嫁入りする死神
玖柳龍華
【01】
いつ頃定まった規約なのか。
その国では代々騎士の家系に魔法使いの家系の娘が嫁ぐのが習わしであった。
その過程は定まってはおらず、幼少より婚約を結ぶ家もあれば、時期を見て見合いを執り行う家もある。
「お呼びでしょうか、父上」
実父の執務室に入り、ヒューゴは左胸に右手をあてながら深々と頭を下げた。
「もう頃合いだろうと思ってな」
父が話し始めたところでヒューゴは静かに頭を上げる。
「お前の地位ももう随分と安定し、これ以上長引かせる理由がなくなった。意味が分かるな」
「……はい」
放任主義ともいえる父がいい歳をした息子を呼び出してまでせっつく話は残念ながら現状一つしかない。
ヒューゴが静かに頷くと、父の背後に控えていた従者が動き出す。
その従者が父の方に寄ると、父は彼の方を見ず何かを手渡した。
資料のようだ。
纏められた紙の束を両手で丁寧に持ちながら今度はこちらに近寄ってくる。
「お目通しを」
自分に手渡す際にそう付けたし、父の従者はまた静かに元の位置へと戻っていく。
この家にもう20年以上住んでいるが、この従者とこういったやり取り以外交わした記憶がない。名前を紹介されたことが果たしてあっただろうか。
だが見かけたことはある。
逆を言うば、それしかない。
ヒューゴは遠ざかる彼の後ろ姿を数秒見送る。
歩き方に無駄がない。
もしかするとただの従者ではないのかもしれない。
従者の皮を被った父の私兵――そんな可能性も否めない。
ある程度で見切りをつけ、ヒューゴは手渡された紙に視線を落とした。
左上に顔写真が張られ、その横にはその人物の経歴や生年月日等が連ねられている。
下部に並ぶのはその人物の最近の同行や傾向。
まるで捜査資料だ。
紙の束は計二つ。
二人の人物の資料を手渡された。
「どちらかを選べ」
「……」
どちらもグレーシズの姓を持つ女性だ。
かねてより縁のある魔法使いの家系の一つだ。いずれその中の子女のいずれかと籍を入れるようにと言われて育ってきた。
顔を合わせたことのある子女も何人かいるが、グレーシズの人間と改めて機会を設けて会ったことはない。
なので今見ている顔写真が初めてといってもさほど過言にはならない。
どちらも利発そうな顔立ちをしている。
姉の方が重いほどの長髪で、妹の方は明るい癖毛。
厳格そうな前者と明快そうな後者。
「……グレーシズのご子女は3人いたと記憶しておりますが」
「いるが、3人目は無才だ。元より候補に値しない」
「無才だから価値がないと」
「そうだ」
「果たしてそうでしょうか。グレーシズ家との関係を絶たないことが目的なら異論はないはずですが」
「……」
父の目が自分から外れる。
痛いところを突かれた。そういう意味ではなく、強情な息子に辟易しているだけだ。
昔のような従順さがなくなったとでも思っているのだろう。実父からの愛想は等に尽きている気がする。
現当主が顎を軽くしゃくると、再度使用人が動き出す。
そして先程と同じようにヒューゴの手に紙を置き、また定位置へと戻っていく。
候補方外したと言っておきながら用意しているのに奇妙さを覚えながらもヒューゴは新ら資料に目を通した。
無才。
それが事実なのは前から知っていることではある。
名家のグレーシズの娘が才を引き継がずに生まれてきたという話は彼女が生まれた時から悪目立ちしていた話だった。
周囲からそう言われ育ったのか、姉二人と比べると表情に利発さが見て取れない。
だが陰りとも違う。
冷徹。
第一印象はそういったものだった。
自身を蔑む周囲に振舞う愛想なぞない。そういう気持ちの表れなのか、もっと根深いものなのか。
「選べとおっしゃいましたね。それならば末妹で」
父が遮るように被りを振る。
「子供のようなことを。益のないことをごねれば折れるとでも考えたか」
「なんとでも。そちらこそ、圧をかければ私が言いなりになるとでもお思いで?」
「もう良い。下がれ」
「失礼します」
ヒューゴは入ってきたとき同様深々と頭を下げた後、潔く姿勢を戻し大股で執務室を出た。
詰まっていた息を長く吐き出しつつ自室に戻ろうとする道中で、行く手を遮られた。
「話は終わったようだな、兄貴」
テイズウェル家次男カイゲル。実弟の一人だ。
こんなところで遭遇するところを見る限り、話が終わるのを待ちわびていたのだろう。
ヒューゴは一瞥し、弟の横を素通りする。
「話は予想通り縁談か? 兄貴も歳をとったな」
歩速を変えずに歩く自分の横に付きながらカイゲルは話を続ける。
「他人事のように言っているが、そのうちお前の番も回ってくる」
「はー、知ってるっつーの。嫌なこというなよ。俺もグレーシズになったりしてな。そうなったら、あと誰が残ってるんだ?」
「上二人だ」
「……は。マジ? 兄貴、一番下とったってのか」
「それがなんだ」
「無才って話、忘れてるわけじゃねーんだろ? 親父が許すわけねぇじゃん」
「その点がよく分からん。無才の何が不満だ。反逆しようにも武力行使されんということだろう? 好都合じゃないか」
「うわぁ兄貴。暴力は勘弁してくれよ? このご時世お家の不祥事も公表されるご時世だ。汚点は切り捨てるのもこのご時世のお得意なことなんだ。嫌だぜ? 兄貴ぶった斬らなきゃならねぇなんて」
そう言いながら、カイゲルは腰に下げる剣の柄に右手をかける。
機嫌よく指先が柄を這うあたり、言葉と本心が乖離しているように見えないこともない。
実際、そうは言いながらもいざその場面が来たらこの実弟は裕に切り捨てられるだろう。嬉々とされないことを願うばかりだ。
「女をいたぶる趣味はない」
「そうしてやってくれ。女側からすれば兄貴の傍に置かれるだけで苦だろうし」
「何がだ」
「だって、兄貴知ってるか? 女ってのは共感を求める生き物なんだってよ。話が多いぜ? 多分」
「そうか。はた迷惑だな。迎えなければならんだけでも面倒だというのに」
カイゲルが上ずった笑い声をあげる。
ここで笑うあたりお前も同種だろうに。
そう思ったが、同種なことに違いはない。血を分け合った兄弟だ。似ていて当然。
それに。
自分たちが分け合った元の血の持ち主は、その実娶った女を過労死させている。
自分たち兄弟にはその血が流れている。
◇
「ユノ、お聞きなさい。貴方の嫁ぎ先が決まりました」
淡々と告げる母の言葉に食いついたのは同席していた下の姉だった。
「なっ……。どうして私たちよりも先に!?」
「知りません。先方のご意向です」
「……それで、その先方と言うのはどちらですの? お母様」
今度は上の姉が話に加わる。
問いかけた彼女の方を見ながら母は告げる。
「テイズウェル家の嫡男、ヒューゴ・テイズウェル様です」
「嫡男!? 四男とかの間違いじゃなくて!?」
「間違いではないです」
御覧なさい、と母が一枚の紙を宙へ放る。
その紙はたちまち軌道を変え、次女の方へと飛んで行く。
受け取った彼女は紙面に書かれている内容をぶつぶつと音読し始めた。
読み聞かせの意はないのだろうが、そのおかげで内容が少し入ってくる。
「それにしても何故ユノを? 愚妹に才がないことは疾うにご存じのはずですが」
「全く分からない。才がないのを都合が良いと思われているのか、あるいは『才がない』と評しているだけで何かあると勝手に勘違いしているのか」
「だとしたら迷惑な話ですわよねぇ。ユノに才能がないのはほんとのことなんだから」
「もしかしたら何か裏があるかもしれない。……だが、どうでもいいでしょう。何をしようとも何も開花しなかった。それは私たちが一番知ってます。ユノには何もできません」
語る3人をユノは数歩後ろから眺める。
彼女たちの口から出てくることのすべてが事実だ。自分は魔法使いの家の娘として生まれたが魔法が使えない。
それこそ何かしらの魔法の所業ではないかと家の威信にかけてくまなく調べられたが、ついに無才の原因は分からずじまいだった。
もしかしたら何かしら異能を秘めているのかも、とか。
後天的に才能に目覚めるかも、とか。
そんなことを言われた時期もあったが、その頃は自分も無邪気な子供だった。
この歳になればそんなことはないとよく分かる。
他でもない自分のことだ。
自分は魔法を使えるようにならずに死んでいく。
そういう『魔法使い』だ。
「あなた、何か異論はございますか」
「ない。すぐにくれてやれ」
「――だそうです。ユノ、準備ができ次第家を出なさい。二度とこの家に戻ることがないように」
「……承知しました。お父様、お母様」
話は以上です。
変わらず淡々と告げる母の言葉を最後にユノは踵を返した。
その背後では下の姉が両親に詰め寄り、自身の婚約はまだなのかと問いかけている。
どうしてあの無才の方が先なのか。
ただの穀潰しにしかならないじゃない。
姉のそんな言葉を背に部屋を後にした。
選べる立場でありながら選ぶ価値のない人間を選ぶだなんて正気とは思えない。
それは自分だって正気じゃないと思っている。
器量の良い姉と愛想の良い姉。
その二人を選ばなかったということは、要は何もしない相手が望みなのではないのか。
だとしたら自分は好都合だろう。
何もしないどころか何もできないのだから。
「ユノ」
自室に戻ろうとしたところを背後から声をかけられ引き止められる。
そこに居たのは一番上の姉、ミーリアだった。
夜のような黒く長い髪。
それでいて重たい印象を与えないのは顔つきのせいだろう。
「貴方、テイズウェル家のことはちゃんと知っていますか」
「……噂ぐらいは」
「なら結構です」
テイズウェル家は騎士の名家だ。
剣の腕が立つのは言わずもがな。それだけではなく魔法の才も幾分か引き継がれている。
もちろんそれの比にならないのが魔法使いの名家の人間の腕前だが。
「いいですか、ユノ」
剣の技と魔の才に取りつかれた一族。
血も涙もないというのが専らの噂だ。
確か何年も前の話だが屋敷で死人が出たという話もあったはず。
「もし万が一のことがあったら」
姉の次の言葉を想像する。
不穏な噂が絶えない家へと嫁ぐ妹に贈る言葉なんて想像に容易い。
「ちゃんと自死を選びなさい。魔法を使えずとも貴方の記憶と遺伝には我が一族の歴史の痕跡が残っています。無作為に与える、なんてことがなんてあってはなりません。いいですね」
「……はい。言われるまでもありません」
「いい子です」
姉は黒い髪を揺らしながら柔和に微笑む。
物心がついた時からミーリアは自分の姉だ。自分にとって彼女が姉でなかったことはない。
だから悪意ある言葉か否かぐらいは分かる。
紛れもなく、後者だ。
ミーリアはスカートの裾をつまみ、上品に会釈をすると来た道を戻って行った。
機嫌の良さが意味するのは妹の婚約を良く思っているということなのだろうか。
「……、」
ユノはもうじき出ていく我が家を見渡す。
嫁ぎ先の家はどうやら冷酷無慈悲らしい。
正直、だからどうしたというのが至言だ。
この家だって似たようなものだ。
自分に才がないと発覚した日。
両親は互いに疑心暗鬼になった。厳密にいえば父が、だが。
同じ条件の姉二人は立派だというのに、なぜ3人目だけ。
もしや条件が違うのでは、という結論に至るのは時間の問題だった。
それからというものの、家族はその形だけを残し温情を冷やすだけの日々となった。
それを使用人たちが察しないはずもなく。
この家だって血も涙もない。
一番上の姉のあの様子も責められたものではない。
家族の体だけを残し、今となっては上辺だけの両親の愛情を姉は受け続けた。
彼女は母をも超える天才だ。
同じ建物内に居ながら他人のような距離感を保つ異様な環境で、純粋だった姉はあっという間に歪んでしまったのだろう。
無理もない。
あの姉は濁りのない両親の愛を受けて育っていたのにそれがいつしか歪なものにすり替わっていた。
幼い姉がそのことに気づいた時にはもう後戻りできなかったのだろう。
加えてあの姉は愚妹を貶せるほどの悪意を持ち合わせていない。
お前のせいで、と責めることもできず、いつしか愛をはき違えるようになったようだ。
彼女はもう真っ当な思いやりを思い出さずに生きていくのだろう。
変わってしまった彼女とは違い、自分は物心ついた時からこの環境だ。
間違っているというのを知ったのは知識としてだが、これ以外の家族の形を知らない。
話だけ擦り合わせるのならここも向こうも似たようなものだろう。
ならば向こうに渡ろうが自分の立ち位置は変わらない。
無才の魔法使いとしてふるまうだけだ。
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