第37話『一周年記念凸待ち開始』
七月の歌リレーから、ひと月ほど経過した。
今は八月。
蝉が結婚相手を探して鳴きわめき、カブトムシとクワガタムシが飛び回り、太陽が地面を焼き尽くす。
そんな時期に。
永眠しろさんは、Vtuberとしてのデビュー一周年を迎えようとしていた。
『おはようございます』
「おはよう」
『いよいよ一周年ですね』
「三日後だもんね……。うっ、緊張してきた」
起きてきた文乃さんは、そのままふらふらと洗面所に向かった。
三日前、記念配信の内容を決めた時からこんな感じである。
一周年。
それは、何につけても大きな節目だ。
カップルであれば、プレゼントを用意し、予定を開けて盛大に祝うだろう。
子供の一歳の誕生日であれば、親は一斉に祝福するだろう。
ソーシャルゲームであれば、無料石の配布や、何かしらのイベントがあるだろう。
そしてVtuberにとっても、一周年というイベントは決して軽くない。
そもそも、一年活動を続けられる者事態が稀である。
配信という、人によってはそれなりに体力や精神を削られることを一年続けるというのは、並大抵のことではない。
いわゆるVtuberドリームなどといった収益を上げて豊かな暮らしができるのはほんの一握りである。
実際のところは、大半のVtuberは金銭的な利益を求めてのことではなく、趣味としてやっているものが多い。
結局、収益化自体叶わない人が大半であるけどね。
ましてや、リアルの兼ね合いやモチベーションの維持などもあって一年間貫き通せるのはほぼいないと言ってもいいくらいだ。
だが、少なくとも永眠しろさんはそれを成し遂げたのである。
さて、一周年を迎えたということであれば当然それに付随するものがある。
記念配信である。
歌枠、凸待ち、企画、重大発表、とにかく一大イベントをやるのがセオリーだ。
ゆえに、緊張するのは仕方がない。
まして、今回の企画は永眠しろさん史上最大規模の企画である。
◇
当日になっても、文乃さんはまだ緊張していた。
「うううううううううううう」
なるほど。
これはまずい。
ただ、それこそ歴代ワーストというわけではない。
因みに一番まずかったのは歌リレーの時かな。
今回は、企画の性質上直前まで打ち合わせをしていたので比較的安定している。
やっぱり、人と関わるのは彼女にとってプラスに働いている。
だから、あと一押し。
そよ風のような小さなひと押しに、私がなれればいいと思う。
『しろさん』
あえて、
『今日は、貴女が生まれた日です』
「……っ!」
文乃さんも、どうやら一年前のやり取りを思い出したらしい。
『応援しています。だから胸を張ってください、今日という素晴らしい日は、誰もがしろさんを祝福するためにあります』
「……大げさだなあ。でも、ありがとう」
文乃さんは、クスリと笑う。
よかった、笑ってくれた。
多分もう大丈夫だ。
まあ、ただの勘だが。
「じゃあ、行ってくるよ」
『はい、行ってらっしゃい』
これは、もう一年続けているやり取り。
家族のように、あるいは恋人のように。
これまでほとんど一年中かかさずやってきた会話。
そして、これからも傍にいたいから贈る言葉。
ヘッドホンを装着して、もう慣れた手つきでパソコンを操作して。
しろさんは記念配信を始めた。
「はーい、こんばんながねむ―。今日も配信やっていくよ」
【きちゃ!】
【待って、今回もASMRなの?】
囁くような声で、入ったので視聴者たちは動揺した。
ちなみに私も動揺している。
「あ、言い忘れましたけど、今回はいつものダミーヘッドマイクを使っております。サムネイルに入りきらなかったからその情報抜けてたよね、ごめんね」
「というわけで、改めまして。この一周年を記念する企画は、ASMR凸待ちだよー」
凸待ち。
それは、コラボの一種である。
まず、通話アプリのサーバーを配信者が作り、そこに同じ配信者や視聴者を招待する。
そして、順番にサーバーに来た人たちとトークをしていくという配信になっている。
まあ、視聴者の場合暴言や卑猥な言葉を叫ぶなどといったリスクが存在しているがゆえに、配信者同士のみで凸待ちをすることも少なくない。
というのは、一般的な凸待ちの話。
凸待ち配信が飽和した昨今では、そこにプラスアルファを加えるのも珍しくない。
例えば、逆に配信している側が友人のVtuberに通話をかけることで、かけられた側の素の反応を見ることができる逆凸配信。
凸してくれたVtuberと会話するだけではなく、ゲームなどもするゲーム凸待ち。
待ち構えている側が、複数人いるというコラボ凸待ちなど、様々な派生が存在している。
今回の、ASMR凸待ちもそういった基本の凸待ちから派生したものであり。
彼女と私の知る限りでは、永眠しろが考案したオリジナルである。
「それじゃあ、まずこの凸待ちのルールを説明するよ。ASMRしながら凸待ちをする。なおかつ、凸待ちの最後に来てくれた人からセリフリクエストを受けて、答えるよ」
【これは期待】
【頼むぞがるる、わかってるな?】
「次に、会話デッキというものを一応作っておいたよ。まあ、これは比較的無難なものだね。それこそ、普通の凸待ち配信でもよくあるような奴」
「開始前に、一つだけ。皆さんに注意事項があります」
一段と声を低くして、しろさんは視聴者たちに語りかける。
【何でしょう?】
【はい?】
「今から、凸待ちをしていくわけで、こちらで音量は調節するんですけど、それでもこちらがダミーヘッドマイクを使っている以上、音量バランスが完全に調整できるとは限りません。なので、心持ち小さくしていただけると、大変助かります」
これは、苦渋の決断だった。
何度も何度もメイドさんたちにお願いして、リハーサルを行った。
また、今日来る予定のVtuberさんたちにはあらかじめ企画の趣旨を何度も説明したし、通話を伴う打ち合わせもした。
それでも、向こうがダミーヘッドマイクを使わない以上、完ぺきとは言えない。
何か問題が起きてしまうかもしれない。
それでも、どうしてもしろさんはこの企画をやりたいと言い張った。
――凸待ちをしてみたい。これまで関わってきた人に、感謝を伝える場でありたいから。
――ASMR配信をしたい。これまで支えてくれた君と、一緒に一周年を祝いたいから。
それは、彼女の意志である。
放送事故の可能性があろうとも。
しろさんの意思より優先すべきことなど、あろうはずはない。
だからメイドさんたちは準備を手伝ったし、彼女達もリハーサルを手伝った。
【了解!】
【音量調節頑張ってね!】
【叫びそうなやつ……二人位いるなあ】
コメント欄にも同意のコメントが書き込まれ、配信は少しずつ盛り上がっていた。
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