第23話『筋トレ』

 永眠しろさんは、常に挑戦をするVtuberである。

 これまでも、誰もやってこなかった斬新な企画系ASMRを実行に移し、多くの人たちの注目を集めてきた。

 そんな彼女だが、別に彼女一人ですべての企画をすることはできない。

 彼女はマシュマロを開いており、そこには時折企画のリクエストが来たりする。

 文乃さんが、スマートフォンでマシュマロを一枚一枚見ていた時、それは姿を現した。



【筋トレASMRをやって欲しいです】



 それは、マシュマロに送られてきた視聴者からの要望である。

 筋トレASMRか。



「これさあ、どっちだと思う?」

『どっち、と言いますと?』

「私が筋トレをしている配信なのか、それとも私が視聴者の筋トレを手伝うカウントダウン配信をすればいいのか」

『うーん、たぶんですけどそれは前者じゃないですか?』

「どうしてそう思うの?」

『勘ですね』

「じゃあ間違いないかなあ」



 おそらくだが、永眠しろさんが筋トレをしている姿を見たいのだろうな。

 今は筋トレをするゲームもあったりするし、それを使った配信があったりする。

 だいたい、悲鳴であったり吐息が混じったりするので、視聴者は大助かりだ。

 さて、企画としては悪くないと思うが、文乃さんはどうだろうか。



「一応聞いておくけど、君がただ私が息を荒くしているのを聴きたいというわけではないんだよね?」

『そ、そんなわけないじゃないですか』

「…………」

『見たいですけど、それとこれとは別ですよ』

「まあそうだよね」



 ジト目になっている。



『どうします?』

「無理」



 即答である。

 冗談という雰囲気ではなかった。

 目も、見にまとう雰囲気も本気だった。



『何でですか?』



 私が思うに、しろさんは今まで常に努力していた。

 視聴者を楽しませるために、喜んでもらうために。

 そして、ありとあらゆる配信や企画にチャレンジしてきた。

 その中には、様々な事情で断念せざるを得ないという企画も確かにあったがそれでも文乃さんはやる前から拒否するようなことは一度もなかった。

 だというのに、今更どうしたのか。

 もしかして。



『筋トレ、嫌なんですか?』

「……うん」



 まさかの理由である。

 いや、そんなことはないか。

 思えば、文乃さんがまともに運動している姿を見たことがない。

 大体一日中、ゲーミングチェアか、ベッドの上にいるわけでして。

 そして、これといって筋トレをするようなことも当然ない。

 ボイトレとかはやってたけど、声優さんがやっているような基礎の体力トレーニングのようなことはまるでやってこなかった。

 食事量があまり多くないため、太ったりはしていないが不健康であることに変わりはない。

 うかつだった。

 私は人の体を捨てているがゆえに、そして元々不健康だったがゆえに、彼女の健康状態をあまり考慮に入れていなかった。

 大体、Vtuberというのは引きこもって活動していることが多い。



『ちなみに、体を鍛えるという選択はなかったのですか?』

「う、そ、それはね」



 文乃さんは、語り始めた。

 何しろ、体を鍛える習慣はあまりなかった。

 華道や茶道、箏などをやることはあっても武道など体を動かすようなことは一度もしてこなかったようだ。

 それこそ学校の体育くらいのもの。

 付け加えれば、文乃さんは学校で経験したことにいいイメージを持つことができない。

 文乃さんが言うには、体育の授業にもいじめはあったようだし。

 ドッジボールとかは、本当に地獄だったそうだ。

 初めて聞かされた時は、ないはずのはらわたが煮えくり返った。

 文乃さんは、そんな私を見て、少し嬉しそうだったけどね。

 それも、通信制の高校に行ってからはそれすらもなくなった。

 文乃さん、結構細い方だとは思っていたけどそもそも筋肉がない可能性もあるんだよね。



『筋肉を裏切った私が言うのもなんですが、筋肉は裏切りませんよ』

「う、うんそうだね」



 文乃さんは、こくこくとうなずく。



「ある程度、健康を保つためにも運動はしたほうがいいよね」

『その通りです』



 私に手足がないので忘れがちだが、しろさんは月に一度外出すればいい方なのである。

 そしてそれ以外では、彼女は常に家にいて映画やドラマやアニメや、U-TUBEの動画を観るか、配信の準備などをして過ごしていた。

 一日の大半を、座って過ごしていたわけで。

 そろそろ、運動だってしたほうがいいんじゃないかと思う。



「君は、学生時代に運動はしていたの?」

『ええとですね……』



 もはや古の記憶となり果てている子供時代の記憶を掘り起こす。

 


『子供のころは、野球をしてましたよ。小学校の時ですけど』

「やきゅう?」


 

 奇妙なイントネーションで、言葉が返ってきた。

 文乃さん、もしかして野球をご存じでない?

 まあ、女の子だとスポーツに詳しくない人もいるらしいしね。



「一応、九人でやるとか、バットとボールを使うとかは知っているよ。ただ、細かいルールとかは知らないかな」

『まあ、やらないし、観戦もしなければそんなものですよね』



 実際、私だってやっていないスポーツのルールはほとんど知らない。

 三十歳にもなって、結局オフサイドの意味が理解できなかったりする。



「中学生の時は、どうだったの?高校生の時とかは?」

『中学は、新聞配達のバイトをしていて、高校以降も色々バイトしてたので、ある程度運動はしてましたよ』

「あー、動き回ったりするらしいね。バイトって」



 結局、子供の時が一番幸せなのかもしれないね。

 球を追いかけて、母がユニフォームを洗濯してくれて、そして父は応援してくれていた。



 いや、流石に今の方が幸せだ。

 そんな私の内心とは裏腹に、文乃さんは覚悟を決めたらしい。

 



「やるかあ、筋トレ」

『やりましょう!でも、よく決心しましたね』

「君が、楽しそうに体を動かすことについて話すからね」

『……なるほど』



 文乃さんは、顎に手を当てて考え始める。



「メニューは、何がいいかな」

『まあ、上体起こし、スクワット、腕立て伏せ、プランクとかがいいんじゃないですか?』

「ほう、それは何でなの?」

『わかりやすいかなと』



 Vtuberの配信は、やはり没入感も大事になってくる。

 そう考えると、非常にメジャーな筋トレ方法がいいのではないか、イメージしやすいのではないかと思ったのだ。

 逆にマニアックな筋トレだと、「それなに?」となってしまって没頭できなくなってしまう。



「なるほど、確かにそうだ」



 そこから、文乃さんと私は話し合いを重ねていき、配信の流れを決めていった。

 あとは、文乃さんがやり切るだけ。

 まあ、出来るかどうかはさておいて。

 無理な気がするな。

 特に腕立て伏せなんて、ある程度鍛えていないと元々の姿勢を維持するのも難しいだろうね。



 ◇



「こんばんながねむー。今日は筋トレASMRというものをやらせていただきます」

【きちゃ!】

【本当に意味の分からない企画で草】

【ASMR企画をやらせたら本当に右に出る人いないだろうな】

「まずは、ちょっと上体起こしからやっていきますね」



 しろさんは、筋トレ配信を始めた。

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