第17話『始まりのVtuber』

「しろちゃんってさ、蒼樹いのちちゃんのファンなの?」

「はい?」



 蒼樹いのち。

 それは、日本でいや、世界でもっとも有名なVtuberの一人だ。

 おっとりした声と、清楚な雰囲気、そして深い海のような青い髪と瞳が外見上の特徴だ。

 そして、始祖という異名を持ったVtuberでもある。



 Vtuberという概念が、まだ生じていなかった時代。

 ごく少数の者達が、モデルを作りだしてあるいは作ってもらうことによってVtuberという概念を生み出した。

 そんな風に俗にいうVtuber黎明期に産み出されたVtuberの中の一人が、蒼樹いのちであり、なおかつそれを

 チャンネル登録者数は、三百万人を超えており、日本にいるVtuberの中ではトップクラスだ。

 活動範囲も、歌、ASMR、ゲーム実況などなど幅広く、3Dモデルを活かした配信なども行っている。

 Vtuberとして最古参であることや、なおかつ登録者数の多さも手伝って、彼女はVtuberの始祖とまで呼ばれることすらある。

 最も古く、最も偉大なVtuber.

 そしてかつての私・・・・が、生前最も聞いていたVtuberでもある。



 私が、事故死したあの日。

 文乃さんは、私のスマートフォンの画面を観て、蒼樹いのちというVtuberを観てはじめてVtuberというものを知った。

 完全に同じではないが、初めて見たのが蒼樹いのちさんのASMR配信であった以上、蒼樹いのちさんに、しろさんは多大な影響を受けていた。

 多分、ASMR配信をしようと思ったのも蒼樹いのちさんに影響を受けていたものだと思われる。

 それほどまでに影響を与えているVtuberではある。

 ではあるのだが。



「はい、ファンでした!あ、いやあの今でもファンなんですけど」



 いのちさんはでした、などという過去形で語られる存在だ。



「わかってるよ、あの子は今活動休止・・・・しているんだからね」



 蒼樹いのちさんは、半年以上前にVtuber活動を無期限休止・・・・・している。

 活動を休止した理由は不明で、活動再開時期も、不明。

 また転生の線も、ない。

 少なくとも、インターネット上でいのちさんの中の人が何かしらの活動をしているという情報は回っていない。

 彼女の知名度が高すぎるので、

 ある意味で、父親であるモデラーが同じである以上、奇遇にもいのちさんとしろさんは姉妹であるとすら言える。

 いやもしかすると、偶然ではないのかもしれない。

 文乃さんが、いのちさんに影響を受けているのであれば、狙ってやっていた可能性ももちろんある。



「あの、何か聞いていますか?いのちさんが活動を休止していた理由は」

「…………」

「あ、すみません」



 聞いてはいけないことだったのだろうか。

 沈黙があって、文乃さんはあわてて取り繕おうとしたが。



「いやいいんだよ。私は理由を知ってはいるんだ。でも、それについては言えない。プライベートなことだからね」

「ああ、それはそうですよね」



 いのちさんの休止理由は公になっていない。

 だがしかし、表に出ていない以上、もう二度と言えないということなのだろう。



「ただ、一つ言えるとするならば、彼女はいつかきっと戻ってくるよ。だから、それを信じていてほしい」

「ありがとうございます!」





「どうして、いのちさんの話をしてくださったんですか?」



 確かに、そこがわからない。

 何しろ、しろさんといのちさんの間には直接的な関係はない。

 もちろん、しろさんは配信上で何度もいのちさんの話題を出している。

 だから、彼女の配信や切り抜き動画を見れば、しろさんがいのちさんに憧れていたようなことはすぐにわかる。

 だから、共通の話題となりえるのは事実。

 とはいえ、あえて彼女の話題をする意味もない。

 新衣装の話など、話題はいくらでもあるのだから。



「私もファンだったからね、ついつい話したくなっちゃって、ごめんなさい」

「いえ、私も嬉しかったです。ロリリズム先生がそんな風に思ってるなんて」



 まあ、Vtuberにとってはすべての憧れのようなものだからね。

 ある種神に等しいともいえる。



「良ければ、蒼樹いのちさんの話をしませんか?」

「お、それはいいねえ。私が好きなのは歌ってみた動画のーー」



 その後は好きなVtuberさんの話で盛り上がり、かなり長時間通話していた。



 ◇

 


『楽しそうでしたね』

「君は、私を見る前からいのちさんの配信観てたもんね?ひょっとして混ざりたかったりしたのかな?」



 通話を終えたのちに、文乃さんはじっと私の傍で見つめてくる。

 顔が近くて、存在しない心臓に悪い。

 あと、圧が強い。ちょっと嫉妬が入っていませんか?

 別に嫉妬されるようなことはない気がするんだけど。

 ぶっちゃけ、いのちさんはしろさんにとって程、私にとっては重要ではない。



 推し、という概念がある。

 割とふわっとした定義だったりするが、

 そういう意味では、いのちさんは間違いなくしろさんの推しである。

 ただ私の推しは、あいにくと目の前にいる少女ただ一人である。



『私にとっては、もう文乃さんと一緒に見た思い出としての側面が強い人なんですけど』

「そうなの?」



 以前も言ったが、私は生前はVtuberをそこまで必死になってみていたわけではない。

 長きにわたるブラック企業における地獄のような生活の中で精神が摩耗し、その状態で見れる娯楽がそれだったというだけに過ぎない。

 けれど、しろさんが一緒に見ていた時は違った。

 文乃さんは、私が他の人のASMR配信を観ることを嫌がる。



 だが、それ以外の配信については特に何とも思っていないらしい。

 映画やアニメを観るときのように、私と娯楽を共有することを純粋に楽しんでいた。

 そんな彼女の隣で、あるいは太腿の間に挟まれた状態で、私はいのちさんの雑談配信などを観たりしていた。

 ブラック労働している時には気づかなかった側面が色々と見えてくる。

 例えば、この人は3Dモデルなんだな、とか。

 歌がとてもうまくて、人の心に染み入るような歌い方をするんだなとか。

 雑談が、話題一つ一つに一生懸命で、心から楽しんで話しているんだろうなとか。

 それと、たぶんしろさんはこの人をリスペクトしているんだろうな、と。



 そうやって積み重ねてきたから、私にとってVtuberというものはもう文乃さんやしろさんから切り離して考えられるものではない。

 文乃さんと出会うまでより、文乃さんと一緒に過ごすようになってからの方が、幸せの数も質も、ずっと上なので。

 そんなことを話すと、彼女はトマトになった。



『そう言えば、何ですけど』

「うん?」

『文乃さんは、いのちさんに会いたいですか?』

「そうだね、どんな人なのか、関わってみたい、それで、お礼を言いたいかな」

『いつかそうなるといいですね』



 まあ、きっかけになった人だし無理もないか。

 終わりというものは、どうしたってネガティブなものだけど。

 始まりというものはいつだって素晴らしいものだから。



「新衣装のお披露目の手順を考えたいんだけど、一緒に手伝ってくれる?」

『いいですけど、今日はもう寝ましょうね』



 明日から、また文乃さんの日々は始まるのだから。

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