第36話「ちょっとした雑談と回想」
「歌リレー、お疲れ様!」
「ありがとうございます。見てくれたんですか!」
「そりゃ見るよ、本当に最近順風満帆って感じじゃない?」
「そうですね!
「いやいやー、私はちょっと口を出しただけで、頑張ったのはしろちゃんとがるる先生でしょ?」
「がるる先生もお礼を言ってほしいとおっしゃってましたよ?」
「マジで!相互フォローだし、コラボ誘ってみようかな……」
歌リレーも終わり、私はある程度落ち着きを取り戻していた。
今日は、こうして余裕があるので作業通話をしている。
仕事のことや、何でもないことをこうやって成瀬さんと、ナルキさんと話す。
因みに、相手ががるる先生の時は彼女はずっと絵を描いている。
成瀬さんはサムネイルなどを製作したり、事務作業や連絡をしたり。
私は、課題を処理しつつ、SNSでエゴサーチをしたり、可能な限りリアクションをしたりしながら、である。
この時間が、私は好きだ。
因みに、『彼』は話に滅多に入ってこない。
「何で君入ってこないの?」と聞いたのだが、『なんだか邪魔な気がして』というあいまいな答えが返ってきた。
まあ、無理に入ってきてもらおうとは思わないけど。
「そういえば、成瀬さん。動画を投稿しようと思います」
「ああ、もしかしてあれ?」
『あれ、ですか』
「そう、
一体、私達がいかなる動画の話をしているのか。
話は、数週間前に遡る。
◇
それは、ナルキさんとのコラボASMR配信を放送する、数時間前のこと。
ナルキさんが来て、機材のチェックも終わり、数時間何をすればいいのかもわからない、暇な時間ができていた。
「そういえばさ、文乃ちゃんって箏動画とかあげてたよね?」
そんなことを、突然成瀬さんが言い出した。
「ええ、そうですね」
「めちゃくちゃうまかったけど、結構やってたの?」
「まあ、小学生の時くらいからやらされてましたね」
本当にいろいろやらされたなあ。
茶道、華道、弓道、なんていう日本的なことから、英会話やチェス、ピアノなどの伝統とは真逆のことまでとにかくいろいろな芸事をやらされた。
英会話以外は、ある程度見についたかな。
勉強は、あまり得意ではないのだ。
箏も、その一つに過ぎない。
そんなことを言うと。
「いいなあ」
成瀬さんは、羨ましいという感情を隠さずにそう言った。
「……いいなあ」
「成瀬さんは、習い事とかはなかったんですか?」
「そんなのやらせてもらったことないよ。ピアノとか英会話とか行きたかったけどねえ」
心から羨ましそうに、なおかつどこか恨めしげに語る。
あまり裏表のないタイプだというのはここ最近の付き合いで察していたので、本心だろう。
私からすると本当にただ苦行だったのだけれど、やったことのない人からすればよいものという認識なのかもしれない。
人間の本質はないものねだりだと、『彼』も言っていた気がする。
成瀬さんの綺麗な顔を見ていると、なんだか申し訳なくなってきたので、提案することにした。
「じゃあ、やってみますか?」
「はい?」
小首を傾げる彼女を見て、思う。
やっぱりこの人綺麗だよね。
あと、大きいし。
何がとは言わないけど。
絶対に、『彼』も視線を送っていたことだろう。私にはわかる。
閑話休題。
「箏をやってみませんか?というか収録しませんか?初心者に教えてみた、みたいなタイトルで」
「いいの?」
嬉しそうに、成瀬さんは椅子から立ち上がった。
まあ、箏なんてやる人はあんまりいないのかもしれない。
『彼』も最初は戸惑っていたしね。
「はい、着物も、箏も多分お貸しできると思いますので……」
「いいの?」
「氷室さん、お願いできます?」
「はい、大丈夫ですよ」
いつの間にか雷土さんと入れ替わりで入った氷室さんに声をかける。
私は、着付けの仕方とか知らないので彼女に任せることになる。
「ここでお着替えになりますか?」
「……それはダメだね。部屋を変えよう。着物を選びたいし」
「まあ、それがいいですね」
「……?承知しました」
少しだけ、氷室さんは不思議そうな顔を出したがとくには何も反論せず二人を連れて部屋を出た。
『彼』に見られるなんて恥ずかしい。
いや、『彼』に私が見られるのはもう今更構わない。
上に関しては、生まれたままの状態を晒したこともあるのだから。
ただ、成瀬さんと一緒に見られるのは嫌だった。
絶対比較されるに決まっている。
服の上からでも負けているのがわかるというのに、完全に開帳されてしまったら立ち直れない。
『彼』が巨乳好きなことくらいは知っている。
『萌えアニメは揺れで名作か否か決まる』とか言ってたからね。
まあ、私も大きい方ではあるから別にいいけど。
◇
「ちなみになんだけど、箏っていくらくらいするの?」
『さあ……』
「さあ……」
そういえば、知らないね。
いくらくらいなんだろう。
自分の所持品で値段がわかるのがVtuber活動に関連するものだけなんだよね。
「ええと、火縄さん、いくらだったかわかる?」
「あー、えっと、この箏だとこれくらいですね」
眼鏡をずり上げつつ、スマートフォンで調べてくれた氷室さんの口から、おおよその額を聞いて。
『「…………」』
『彼』も、ナルキさんも言葉が出てこなかった。
いやもちろん、楽器が全般的に高いのは知っているし、文乃さんが使っているのだから安物ではなく、むしろそれなりに質が良くて根が張るものだろうとは思っていた。
だが、しかしである。
結構高かった。
それこそ、マイクと比較しても引けを取らない。
私は、金銭のやり取りを教科書など、創作の中でしか知らなかったので金銭感覚はそこらの高校生と大差ない。
「だ、大事に使わせていただきますね?」
「……?ええ、よろしくお願いします」
その後、箏動画を収録した。
人にことを教えるのは初めてだったので慣れないことをしてしまった。
だが、本当に楽しかった。
◇
その日は、もう一つ思い出があった。
配信が終わって、その場の勢いで一緒に寝ることになったときのことだった。
とりとめのないことを話していたが、どうしても訊きたいことがあったので、訊いてしまったのだ。
「ナルキさん」
「貴方にとって、『彼』は何ですか?」
成瀬さんがどう思っているのかは、今彼女の顔が見えるときに確認しておきたかった。
『君』については後で確認するよ、と首だけあげてダミーヘッドマイクに念を送る。
ともかく、成瀬さんはさほど悩まず答えを出した。
「恩人、かな」
「恩人……」
「前の職場で、本当にお世話になったんだよ」
「例えば?」
職場での直属の上司ともなればもちろん、色々世話になることもあるかもしれない。
そうすれば、仲が良くなるということもあるだろう。
実際、上司と部下の関係と呼んでいいのかどうかは全く分からないが、メイドの三人もかなり仲がいいように見える。
『彼』もそんなことを以前言っていた気がするので、私の勘違いなどではないはず。
だが、恩人とまで言える関係性になるのは困難なはずだ。
小説や漫画を見ても、友人や仲間という言葉は頻繁に使われるものの、恩人という言葉はまず出てこない。
恩がある、借りがあるという関係は、そう簡単に築かれるものではない。
一体、何があったというのか。
「うちの会社って、ブラックで、とにもかくにも根性論の会社でさあ」
「うわあ」
『彼』から聞いてはいたものの、本当にろくでもない。私も、怒鳴られたりするのには覚えがある。
本当に、今思うと私はなぜ怒られていたのか微塵も理解できない。
そもそも、怒るという行為自体非効率でしかないはず。
エネルギーの消耗も大きいだろうしね。
まあ、私はあまり怒るということもないのだけど。
怒っても無駄なことが多いとわかっていたというか、とにかく感情を殺していた記憶しかない。
そういえば、たぶん私が初めて人に対して感情をむき出しにしたのって恐らくはあの時なんだよな。
駅で飛び降りようとして、『彼』に手を掴まれたあの時。
色々な感情があふれたボロボロと泣いてしまったことを覚えている。
そこから、自分の気持ちに正直になることができた。
趣味を見つけて、やりたいことが決まって、Vtuber活動を初めて。
何より、生まれて初めて好きな人が、できた。
『彼』は私に、感情をくれたのだ。
どきどきするような
もうすぐ寝るというのに、これはよくないね。
「そんなとき、間に入ってくれたのが先輩だったんだよね」
「ああ……」
私の口から出た言葉には、二重の意味合いがあった。
『彼』ならきっとそうするだろうなという納得と。
それは、恩を感じるだろうなという納得だ。
「成瀬さんは、『彼』のことは好きなんですか?」
「どうだろ、正直言えばあんまりよくわからない。顔が好みじゃないのは確かだけど」
確かに、彼はあまり特徴のない顔立ちをしていた。
すれ違っても記憶に残らず、挨拶をしても多分三秒もすれば忘れてしまうような顔だ。
逆に言えば、そんな特徴のない顔を、二人とも未だはっきりと覚えているということにもなるのだけれど。
きっと、恋愛感情があったのかは本人にもわからないのだろう。
ただ、彼女の表情は少し暗いように見えた。
まるで、何かをこらえるような。
「ただ、私の中で先輩はもう死んだ人だからね。そこは、文乃ちゃんとは違うかな?」
表情が一転、にやにやと笑う成瀬さんを見て、意味を察して顔が熱くなる。
「べ、別にそういう意味じゃないです」
「へー、じゃあどういう意味なの?お姉さんに相談してみ?」
そんな話をしていたら、いつのまにか寝てしまっていた。
◇
余談だが、それなりに箏動画はバズった。
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