【03】

 警戒している。

 人に気を許していない。

 他人に興味がない。

 自分の世界に閉じこもっている。


 彼女の様子は何日経ってもその調子だった。


 感じが悪いわけではないが、取り付く島もない。

 正確が歪んでいるわけではないが、話しかけづらい。

 邪険にされるわけではないが、歓迎されない。


 話かけたところで完全に実りがないわけではない。

 答えを求めれば返答してくれる。

 ただそれがその場だけの返答でないという確信がない。


 間をつなぐためだけの返答な気がするのは信頼関係を築けていないからだろうか。


 関係は悪化することも好転することもなく、現状維持が続いている。


 ユノ・グレーシズは日中は基本室内に籠っていることが多い。

 呼べば出てくるし応答を無視されたという話も聞いたことはないが、目の届かない時間が多いせいで個性すら見えてこない。


「不自由なことはないか」


 そんな彼女と交流できる時間は朝食と夜食の時ぐらいだった。

 育ちが良いせいなのか、元々の気質なのか。

 彼女は食事をする時も口数は少ないし物音も経てない。静かそのものだ。


「特にはありません。お気になさらず」

「外に用事があったりはしないのか」

「はい。皆様が良くしてくださっているので、事足りています」


 ならいっそ「買うしかない」といって外に出させるのもありなのか。


「……日中は何をしているんだ」

「特に何も。部屋に本が置かれてますので、それを拝借してるぐらいです」

「……」


 何の本を読んでいるのか、と聞くのは白々しすぎるだろうか。

 あそこは元母の部屋だ。

 生前良く通っていたので何の本が置いてあるのかは重々承知している。


 騎士の家系には魔法使いの家の人間が嫁ぐのが主だ。

 母も外の人間で、例にもれず魔法を使う家系の女性だった。


 なので母の部屋に残っているのは魔法に関する書物がほとんどだ。

 もちろん母が趣味で呼んでいた小説や写真集もあるが。


「……部屋に置いてある魔法の本は古いものではないか?」


 間を開けずに答える彼女が珍しく数拍間を置いた。


「……私は魔法に詳しくないので。そこら辺は何とも」


 魔法使いの家系はいくつもあるが、それぞれ特色がある。

 魔法そのものの研究をしている家もあれば、魔法を応用するための方法を模索している家もある。

 そんな中、グレーシズは古代魔法に明るい。

 古代魔法は今となっては日の目を見ることは少なく、昨今では『呪い』と呼ばれることの方が多い。正体不明の魔法がそれに分類されることもある。


 なのでよく軍も見知らぬ魔法と遭遇するとグレーシズの血縁に意見を求めている。


「……グレーシズの家にはそういった最新情報も入ってきたりはしないのか?」


 古代魔法に詳しかろうが現代魔法を齧っていようが、最新の研究結果に目を通していなければ進展は見込めない。


「……入ってきてはいますが、今の党首は父で、大魔だいまは母なので。詳細は知りません」


 大魔。

 その家で一番の魔法使いのことだ。


「そうか。ではミーリア殿もそこまで詳しくはないのだな」

「……姉は、古代魔法よりも古代魔法文字の解読に詳しいので。入ってきていたとしても興味はないかと」

「なら、古代魔法を担っているのは母上だけと?」

「……


 彼女がぽつり、とそう答えるとその手にあったフォークがカランと床に落ちていった。


 滑らせただけだと思い手も口も出さずに見ていたが、一向に彼女がそれを拾う気配がない。

 ただフォークを滑らせた左手の手を見つめていた。

 長いテーブル故に彼女との距離は離れているが、職業柄他人の様子に目を配らせる癖は付いている。


 顔色が明らかに悪くなっている。

 というより、そんな次元の話ではない。

 淡々とした表情が驚愕一緒に染まっている。


 金にも見える瞳を大きく見開き、いつも真一文字に閉じられている口はおざなりになっている。


「……ユノ?」


 呼びかけるが、その声はどうやら届いていないらしい。


 彼女はゆらり、と立ち上がった。

 少し長い髪と前髪が幕のように俯く彼女の顔を隠す。


「……ヒューゴ様。申し訳ありません、一生のお願いがあります」


 一生。

 冗談のような響きだが、彼女が冗談を言う性格には到底見えない。


「……なんだ」


 身構えつつ応える。


「日が落ちた後ではありますが、外出の許可を頂きたいのです。一人で」

「……」


 外出なら好きにすればいい。

 そう言いたいところだが、独りでとなると話が変わってくる。


 他の家から預かっているご子女だ。

 万が一のことがあっては関係が悪化するなんて表現が生温いほど軋轢が生じる。


 それに一度かかわった女性が何かに巻き込まれるのを良しとできるはずがない。


「一人で、か」

「はい」

「承知できない。俺が付いていくことで了承しろ」


 護衛として従者は二人ほどつけるのが普通だ。

 それが一人になるのだから悪い条件ではないだろう。


「ヒューゴ様が、ですか」

「不満か」

「……、いえ」

「それで、どこに向かいたいのか聞かせてもらえるんだろうな」

「どこに、ですか」


 テーブルの上に置かれた彼女の拳がテーブルクロスを巻き込んで握られる。


「……断言は難しいです。もしかしたら数か所連れまわすことになってしまうかもしれません」

「場所は決まっていないということか。用件は何だ」

「……」


 応えようと彼女の口が開く。だが音を出さずに噛み締める。

 歯痒い。そう見て取れるが情報がなさ過ぎて察することもできない。


「……おそらく、言っても信じてもらえないかと」

「信じるかは話を聞いてから決める」

「それはつまり信じないこともできるということですよね。信用できない女についていくことができないというのならそれで結構ですから一人放り出してください」

「……説明は帰宅後にしてもらえると思っていいんだろうな」

「……はい」


 ユノが観念するかのように頷く。

 無念そうなところにはあえて目を瞑り、見なかったことにすることにした。


 今まで無関心に徹底していた彼女が恐らく本心を見せている。


 深いことは聞かずについていくだけに徹したほうが利がありそうだ。





  ◇





 ヒューゴは馬を走らせた。

 馬車を走らせることもできるが、二人で移動するには一頭いるだけで十分だ。


 他砂を握った自分に彼女が告げた行き先は教会の脇にある霊園だった。


 到着するなり彼女は長いスカートの裾をつまんで迷わずに走り出した。

 一直線に向かった先にあったのはひときわ大きな墓石。


 どこの家の墓石なのか確認するよりも先に、その前に立っている人影に目が行く。

 フードを被っているその人物は騒がしい足音が聞こえて来ると、そのフードを外しながら弾かれたように顔を上げた。


 霊園に爛々と輝くような明かりはない。

 光源は待ち人が手に下げるランタンのみ。


 その人物はそのランタンを顔の位置まで持ち上げた。

 こちらの顔ぶれの確認なのだろうが、明かりに照らされたその顔にヒューゴは息を呑んだ。


「……よくここだと分かったわね」


 彼女はユノに向かってそう声をかける。


「なんでかしらね。……ここか屋敷ぐらいしか、『私たち』の共通点はないからじゃないかしら」


 ユノが答える。

 彼女と、同じ声で答える。


 ユノと同じ顔の彼女が痛ましく微笑む。


 背丈も同じだ。

 髪色も、目の色も、立ち姿も。


「あんたがここにいるってことは、つまり……」

「そう、お察しの通り」


 フードの彼女は左の掌を宙に向ける。

 その掌に、濃い紫色の幾何学的な文様が円形で並ぶ。

 その中央だけがぽっかりと開いていたが、やがてその中心に瞳のような模様が浮かんだ。

 厳密にいえば、目を閉じた瞳だ。浮き出たのは瞼と睫毛のみ。


「……『先見の明』が」


 ぽつり、とユノが呟く。


「旦那様にこれの説明は?」

「……まだ何も」

「テイズウェル家に入って、今何日ぐらい?」

「一週間ぐらいのはず」

「そう。なら、『先見』のことも私の魔法のことも何も話してない頃ね」


 声なく頷くユノの横を通り過ぎ、フードの彼女がヒューゴの前まで移動してくる。

 それから品よく頭を下げ、胸元に手を当てて口上を述べる。


「こちらは『先見の明』という『呪い』の一種です。効果は『死に戻り』――その死因が発生する因果を結んだ事象まで遡れるというもの。要は、私は今より先の未来にて一度死んだ人間と言うことです」


 彼女の言っていることは理解できる。

 だが同時に疑問が浮上するばっかりにすんなりと飲み込むことができない。


 死んだ? 呪い?

 遡る?


「この説明をすれば、私がユノ・グレーシズだと名乗っても少しは受け入れやすくなるでしょうか」


 瓜二つの顔が、二人分の双眸がこちらを見ている。


 話をそのままかみ砕くなら、目の前に現れた彼女は死に戻りしてきた未来のユノ・グレーシズということになる。

 それを受け入れていいのか。

 それとも死に戻った原因から聞けばいいのか。


 いや、素直に聞き入れるには早すぎやしないか。

 まだ嘘やでたらめの可能性がある。


 信じるのならそのすべてを否定してからだ。


「……二人が、同一人物であるという証拠は見せられるのか」

「可能ですが、少々お待ちください」


 フードの彼女は音を出さずに唇を動かす。

 何かの詠唱のようだ。


「何をした」

「人払いです。こんな時間にこんな場所に来る人はいないでしょうけれど、私が二人いることがバレるのは厄介なので」

「……。それで、証拠は?」


 二人のユノは顔をしばらく見つめた後、ほぼ同時に右の袖をまくり上げる。

 そして揃って肘の裏側を見せてきた。

 白く血管が透けて見えるはずのその個所は火傷の跡のようなものがある。


「魔法の才がないとされた私に魔法が発言するようにと様々な投薬が施されました。これはその薬品がこぼれた際の傷跡です。一晩二晩で用意できるものではありませんし、こんなものを示し合わせてわざわざ作るのならもっとそれっぽいものを用意するべきだとは思いませんか? それに偽証しようにも、現代の私はついさっきまで魔法を使うことは不可能でした。それらを考慮したうえで、ご判断を」

「……」


 戦闘職に身を置いている立場だ。

 人の傷跡を見る機会は多々ある。そんなことに詳しくなったつもりはないが、どれぐらい前の跡なのかを察することぐらいはできる。


 その火傷後は肘裏全体に広がっており、綺麗な形はしていない。

 暗い場所でその細部まで照らし合わせるのは難しいが、女性が気にするであろう傷跡を晒したという事実をこれ以上邪推したくはない。


 十分、だとは思うが。

 甘い判断を下して最悪の事態を起こすわけにはいかない。


 踏まえたうえで他の話とも統合がとれているかを気にするべきか。


「……死に戻りといったな。つまりお前は一度死んだと明言していることになるのだが、死因は分かるのか」

「……流石に死んだ瞬間の記憶はないですが」


 彼女は言葉を切る。

 今この場で考えているのか、とは流石に思わない。


 視線を切った彼女のその仕草に後ろめたくなる。


「おそらく、……一酸化炭素中毒かと」

「……火事か。どこが燃えた」

「……テイズウェル家です」

「……、」


 一瞬、耳を疑う。疑うしかない。

 別荘はあるがおそらくその言い方は普段自分がいるあの屋敷のことだろう。


 あの屋敷が、燃える?

 どんな状況になればそんなことに陥るのか。


 というよりもしそうなったとして、家の人間は何しているのか。

 父は。兄弟は。

 そしてなにより。


「……俺はその時、何をしていたんだ」

「……」


 ここまで言葉を濁さずに答えていた彼女が口を噤む。

 それが何を意味するのか。

 逆上したい気持ちがないわけでもないが、合点入ってしまう。


 自分がいたのなら、あの屋敷でこれ以上死人を出すことを良しとするはずがない。


「……旦那様は私を庇い、守り、私の目の前で息を引き取りました」


 彼女の瞳の色が濁る。

 仄暗い影を落とす。

 それでいて、意思を迷わせない。


「正直に申し上げます。惨い死に様でした」

「……強者に襲われたのか」

「……いえ、おそらく拷問かと」

「あぁ……、そうか」


 そういう目にあった末に死んだということは、死ぬまで吐かなかったということなのだろうか。

 でも彼女に看取られたということは、拷問されていた場所から出てきたということなのか。

 だとしたら、吐いたのか。自分は。


 情けない。


 だがそこを落胆するのは今はお門違いだ。


「その拷問の中身を、知っていたりはするのか」


 彼女の話を真とするのならば、それらのすべてはこの先で起こることだ。

 聞いておいて損にはなるまい。

 誰と敵対したのかは知らないが、自分を拷問するほど聞き出したいこととは何なのか。

 そんなに重要になることを知っているとはあまり思わないが。


「……『先見の明』のことです。私の秘密のことを、旦那様は訊かれていたのかと」

「……」

「そうです。旦那様は最期まで私を庇い、守ってくださったのです」


 詰め寄るように自分に話しかけてきていた彼女が、『自分』の方へと標的を変える。


「だから死に戻った。そう。私は、旦那様を殺した人間が許せなくて死に戻ったの」


 余りにも据わっているその目にユノは思わず数歩後退した。


「ごめんね、私。厄介なことを引き起こした自覚はあるわ。でも、どうか聞き入れて。このままいくと、旦那様は殺される」


 死後舞い戻った彼女は縋るように自分の分身の腕を掴む。


「こんなこと言ってるけど、正直、誰が敵なのかは分からない。旦那様が全部独りでやるとおっしゃって、私はそれに甘えてしまった。私は力になれないと身を引いてしまった。それが『私』の末路だから、同じことだけはしないで。お願い。私なんかの二の舞にならないで」

「……『私』に出来なかったんだから、私にもできないわよ。分かるでしょ。私たちは何もかも同じなんだから」

「同じじゃないわ。だって、ここにはまだ旦那様がいるじゃない。同じだなんて言わないで」


 腕にすがっていた彼女がユノの方へ倒れ込むように体重を預ける。

 初めは他人行儀の距離感だったユノが彼女を慰めるように彼女の背に腕を回すと、ぐずり、と鼻をすする音が聞こえた気がした。


「……きっと今頃屋敷は全部燃えてるわ。私が死んでしまったばっかりに、きっと、旦那様はそのまんま」

「……」


 まくし立てるように話されてしまったせいで呆気に取られてしまったが、彼女は『家族』を失ったばかりだ。

 彼女の話通りなら、彼女はユノで、彼女は今の状況と同じようにヒューゴ・テイズウェルに嫁いだということになる。


 自分が死んだなんて実感しろと言われても無理難題だが、彼女の立場からすればその事実が今あるすべてなのだろう。


 夫を亡くしたばかりの女性に愛する人の死に様を語れというのも鬼の所業だ。


 聞きたいことも確認したいこともまだまだあったはずなのだが、倒れ込むように泣き出す彼女を前に一瞬にして忘れてしまった。


「ユノ」

「はい」

「なんでしょう」


 呼びかけると、二人が顔を上げる。


「……やりづらいな。何か差分化出来ないものか」

「……でしたら、私のことは偽名でお呼びください。現在にいない人間ですから。……そうですね、『レビィ』とでもお呼びください」

「『レビィ』?」


 本名をもじったものにはどうも思えない。

 何か由来でもあるのだろうか。

 今気にするべきことではなさそうだが少し思考すると、その傍らでユノが思いつめたような表情を隠したのが見えた。


 彼女の中では意味のある名前のようだ。


 だがこれも今聞きだすには酷になる。


「なら、レビィ。今夜はとりあえず解散したい。こちらも話を整頓しなければ君に難癖でも付けてしまいそうだ。それに、お前もゆっくり休んで冷静になったほうが良い」

「……はい、そうですね。それが良いかと。こんな時間にお呼び立てしてしまい申し訳ありません。ヒューゴ様」

「それは構わないが……俺のことは『旦那様』とは呼ばないのだな。当たり前と言えば当たり前だが」


 彼女は慈悲深く儚い笑みを湛えた。


「どうかご容赦を。私の旦那様は、亡くなられたあの方ただ一人ですから」




















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