第8話「次女と四女」

早音家の浴室は、広い。

 一人で入りながらも、私は内心で「これ二、三人入っても余裕だな」とは思っていた。

 だが、これまでは一緒に入る相手などほとんどいなかった。

 母親は滅多に帰ってこないし、かといって使用人である氷室さんたちを誘うのは憚られた。

 学校の同級生たちとは、そういう機会はなかった。

 家族をもっと芸事をしたいという口実で説得し、修学旅行といった泊まる類の行事は全部欠席していた。

 学校でも酷かったのに、泊りの行事となれば何をされるかわからなかったから。

 ましてや精密機械である『彼』は論外。



 なので、一緒に入れる相手などまずいなかった。

 要するに、私にとって誰かと一緒にお風呂に入るということは私にしてみればレアイベント、いやそんなちゃちなものではない。

 金色などいったちゃちなものでは決してない。

 虹色のスーパーレアである。

 ちなみに、ナルキさんとは一緒に寝たことがあったものの、混浴はしていない。

 何しろ、そもそも混浴という発想自体がなかったんだよね。

 閑話休題。



「このお風呂めちゃくちゃ広いね、いつもここに入っているの?」

「ええ、はい」

「私の家の風呂、狭いしユニットバスだから体感さらに狭く感じるんだよね」

「そうなんですね」



 私は、今マオ様と――桜花さんと混浴している。

 なぜなのか、と自分でも思う。

 はっきりとは覚えていないのだが、話の流れで何故かそうなってしまった。

 私としても、別に嫌ではないしね。

 友達と一緒にお風呂入るなんて、最高じゃない。

 



「しろちゃんってさあ、でかいよね」

「そ、そうですかね?」 



 じっと、桜花さんは私の胸部を見つめてくる。

 なんだかじっと見られると、同性とはいえ恥ずかしい。

 タオル一枚つけていないので、しっかりと見られてしまうわけで。

 何とか、話題を変えておきたい。

 『彼』にチラチラ見られるのとはまた別種の恥ずかしさがある。

 『彼』に見られるのも、満更でもないのだけど。



「そういえば、お風呂に入る前に行ったのはどういう意味なんですか?」

「あー、私が元々社会人だったのは知ってる?」

「ええ、まあ」



 Vtuberという生き物はリアルの全てを赤裸々に晒すわけではない。

 それは自分の身の安全を守るためであり、同時にファンのためでもある。

 いわゆる「中の人」について知りたくないと考えるファンは多い。

 ただ、ファンというのは難しいことに推しの詳細を知りたがる側面も持っている。

 なのでキャラクターを崩さない程度にリアルの話をぼかしつつ話すのが最も好ましいと言える。

 私で言えば冥界から出ていない、と言っておりいわゆる引きこもり状態であることや、学校で居場所がなかったこと、あるいは現在まともに学校に行っていないことを示唆している。

 まあ、別に私の場合はあんまり真に受けている視聴者が少ないんだけど。

 みんな私のこと大学生から社会人だと思ってるっぽい。

 



 マオ様も、魔界で働いていた過去があるが今は退職している、と言った形で社会人経験があったということを配信で話していた。



「どうして、会社を辞めたんです?」



 会社を辞めた理由は、表ではぼかされていた。

 配信上ではいわれていない。

 おそらくここで言っているということは、踏み込んでもいいのかなと判断して私は質問した。



「別に、大した理由があったわけではないよ。単に、疲れちゃってね?」

「ブラック企業ということでしょうか?」



 『彼』がいた企業のように、本当に悪条件な職場も多いと聞いている。

 そういうことなのだろうか。



「いいや、むしろ私がいたのは比較的ホワイトな職場だったよ」

「じゃあ、なんで?」

「耐えられなくなって、ね」

「耐えられない?」

「毎日毎日、会社に行って、やりたくもないことをずっと続けるのが、ただただ耐えられなかったんだ」



 大間さんは浴槽にもたれかかり、体勢を崩した。

 ばちゃり、と水面に波紋が広がる。

 彼女の横顔には、どこか自嘲の色があった。

 自分で自分を貶めるほどではないと思うのだが。



「それは、少しだけわかるような気がします」

「ありがとう。でも、私は私が弱かったからこうなったと思っている」

「じゃあ、後悔してます?今のことを」

「いいや、そうじゃないんだ」



 改めて、私の方に向き直り桜花さんは真っすぐに見つめてくる。



「Vtuberになろうとしたことも、プロジェクトを立ち上げようと思ったことも、事務所を大きくするために動いてきたことも、全部後悔はない」

「それはよかったです」

「ただねえ、同時に思うんだよ。Vtuberじゃなくて、真っ当な仕事を続けられていたらどうなっていたんだろうって」



 Vtuberも真っ当な仕事であると言おうと思ったが、やめておいた。

 そんなことを、彼女が理解していないはずがないから。

 確かに、Vtuberという仕事は不安定だ。

 加えて、大っぴらに人前でいえる職業でもない。

 中の人を前面に出せないというVtuberの特色上、大っぴらに明かせない。

 また、Vtuberを辞めて後に他の職業に転職する際には履歴書に経歴として書くこともできない。

 私は、そういったことを気にする必要はない。

 極論、お金に困っていないし、現時点で仕事としてというよりも趣味、あるいは自己実現としてVtuber活動をしている。

 だが、大間さんのように完全に仕事としてやっている人からすれば特に不安定な職業に映るのだろう。

 お風呂に入る前に、「Vtuberになる人は、どこか頭のねじが外れている」と評していた。

 それは、リスキーな道を歩むことに適していた、あるいは歩まざるを得ない自分を顧みての言葉なのかもしれない。

 私はどうだろう。

 成瀬さんにも指摘されたことだが、私の金銭感覚は大きくずれている。

 そもそも、私は物を自分で買うことが滅多にない。

 欲しいものを言えば、それが問題ないと判定されれば与えられ、不適切と思われればもらえない。

 いずれにしても、私が自分の金銭を消費するということはない。



「しろちゃんは、どうしてVtuberになろうと思ったの?まだ高校生なんだよね?」

「ええと」



「大間さんに言うのもなんですが、私の家はお金持ちです」

「うん、知ってる」

「なので、働く必要がありません。つまり、私は趣味としてVtuber活動をしているんです」

「あー、そっかしろちゃん個人勢だもんね。だから活動が趣味から始まっているのか」



 納得しているのか、うんうんと、うなずく。

 上気した顔は、童顔でありながらとても綺麗だった。



「私の声で、手で、傷ついた人を癒すことが私の目的です」

「しろちゃんはすごいね、私は何というか」



 この人には、私が高尚な存在であるかのように見えているのかもしれない。

 あるいは、彼女には自分がつまらない人間に見えているのかもしれない。

 けれど。



「そんなことはないです、違いなんて、ないんですよ」

「そう思う?」




 じっと見つめられて、考えをまとめていた。



「ASMRは、多くの人を癒すことができます。でも、完璧じゃない。いくら手を伸ばしても私一人では限界があるんです」

「限界?」

「ASMRというのは、日々の疲れをいやすためのものです、だから人は最高のものじゃなくて最適なものを見ようと考えるんです」

「最、適?」

「例えば、声質です。私の声が好みだと言ってくださる方は多くいます。でも、マオ様みたいにより幼い声や、羽多さんにみたいな大人びた声が好きだという人だっているんです」

「あと、シチュエーションとか内容も配信者によって、あるいは視聴者によって違ってくるんです」



 例えば、私は本当に耳舐めから金属音まで幅広くやっているが、そうでもない人の方が多い。

 声を入れない環境音などに特化したチャンネルや、シチュエーションボイスやロールプレイといった演技力に秀でたチャンネル、あるいはナルキさんみたいにセンシティブに特化したチャンネルなど得手不得手がある。

 また、視聴者にも当然一人一人好みというものがある。

 私とて、出来る限り多くの人を癒せるようにバリエーションを増やしているが、それにも限界はある。

 例えば、男性が行う女性向けの所謂イケボASMR配信や、そもそもVtuber活動から大きく逸脱してしまう実写配信などはできていない。

 後者はともかく、前者は私のスペック上不可能なのだ。



 でも、それでいい。

 私が精いっぱい手を伸ばして、伸ばし続けて。

 それでも救えない人は、他の誰かが守ればいい。



「より多くの人を癒すには、たくさんの人がASMRをすることが必要だと思っているんです」

「それは、君の理想だよね、別に私が高尚になるわけでもないというか」

「それは違います!」



 ばしゃり、と腕をお湯にたたきつける。

 お湯が飛び散ってこぼれた。



「Vtuberっていうのは多様なんです、色々な人がいて様々なことをして」

「う、うん」

「ASMRに限らず、誰かの活動で救われてる人がいるなら、それはマオ様に、私に、その人にしかできていないということなんです」



 傷ついた時。

 苦しくて、何もかも嫌になった時。

 誰かが支えてくれるだけで、人は救われる。

 私は、そういう存在に、「見えざる癒し手」になりたいと思っていた。

 でも、全ての人にとっての癒しが私である必要はない。

 必死で手を伸ばしても、届かない人はいる。

 私のことを知らない人も、私のことが嫌いな人だってどうしようもなく、必ず存在する。



「きっと、意思とか目的に間違いなんてないんです、大事なことは、その上で何をしたか、何をもたらしたかだと思います」

「そうか。君は、救える人を増やすためにと考えて、今日はこういう企画をしたんだね」

「あはは、それだけじゃないですけどね。マオ様に会いたいという感情とか、あとマオ様とコラボすることで喜んでくださっている方々もいますから」

「そっかあ、ハハッ。それはわかるなあ」




 彼女は、入浴してからはじめて笑った。



「私も、ASMRやるよ」

「あのさ、今日教わったこと以外にも何かコツとかあったら教えてもらえる?」

「はい、いいですよ」

 



 その後、お風呂から上がってから寝るまでに、私と桜花さんは色々と話した。

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