いたとしてもだ。
食事中に余計なことを考えるのは止めようと切り替えようとした時だ、ガタリと正面の椅子が引かれたので顔を上げる。
「あれっ、早いな? もう受け取って……」
徹が来たと思って声を出す力也だったが、そこにいた相手を見て言葉を失ってしまう。
待ち人である少年ではなく、竹刀袋を肩にかけ、食事を乗せたトレーを持ったどこか勇ましい女生徒が立っていた。
唖然とする姿など気にもせず、憮然とした顔を浮かべた少女は言葉を出す。
「……ここ、いいかしら?」
「えっ!? いっいやっ、人が来るから、その……」
「そう、なら」
「すみま……、って!? 席持ってくれば良いってことじゃないですよ!」
鋭く相手を萎縮させるだけの迫力を持つ少女の言葉に、力也は遠慮気味に席が埋まっている旨を伝える。
それならばと、少女は近場の空いていた席を見つけると、それを持ってちょうど真ん中に位置する形で腰掛けた。
テーブルにトレーを置き、戸惑う力也を尻目に昼食を食べていく。
知り合いといえば知り合いなのだが、この少女は学内ではちょっとした有名人だと入学時に聞いていた。
佐藤 明美、2月に編入し、今年度2年生という立ち位置の彼女は言ってしまえば力也たち1年生とそこまで差はない。
変わった時期に入学した彼女は変に悪目立ちしているが、それ以上に彼女を有名人足らしめているのは食べているときでさえ片時も下ろそうとしない竹刀袋が関係していた。
「……何?」
「いっいえっ、何も……」
「……そう、力也くんは今日もお弁当?」
「はっはいっ……」
重みなど感じていないかのように橋を動かし、素早く的確に飲み込むように食べていく明美の姿は、力也だけでなく周囲の生徒も注視してしまう。
視線が多く集まっている中、無理矢理同席している少年の瞳にだけ反応し、話しかけてきた。
こうして見ると知り合いのように見えるが、力也は明美のことを入学時に噂で聞いただけの、他人でしかない。
それがどういうわけか、ある日にこうして食堂で徹と食べていると、彼女の方から話しかけてきたのだ。
「きちんと食べなくてはダメですよ。 体にエネルギーが無くては何もできませんから」
「お、お気遣いありがとうございます……」
「……ごちそう様でした。 それじゃあ」
上級生の女子から話しかけられる、というのは年頃の男子からすれば夢のようなシチュエーションだろう。
しかし佐藤 明美という少女に限っては例外中の例外で、常に無表情で無口、加えて竹刀袋を手放そうとしない態度に男女問わず敬遠されていた。
それだけならばまだ少し変わった人だと取ることもできるが、彼女を有名人にしたのはある事件がきっかけだった。
とある男子生徒がはっちゃけて、明美の竹刀袋を取り上げてしまうのだが、それを瞬時に取り戻すと同時に全身を叩きつけるように殴ってしまう。
まるで相手を傷つけることに慣れているようだったと目撃者が話し、男子生徒を病院送りにした彼女は途端に問題児認定された。
曰く付きすぎる明美が食べ終わり、力也を気遣うよう声を掛けて離れていき、遠くなった背にようやく安堵したように息をつく。
それに合わせて、物陰に隠れていた徹が現れた。
「……大丈夫か?」
「早く出てきてくれよ、俺あの人苦手なんだ……」
「俺だってそうだよ。 ていうかさ、ホントに佐藤先輩と面識ないのか? あの人誰とも話さないって有名なのに、なんでお前にだけあんな気やすいんだよ?」
「俺が聞きたいっつうの……。 ていうか、話さないってのは正しくないと思うぜ?」
「へっ? あっ、あぁ~っそういえばそうだな」
テーブルに倒れこむ力也を気遣う徹に対して、遠回しに薄情者と抗議する。
だがそれもやむなしと分かっているので、すまなそうにする姿に力也はそこまで本気ではなかった。
異端すぎる明美に苦手意識を持つなという方が難しいだろう、それでも中には例外は必ずいる。
トレーを片付けて食堂を出ようとする明美を後ろから呼び止めたのは、生徒会長に就任した同じ2年生の男子だ。
しかもこの生徒もまたかなり有名で、昨年入学したばかりで生徒会長選に立候補し、見事当選して1年生から会長に就任しているという。
それもかなりの辣腕という話で、今では人気も非常に高いという、絵に描いたような優等生っぷりを発揮していた。
そんな彼が明美へ気兼ねなく声をかけ、無愛想に接する彼女に好意を抱く同性たちからのやっかみ混じりの視線が浴びせられるが、当人は気にした素振りを見せない。
すると気遣うように生徒会長が彼女を連れて食堂から出ていこうとするので、そのせいで一部の生徒たちが盛り上がりを見せた。
その時ふと、生徒会長の視線が力也を射抜くように向けられたと、なぜか錯覚する。
面識はないに等しい、気のせいと頭を振り払い、嵐のように現れた学園最大の問題児の爪痕を忘れようと、力也たちは昼食時間を再開するのだった。
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