第24話『上体起こし』

 上体起こしというのは、基本的に一人でできないとされている。

 脚を誰かに抑えてもらうことで、初めて腹筋を鍛えることができるのだ。



 だが、しろさんはその常識を超えていく。

 彼女の足を抑えているのは二つのベルトと、そのベルトが繋がった吸盤。

 吸盤が床にくっついて固定され、なおかつベルトで足を縛ることで足を固定することができる。



 つまり、一人でも上体起こしが可能だ。

 ちなみに、その吸盤の上に台を置き、更にその上に私を設置している。

 しろさんが体を起こすと、ちょうど彼女の顔が私の顔に触れるような位置だ。

 頭突きしないようにだけ気を付けて欲しいものだが、大丈夫だろうか。



 私は基本的に、しろさんの配信を心から楽しみにしている。

 ただし、今回だけははっきり言って不安の方が勝る。

 それはなぜか。



 しろさんが、リハーサルを断固拒否したからである。

「いくら何でも負担が大きすぎる」というのがしろさんの主張だった。

 要するに、ただでさえ筋トレは辛いのに、更にリハーサルをするというのはしろさんをしてキャパオーバーだったということだろう。

 筋肉痛で動けなくなっても困るので、私は反対はしなかった。

 ただし、妥協案としてじぜんにラジオ体操をしてもらうことだけはゆずれなかった。

 何しろ、しろさんは運動不足オブ運動不足であり、運動量はもはやマイナス。

 なのに、準備なしで運動をすれば体を傷めかねない。

 なので、そこを妥協点とさせてもらった。

 しろさんも、体操ならと反対しなかった。



 ちなみに、しろさんはラジオ体操のやり方を知らなかったので、メイドさん三人が教えることになった。

 今の学生達って、ラジオ体操とかやらないのかな。

 私が学生だった頃は、運動会とか夏休みとかラジオ体操やらされていたんだけどね。

メイド服を着た三人と、部屋着を着た少女の四人が同じ部屋でラジオ体操をしているというのは中々にシュールな光景ではあった。

 閑話休題。

 


 いよいよ、上体起こしを始める。

 が、その前にしろさんは私の耳元で囁いてきた。

「じゃあ、みんなに足を持ってもらうね」

【えっ】

【しろちゃんのふくらはぎを俺達が抑えるのか】

【シチュエーションとしては最高だね】



 もちろん、視聴者が本当に足を掴んでいるわけではないのだが。

 彼女の位置的に、そういうシチュエーションであると錯覚させるということができる。

 視聴者たちの脳内には、折り曲げられた白い足が浮かんでいることだろう。



「ええと、腕を胸を前で交差させて、と」

【ほうほう】

【潰れてそう】

【全部耳元で実況してくれるの最高過ぎる】



 実際、腕を交差させることでしろさんの胸部装甲はつぶれて、盛り上がっている。

 装甲の大きさと柔らかさがはっきりと見えている。

 こんなの、天国過ぎませんかね。

 



「じゃあ、始めますね。一」



 しろさんは、予めしかれていたマットの上に倒れこむ。

 そして、そのまままた上がってくる。

 しろさんの顔が、私の耳元にまで近づいてくる。



「はあ、はあ」

『あの、大丈夫ですか?』



 すでに、わずか一回目で息が荒くなっているようだが、これ以上やったら死ぬんじゃないんだろうか。

 私の耳元から荒い息を吐いたまま、動かない。二回目を始めようとしていない。

 やはり運動不足の身ではまずかったか。



【耳元ではあはあされてるの最高】

【ハアハア(*´Д`)】

【俺も運動したくなってきた】



 コメントを見ると、視聴者には好評らしい。

 いや、認めよう。

 私的にも最高だ。

 息を吐く口が近づいたり遠ざかったりすることで、生々しさが出ている。

 これはいいものだ。

 リクエストしてくださった方に感謝を送りたい。



『しろさん、皆さんも喜んでるようなので頑張りましょう』

「は、はい。二」



 そうして、彼女は腹筋を再開した。



「う、ん。うんんんんっ。はあ、はあ。三」



 またしても、しろさんは

 人の手でやるほどがっちりと抑えているわけでもないしもしかしたらある程度は足も使っているのかもしれない。

 それでも、彼女の身体能力では相当きついらしくて、一回一回上がってくるだけでかなり疲弊している。

 待機時間的に、一回やって、また休んでの繰り返しだ。



「よんっ、く、う、ううん」



 ガチャ爆死配信の時も思ったのだが。

 しろさんは、追い詰められれば追い詰められるほど声がセンシティブになる気がする。

 前回は精神的なものだったが、今回は肉体的なものだ。

 甘く、それでいて切ない声が耳から脳内へと侵入してくる。

 


「ごーおっ、はあっ、はあっ。ろーくうっ、んんんっ、ふあっ。なーな、ふうんっ」

【ふう】

【あふう】

【頭が変になりそう】



「はーひいっ、ううんっ。も、もう無理もう無理いっ。きゅ、うっ」

【うっ】

【心臓止まりそう】

【これはおセンシティブ】



「はーっ、はーっ、じゅ、うっ」



 苦難困難を乗り越えて、しろさんは上体起こし十回を終えた。


 

「ああ、はあ、あう、腹筋は終わりです。ちょっと、ぎゅってさせて」



 私の耳元で、囁きながら、私を設置している台に手を添えて自重を支えている。

 十秒ほど休んでから腕をぎゅっと私を支えるシャフトに回した。

 言葉で、息遣いで、体で、心で。

 全部を使って、しろさんは視聴者を抱きしめ、寄りかかる。



【うあっ】

【最高過ぎる】

【かわいすぎる】

【腹筋十回であっさりと息が上がっているのコスパがよすぎる】



「あっ、あのさ、汗臭くないかな?大丈夫?」



 すんすん、としろさんが私の近くで鼻を鳴らしながら視聴者に問いかける。

 私には匂いなんてわからないけど、でもそうした振る舞いを見ていると、確かに女の子のにおいや汗のにおいがするような気はする。

 でもたぶん、しろさんの汗だったらきっといい匂いがするんだろうね。

 嗅覚や味覚がなくなっているのが悔やまれる。



【大丈夫だよ】

【むしろいいにおいがする】

【最高だよ】

【逆に俺達こそ臭わない?大丈夫?】



「そ、それなら全然いいんだけど。よかった。ああ、君は全然臭くないよ、すんすんすんすん、うん全然臭わない」



 しろさんが、耳元や首元をスンスンと嗅ぎまわる。

 正直しろさんは今回リハーサルをしてなかったので、クオリティ的にも心配だったのだがそちらは杞憂に終わりそうだった。

 まさか筋トレから汗と匂いを連想して、匂いを嗅いでくるだなんて、本当にしろさんは私と視聴者さん達を喜ばせるのがうますぎる。

 本当に、立派なVtuberになった。

 それこそ、もう機材と金銭関係以外は、誰かに頼らなくてもいい程に。



 さて、次はスクワットだな。

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