【02】


       ◇




 ようやく到着した馬車から目当ての客人が下りてくる。


 現れたのは薄い茶髪の女性だった。

 背の高さは高くも低くもない。

 落ち着いた色のワンピースを身に着け、その手にはトランクを一つ提げている。


「長旅ご苦労様です」


 声をかけると、彼女は小さく頭を下げた。


「ヒューゴ・テイズウェルと申します。……荷物を」


 手を指し伸ばすと、彼女は俯いていた顔を上げ物怖じせずこちらを見つめてきた。


「いいえ。結構です。荷物ぐらい自分で持てますので」


 そう言って半歩後退する。

 警戒しているのか。人見知りをしているのか。

 後者の可能性も否定は否定はできないが、おおむね前者だろう。


 これだけ人がいる場所だというのにこの中に彼女の知人はおそらくいない。

 そんな場所に突然踏み入って気を許せという方が酷だ。


 しかも碌に話したことのない相手に嫁げときている。


 一応婚姻ではなく婚約の段階なのでこの先は気になることもあり得る。

 だがそんな後ろめたい算段を将来の第一候補と想定するのは変な話だ。


 想定するのは結ばれる未来だ。


 前向きに考えてもらうためにも彼女にはこれからのことをしっかりと見定めてもらわなければならない。


 ゆっくりと話をするのはそれからにしておこう。


「部屋に案内する。ついてこい」

「……畏まりました」


 そんな使用人のような返答をし、彼女は数歩後ろをついてくる。


 おしとやかな女性といえばそうなのかもしれないが、どちらかというと距離を取られているだけのような気がする。


 ……それでも別にいいのか。

 親密になれと言われたわけではない。


 形式でいいのだからこの状況でも大した問題にはならないだろう。


 外部から刺激された関係とはいえ、無関係でなくなってしまったのなら少しは親しくなるべきかと思ってもいたがこの調子では高望みかもしれない。


「ここがお前の部屋だ」


 ドアを開けて彼女をその部屋に招き入れる。


 開いている部屋は他にもあるが、彼女にあてがわれた部屋は亡くなった母の部屋だ。

 母が亡くなったのは十年以上も前のこと。

 空き部屋になったその日から定期的に掃除しているし、母の私物はとっくに処分されている。


「失礼します」


 人形のように彼女は室内に向かって頭を下げ、1歩また1歩と室内に入り込む。


「家具は備わっているがどれも中は空だ。好きに使え」

「はい。ありがとうございます。使わせていただきます」

「……もし不足しているものがあれば家の者にいいつけてくれ。用意させる」

「はい。恐れ入ります」

「……」

「……他にも何か」

「いや、ない。私からお前に強いるようなことも特にはない。結婚を強要する気もない。気に食わないなら好きに出ていけ」

「いいえ。両家の決めごとですので、私の判断でそれは致しかねます」

「……そうか」


 会話をしている間も彼女はこれといって室内を見渡すことはなかった。

 タンスやクローゼットなど説明の必要のないものもあるが、暖炉が魔法制なのか。テーブルに置かれているオルゴールの意味や、本棚の本の種類など気になってもおかしくないことはあるはずなのだが。


 この対応だと前の部屋の主のことを言っても特に気に留めず、一言返事を寄こすだけだろう。


 そんな相手に話すのは時間の無駄だと思わされるだけになりそうだ。

 それに。

 周囲や世間が何と評しようと逝去した肉親の話を安売りするほど落ちぶれてはいない。


 ヒューゴはユノを部屋に置き、それ以上のことは話さずに部屋を出た。


 あの様子では関わるだけ迷惑だと思われそうだ。


「『姉貴』の様子はどうだ?」


 カイゲルの部屋の前に差し掛かると、ドアの前で待機していた弟に気安く声をかけられた。


「犬猫の方が気の利く反応をするだろうな」

「兄貴にそんなこと言わせるとか、相当と見受けられるな」

「ないだろうが、不審な動きをしていたら報告しろ」

「了解。ってか、現状どういうのが不審な動きかもわからなそうだけどな。ふらふらしてて不審だと思って声かけたらただの迷子ってこともありそうだろ?」

「屋敷の案内をさせておくか。……いや歩き回るなと言っておけばいいのか」

「不自由になるな。人生の墓場とはうまいことを言った人間がいたもんだ」

「……」


 くつくつと笑う弟にヒューゴは沈黙を返した。

 別にそういうことを強いるつもりはないのだが。


 だが現状この婚約に異を唱える者がいるとしたら、彼女が歓迎されるはずがない。

 それを確認できていない段階で歩き回らせるのもどうなのだろう。

 家の人間を信用していないのかと聞かれたらそれまでだが、それでもこの屋敷で死者が出たことがあるのは事実だ。

 それを踏まえてしまうとありえないとどうしても断言できない。


 そういう探りを入れたらいるかもしれない異端派を刺激してしまうのだろうか。

 他のことと混ぜて探ればカモフラージュになるだろうか。


 そんなことを考えていると正面から足音が聞こえてきてヒューゴは思考を打ち切った。


 向こうもこちらに気づいたらしく視線が合う。

 何故そこに二人して集まっているのか。

 その視線は確かにそう言っていたが止まる気配はない。


 用がないなら止めなくてもいいか。

 そう思った矢先カイゲルが「今帰りか?」と声をかけた。


 愛想のない血縁だが声をかけられて無視するほど無愛想ではない。


 そうです、と真ん中の弟であるラムザが首を縦に振る。


「兄上たちは一体何を?」

「兄貴の婚約者が来たからな。どんな人か話してたとこだ」

「あぁ……、今日でしたっけ。挨拶はもう終わったんですか?」

「どうすんの兄貴。俺ら、姉貴の部屋に行ってもいい感じ?」

「……夕食時に紹介する程度でいいだろう。集まれるかは知らないが」

「俺は居るけど、ラムザは無理なんじゃないか?」

「俺は数時間仮眠したらまた職場に戻ります。リュカスも暫く戻ってこないでしょうし、全員そろっては無理ですよ」


 一番下の弟はまだ学生だ。

 寮生の学校に入っているため連休や長期休暇でもない限りこの屋敷に戻ってくることはない。


 ラムザの方は主に夜勤だ。

 王都の夜の街を警備したり、寝ずに要人の護衛をしたりしているらしい。


「義姉上はどんな人でした?」


 弟の問いに言ってやれと言わんばかりにカイゲルが肘でこちらを突いてくる。


「……犬猫の方が気の利いた反応をする」


 同じ言い回しをするとカイゲルがまたけらけらと笑う。


「愛想がないと? 兄上はそれを知った上で選んだのですか? それとも知らずに?」

「今日初めて知った」

「そうなんですか。……素朴な疑問なんですが、どうして年の離れた相手を選んだんです?」

「年が近いと意見されると思ったからだ」

「あぁ、なるほど。歳が近いとどうしても親近感は湧きますからね」

「……」


 自分の意見だろうか。

 ユノの歳は確かにラムザに一番近い。

 新しい家族として少しは親しくなれると思っていたのだろうか。


 尤も、正常な反応ではあるが。


 ヒューゴは静かに首を横に振る。

 そう思うのなら自分も歳の近い相手を選べばよかっただけの話。


 そうしないことを選んだのは自分だ。

 露骨にここで理解を示してしまっては彼女に顔向けができなくなる。

 尤も、一日に数回顔を合わせれば上等の生活になりそうだが。


 屋敷に一人女が増えただけ。

 そういう認識になりそうだ。


 ――そう思っていたことも確かにあった。

 ――あの日が来るまでは。















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