ベルクレス物語
風鳴
第0章 断罪エンド、そして、竜と聖女の契り
その国はファーネル神聖魔法帝国と呼ばれていた。
白亜の城が建造された美しき都は誰も彼もが幸せに暮らし、その暮らしには魔法が寄り添っている。
精霊などの自然界に属する存在も多く存在するその国は、まさに栄華を極めていた。
絢爛綺羅びやかな大理石のホールにて、凛とした男の声が響き渡る。
「ミリアリス·カイゼル! 私は今ここに、貴様との婚約破棄を言い渡す!!」
華やかな音楽が奏でられ、人々が踊りに夢中となり熱に浮かされていた中、それは起きた。
ホールの奥、設置された階段に登った銀の髪を靡かせる美しい男性が、その美貌に似合わない鋭い双眸を向ける。
その相手である少女、というには幼くもない、しかしあどけなさもある金沙の髪をたなびかせる彼女は落胆していた。
この状況になることは分かっていた、そう言わんばかりの態度をしてただじっと壇上にいる男、そして彼の側にいるライトブラウンの少女へ視線を傾ける。
「……一応、理由をお伺いしてもよろしいですか? クリストファー王太子殿下」
「理由だと? 何もしていないレティシアを散々と苛め、彼女の身も心も傷つけ続けた悪女の貴様が問うか!?」
「クリストファー様……」
「大丈夫だレティシア、私がついている」
憐憫すら通り越して、憐れになってくるミリアリスの顔は三文芝居を繰り広げるクリストファーとレティシアを眺める。
どうやら彼女を散々と苛めるため、様々な悪事を働いたと彼らは宣っていた。
賛同するように王太子の側近、騎士団長の息子、宰相の息子といった次期国の中枢となるべき子息まで出てくる。
話には聞いていたが、ここまでとはとミリアリスはため息をつきたくなるのをなんとか堪えた。
茶番が過ぎると、哀れな男たちが守ろうとする自称儚げで可憐な令嬢は、誰に見られることのない冷笑をミリアリスに向けている。
「貴様の悪行は白日の下に晒された! その罪、我が父たる王も認めた! 稀代の悪女ミリアリス、貴様の刑は追って伝える! 衛兵、連れて行け!」
クリストファーの号令に従い、ミリアリスは警備についていた兵たちに取り囲まれ、身柄を拘束される。
反抗はなく、嘆き喚く事もせず、ただ静かに受け入れながらも姿勢を崩すことなく、令嬢然としてホールを去っていった。
王太子たちは酷く歪んだ表情を浮かべる一方で、それに反する人々、兵たちの多くが事態を飲み込めぬまま、彼女を見送るしかできなかった。
「……という感じですね、
『いや待て、さっぱり分からんぞ。 悪事を働いた罰として生贄に捧げられるなど、全くもって理解不能なのだが……』
「それは私もなのです、本当にあの人は諫めても治りませんでしたねぇ」
『めちゃくちゃ他人事ではないか、お主……』
その後、ミリアリスは悪女と罵られた挙げ句に、山に住む竜への供物として捧げられることとなる。
そして現在、悪人となった少女は山にある竜の住む洞窟におり、正面には巨大な黒竜が鎮座していた。
洞窟内の巨大な空洞にその身を置く雄々しく、逞しくも偉大な姿を前にして、ミリアリスは酷く砕けた態度をとる。
不敬だと罵られてもおかしくない埒外の存在たる竜は、それを良しとするように諫めることもなかった。
何故かといえば、ミリアリスは目の前の竜とは以前からの知己だからだ。
「他人事ですよ、今や私は悪女で、レティシア様が聖女と呼ばれてます」
『はっ? 聖女だと? 本物であるお主を前にして、堂々と偽物を祀り上げたのか?』
「王太子殿下曰く、啓示は下ったそうですよ。 十中八九嘘でしょうけど」
『……飽きれて物が言えんな。 ファーネルはそこまで堕ちたのか。 やれやれ、欲に胡座をかくからこうなるのだ』
全く情けない、その一言と共に竜の息吹がミリアリスにまで届くほど吹きすさぶ。
規模の違うため息を放つ竜の呆れ具合は、彼女としても同じくらい感じていた。
なぜ、ここまで愚かになってしまったのかと、嘆いても嘆ききれないほど事態は悪化しているのを、どれほどの人間が理解しているのか。
『そもそも、私への贄とはまた随分と巫山戯た話だ。 かの者はよほど物事が見えておらぬのだな』
「……私が諌めきれなかったところもあります、申し訳ありません、ヴァルフレイル様」
『主が謝ることではない。 だがこれは、ある意味私にとって岐路とも言えるだろう』
「それは、どういう……?」
ミリアリスの無念は竜、ヴァルフレイルにも伝わってたのか、あるいは此度の一件が契機になったのかもしれない。
少女が竜を見上げると、鋭くも真っ直ぐな瞳がか弱き人の姿を映し出し、ゆっくりと細くなっていった。
よく見れば口元はおろか、顔全体から感じ取れるのはとても穏やかで心地よさすら錯覚するほどのもので、ミリアリスは竜の御言葉を待つ。
『ミリアリス·カイゼル、私の妻にならぬか?』
「……えっ?」
『貴様にはその資格がある。 ファーネル王家の傍流であり、かつ私が神託を与えても良いと思えたあの娘に貴様はよく似ている。 その清純な魔力と意思、気高さの中にある誇りと信念、そして自他問わず厳しさと優しさを併せ持つ貴様の姿は、見ていてとても美しかった』
「ヴァル、フレイル様……」
『そうさな、飾る言葉を捨てるならば、私はずっと貴様、いやっそなたに心惹かれていたのやもしれん。 幼き頃より念話で話していたが、あの頃と今では想いの強さが増していくばかりだ。 これは人でいうところの恋、というものであろう?』
出てきた言葉を理解するのに、ミリアリスは時間がかかった。
彼女の言葉を待つことなく、独白のようにヴァルフレイルは少女を賛美し、どれほど恋い焦がれていたのかをまざまざと晒した。
これほど情熱的で、かつ言葉にしきれないといった溢れんばかりの想いに、公爵令嬢として築いてきた少女の牙城に亀裂が走る。
予想していなかった展開に、祈るように合わせていた両手を顔に当てれば、酷く熱を持っていた。
「わ、私に、そのような大仰な、いえっ決して嬉しくはないというわけではなく……!」
『ならば何が心残りだ? そなたと私の仲だ、遠慮することはない』
「……ヴァルフレイル様の想い、それに私が答えられるかどうかは分かりません、 ですが……、心残りがあるとするならば、それは……、父と母、公爵家の皆を思うと、私だけ幸せに、なんて……!」
ミリアリスとヴァルフレイルは、少女がまだ幼い頃より魔力を用いた念話を通じて交流を深めていた。
その当時は竜も親心のような気持ちで接していたが、時が経つにつれて想いへと変化したのだろう。
嘘偽りない告白に、ミリアリスは嬉しくないわけなかった、ただそこに自分の置かれた立場によって周りを不幸にした罪がその小さな肩に重くのしかかった。
ここに来るまで泣き言など一言も漏らさなかった少女は国の家族を思う、最後まで抵抗し、公爵家全員が逆賊として捕えられてしまったこと。
むせび泣く彼女に黙って見つめるヴァルフレイルだったが、何かを思いついたようにその大きな口を動かす。
刹那、ミリアリスからおよそ20mほど離れた場所で突如として光が放たれた。
涙を流す少女はそれに気づき振り返ると、そこにはいくつもの魔法陣が浮かび上がり、やがてそこに人影が次々と現れ始める。
光が収まった頃には、およそ100名以上の罪人用のボロ服を身に着けた人間がいた。
「くっ……!? 一体、何が……」
「あ、あな、あな、た……?」
「……クリス? クリスか!?」
「あぁっ、あなた! もう二度と、会えないものと……!」
「……お父様、お母様?」
「……! み、ミリアリス!」
「ミリア!? ミリアなのね!?」
「……っ! お父様、お母様!」
あまりの閃光に目を閉じていたのか、重い手枷を身に着けた男性が目を開けると、そこには最期の別れを済ませたはずの妻がいた。
妻をして、最期に見送ったはずの愛する男を前に走り、抱きしめ互いに無事を確かめあっていると、聞こえてきた声に振り返る。
そこには膝を付き、呆然とした顔で泣き腫らした瞳を隠そうともしない、最愛の娘がいた。
名を呼べば、感情を抑えられなくなった少女は急いで両親の元へ走り、二人に抱かれるように体を預ける。
周囲の人々からも『お嬢様!』、『いっ、一体何が……?』、『ひぃっ!? り、竜……!?』と悲喜こもごもだった。
「ミリア! ああっ私達の可愛いミリア!」
「ミリアリス、よく無事で……!」
「お父様、お母様……! ごめんなさい、ごめんなさい……!」
「良いのよ、あなたが謝る必要などありません、…」
「あぁっ、その通りだ……」
『何だ、その格好は? どいつもこいつも酷い姿をしておる。 やれやれ、これでは折角の舞台が台無しではないか』
二度と会えることはないと、今生の別れすらできなかった親子が涙の再会を果たす様は感動ものだが、ヴァルフレイルは嘆息してしまう。
何のためにこの地へ転移させたのか、その目的を思えばやむなしとして、さらなる魔法を展開した。
それはミリアリスの両親を始め、公爵家の使用人たちを魔法陣が包んでいき、皆一様に服装を正していく。
あるものは給仕、あるものは執事、あるものは庭師と様々で、そしてカイゼル公とその夫人もまた相応しき装いを取り戻していた。
「これは、一体……?」
『私からの餞別だ、受け取るが良い』
「……! 失礼いたしました、お姿、お言葉から察するに神竜ヴァルフレイル様とお見受けいたします! 私は……」
『良い、膝を折る必要もなし。 手短に要件を済ませたい、貴様はそれを見守る役にあると知れ』
夫人は着慣れたドレス姿となり唖然としていると、頭上から響いた声にカイゼル公は慌てて膝を折る。
礼は不要、その圧に追いつかない頭で理解しようと必死になっているところへ、周囲から淡い光が立ち込めた。
驚き見れば、空虚な洞窟を埋め尽くすように花々が咲き誇り、その花弁からは絶え間なく光が放たれている。
幻想的な光景にカイゼル公を始めとした公爵家一同が呆然とする中で、ヴァルフレイルはミリアリスを見つめ、それに気づいた少女もまた振り向いた。
『返答を聞こう。 ミリアリス、先の答えは如何に?』
「ミリアリス、これは……?」
「……お父様、お母様。 不出来な娘で、誠に申し訳ありません」
「ミリア、何を……?」
何が起きているのか分からずじまいの両親を尻目に、そっと一筋の涙を零してミリアリスは一言だけ述べた。
そして黒竜に向けて、彼女は祝詞を捧げる。
「……私は人間です、それでもよろしいのですか?」
『異なことを。 だからこそ求めているのだ』
「……そう、ですか。 はいっ、ええっ、ヴァルフレイル様! 私も、私も本当は、貴方様をずっとお慕いしておりました……!」
『……聞いたな、皆よ! 此処に至りて遂に我は花嫁を得た! 時は来たれり、我が
二人を阻むものはなく、互いの問答は短くも重い言葉に、竜は雄叫びを上げた。
刹那、そこかしこに魔法陣が浮かび上がり、様々な精霊たちがこの場へ顕現する。
その内の一柱、白銀の鎧を纏った存在がミリアリスへと近づき、その膝をゆっくりと折って最上位の礼を贈った。
『ミリアリス様。 此度は我らが王の花嫁になりましたこと、誠におめでとうございます』
「貴方様は、王家の……」
『もはや、我を始めとした精霊たちの多くがあの国を見限ることを決意しました。 聖女ミリアリス様、貴方無くして存在を語るのもおこがましいほどに』
『サーディン、これより我はミリアリスを連れてアストラル界へと帰還する。 各方面へ伝えよ、我と共に故郷へ帰るものは共に征くことを許すと』
『承知いたしました、我が王よ』
ミリアリスはもちろん、カイゼル公もその鎧の存在を見て驚きを隠せない、なぜならそれはファーネル王家に代々伝わる英霊だからだ。
そんな彼の低く逞しい声はもちろん、当然のように命令を下すヴァルフレイルが、英霊を真の意味で従えていることが伺える。
少女はもちろん、この場にいる人間の誰一人として状況を正しく把握していないが、分かっているのは彼らの主足る令嬢が竜の花嫁になったということだけだ。
両親も問い詰めたいと考えていると、カイゼル公は自身が契約している精霊が表へ出てこようとする気配を感じる。
直後、魔法陣と共に炎が吹き出して現れたのは、妖艶な女性の姿をした精霊だった。
『ヴァルフレイル様、私はしばらくこちらに留まろうと思います』
『フレイア、何故だ?』
『王が去られてしまえば、あらゆる魔法が人間には使用不能となります。 あの愚か者共は構いませんが、カイゼルたちをこのままに捨て置くというのは、私の信念を含めても見過ごせません』
『……一理あるな、良かろう。 幾名か、フレイアに追従せよ。 カイゼル公達にはそのまま加護を与えた状態とする!』
頭を下げ具申するフレイアと呼ばれた炎の精の言葉に、ヴァルフレイルは許可を出す。
彼女の行動に同調した、この場にいた精霊たちが集い遊び回るように周囲を飛び回っていた。
状況が飲み込めないカイゼル公だったが、最愛の娘がこれよりとても遠くへ行ってしまうことを悟る。
それは夫人も同じく、共に引き止めるという選択肢はなく、娘の思う通りにすればいいと、寂しくも暖かな笑顔を浮かべた。
「……正直頭が追いついていないが、行くのだな?」
「ごめんなさい、お父様……」
「謝らなくていいのです、ミリアリス。 それに、後悔などないのでしょう?」
「はい、お母様……!」
「元気でな」
「幸せに暮らしなさい」
「はい、はいっ……! フレイア様、どうか父と母を、皆のことを、よろしくお願いします!」
『承りました、我らが王の花嫁よ。 このフレイアの名にかけて、その命を全うしてみせましょう』
最後にそっと親子の抱擁を交わすと、ミリアリス自ら離れ、愛しい黒竜の元へ歩み出す。
懐まで近づいたところで魔法陣が浮かび、恐る恐るその上に乗るとゆっくりと浮上し、ヴァルフレイルの頭頂へと到達した。
二本の鋭く尖った角の片方に手を触れると、咆哮を上げて竜は洞窟の
塞がれていたはずの石天井はそこになく、果てに見える夜空の先へ届かんばかりの光の柱が立っていた。
竜がその体を起こし、自慢の翼を動かしてゆっくりと浮かび上がっていく。
風圧に耐えながらも見送りをしようとする公爵家の人間たちは皆、敬愛すべき令嬢であり、慕っていたミリアリスを涙ながらに見送ろうとした。
「お嬢様、どうかお幸せに!」
「アンナ! ありがとう、本当にありがとう!」
「ミリアリス様、どうかご息災で……!」
「セバス……、貴方もどうか、長生きしてください……!」
『ミリアリス!』
「……っ! お父様、お母様、どうか、どうかお元気、で……!!」
二度と会うことが叶わない離別を前に、惜しむ涙などないと愛する者へ別れの手向けを贈り合う。
そしてミリアリスは、堪えきれず涙を流して遠くなっていく地上の父と母へと最期の言葉を告げるのであった。
ヴァルフレイルの体躯は洞窟を抜けて空へと上がり、光の柱を通じて少女の知らぬ世界へと飛び立っていく。
『……すまぬ、悲しませるつもりはなかったのだがな』
「そんな、ことは、ありません。 これからヴァルフレイル様の妻になるのです、きっと貴方に相応しい女性になってみせます……!」
『おやおやっ、我が王はどんな手を使って我らの聖女様を落としたのやら』
『サーディン、貴様は随分と言葉が達者になったではないか』
涙を拭うミリアリスの様子に、まるで見えているかのような言葉を送るヴァルフレイルは、少しだけ罪悪感を覚える。
それも気丈に答える彼女の言葉に、心が暖かくなるのを感じている時に、傍らを飛んでいた白銀の鎧が茶化してきた。
その時、山の向こうに見えるはずのファーネル王国からは人々の慟哭が幾重にも重なり響き、辺りを眩しいくらいに照らしていたはずの輝きは微塵もない。
「あれは……? 国から光が何も……」
『当然のことよ。 何せ魔法の原点である精霊を始め、元素全てを私が誘導し、あるべき地へと戻そうとしているのだ。 利用していたものがなくなれば、至る結末は語るまでもない』
『ミリアリス様、お気になさることはありません。 あの強欲共は当然の末路を辿るだけなのです、何も気に病むことはありません』
「……はいっ」
『では征こうぞ、我らのあるべき地へ。 そして、ようこそ我が花嫁よ。 金輪際決してそなたを離すことはない、覚悟しておけよ?』
すでにどうでも良いとすら思っていたが、いざ説明されるとミリアリスに僅かだけ郷愁が漂う。
だがそれも王太子を始めとした顔がチラついただけで、気にすることはないと結論づけ、サーディンという鎧の精霊からも後押しされた。
後顧の憂いは無くなった、そのミリアリスに向けてヴァルフレイルは至上の告白を贈る。
これから先、どんなことがあっても平気だと、それだけははっきりと分かる少女の顔に不安の色はなかった。
やがて竜を筆頭した精霊たちは光の柱のその先へと消えていき、世界からあらゆる魔法の神秘が消失する。
その後、周辺諸国を圧倒していたファーネル神聖魔法帝国は七日陽を仰ぐことなく、その歴史に幕を下ろすのであった。
その後およそ1500年近い時が経ち、物語は現代へと至る。
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