第32話『五人家族』

 『がるる家歌リレー』に参加しているVtuberは合計五人となっている。



 がるる・るる先生と、彼女が描いた娘達四人。

 しろさんの順番は、三番目。

 最も若手である彼女が、初手やトリを務めるのは流石に荷が重いという他の四人による配慮である。



 因みに、一番手は先日しろさんにボイトレをしてくれた天使羽多さん、トリを務めるのはがるる・るる先生であるらしい。



 歌リレーのスケジュールとしては、十九時からスタートして、各々が一時間ずつ歌っていく。

 それが、おおよそのスケジュールである。

 時刻は十九時前。



 まだ、歌リレーすら始まっておらず、しろさんの番までは二時間ほどある。

 そんな状況下で。



「…………」




 早音文乃さんは、がちがちに緊張していた。

 これまでも幾度となく緊張し、そのたびに乗り越えてきたのだが、今までの比ではない。

 顔は、青いを通り越して土気色になっている。

 目はあちこち動いたりはしていないが、焦点はあっていない。

 表情は硬く、目を動かす余裕すら、失われている。

 そして、いつものゲーミングチェアに座って頭を抱えている。

 食事だって、今日は朝から何も食べていない。

 水は飲んでいたようだが、それだけだ。

 初配信の時でさえ、ここまで酷くはなかった。

 その理由は、わかる。



 文乃さんは、ここ最近まで一人で戦ってきた。

 いや、もちろん実際には一人ではない。

 配信のサポートをしてくれるメイドさんがいるし、私にすらわからないレベルで様々なことをしてくれる使用人たちがいるし、活動を見て応援してくれるファンがいるし、何より金銭的に援助してくれるご両親がいらっしゃる。

 けれど、精神的には私と出会うまで彼女は孤独だったはずだ。

 誰も信頼できず、誰にも心を開いていなかった。

 私に対しても、ごく最近まで本心を口にしきることはできていなかった。



 だが、最近の、あるいは今のしろさんは違う。

 私に本音を話すようになっただけではない。

 ナルキさんや、がるる・るる先生、がるる家の姉など、他のVtuberと関わりはじめた。

 メイドさんにも、他の使用人にも積極的にコミュニケーションをとるようになった。

 彼女の世界は、徐々に広がり始めている。



 だから、だからこそ文乃さんは恐れている。

 変化しつつある自分を、より多くの人と関わり多くの人に見られるようになっていく自分を、見てくれる人に受け入れてもらえるのか。

 


 この日のために、ずっと彼女は努力を重ねてきた。

 打ち合わせを入念に行ってきた。

 ボイトレを何時間、何十時間とやってきた。

 歌枠で調整をしてきた。

 その努力に意味はあるのか。



 不安なのだろう、と思う。

 まあ、ただの勘なのだが。

 彼女とより本音で会話するようになったからか、以前よりも精度が増しているような気がする。


 

 

 まだ二時間あるし、その間に何かを言わなくてはならない。

 ならないのだけれど、ここまで緊張している彼女に、何と声をかけるべきか。

 ここまで追い詰められていると、私が声をかけた時点で、それが刺激となって爆発しかねない。

 そういう事例を、主に実父でさんざん見てきた。

 今回は、そういうレベルだ。

 何か、一つでもこの状況を打ち破るきっかけがあれば。

 そう思っていた時、7時になって。

 『歌リレー』が、始まってしまった。



 トップバッターは、羽多さんだ。

 配信開始と同時、彼女が歌い始める。

 ピンクの髪、天使の輪、そして純白のドレスと羽。

 歌枠を想定しているのだろう、ライブハウスのような配信画面も神々しい。



「~♪」



『あれ?』

「……っ!」

【おや?】

【なるほどそういう……】



 いきなり歌い出したからではない。

 それは、歌枠だと「掴み」としてよくあることだし、そもそも『歌リレー』では全員そういうスタイルで行くと決まっている。

 彼女の歌った曲に、聞き覚えがあったから。

 文乃さんも、同じだろう。

 息をのむ音が聞こえた。


 

 最初に羽多さんが歌ったのは、以前はやったアニメのオープニングテーマだ。

 五つ子のヒロインがいるという設定が注目され、話題になった。

 これを、リレーの一番手である彼女が、初手に持ってきた。

 それが示す意味なんて、分かり切っている。



 五人目の家族・・・・・・に対する、歓迎しかありえない。



「羽多、さん」



 文乃さんが、信じられないというように目を見開く。

 コメント欄も、それを理解しているのか、大いに盛り上がっている。

 一曲目が終わったところで、羽多さんは少しだけ、と言って話し始めた。



「今日はね、一応初めてがるる家全員でのコラボということで」



 まあ、実際のところコラボをしたことはあるんだけど、スケジュールの都合で勢ぞろいとはいかなかったんだよね。

 がるる先生、羽多さん、しろさんの三人だったり、あるいは四姉妹が全員いたけど、今度はがるる先生がいなかったりだとか。

 全員、各々の活動で多忙だったんだよね。

 まだしろさんが、五人の中で一番暇だった可能性もある。



「まあ、今日はお祭りなので、私のファンも、それ以外の方のファンも、今日はじめてがるる家を知ってくれたという人も、一緒に盛り上がっていきましょう!」



 そういって、羽多さんは歌い始めた。

 私は、歌を聴きながら、気づいていた。

 先ほどまで、焦点のあっていなかった文乃さんが、しっかりと画面を見つめていることを。

 そして、彼女の目から涙があふれていたことを。



「じゃあ、この後はリンクから移動してくれると大変助かります!それでは、お疲れあまつかー」

「ねえ、君」

『何でしょうか?』

「私も、私にも、できるかな?」



 歌で、人の心を動かすことができるだろうか、と彼女は問うた。

 たった今、プレッシャーでボロボロだった文乃さんが少しだけ回復できたように。

 だから、私は心のままに、素直に答えた。



『わかりません、人の心がどう動くかは、私にも予測できません。でも』



 そこで区切って。



『貴方が歌ってくれたら、私の心は動きます。全力で喜び、打ち震えると思います』



 ただ、主観まみれの本心を口にした。



『だから、きっとできると私は信じてます。あなたの努力も、これまで人の心をつかんできたという結果も、私は知っていますから』

「……そっか」



 ゆっくりと、しろさんは椅子から立ち上がる。

 そして、部屋の外に向かって歩き出した。



「ちょっと、厨房に行って来るよ。食べないと歌うための力が出ないからね」



 そういって、しろさんは扉を開けて部屋を出ていった。

 以前は、コックである陸奥さんにも、メールでやり取りをしてここまで持ってこさせていたはずだ。

 けれど、最近はああして急にものを頼むときには直接出向いている。

 人と積極的にかかわることができるようになっている。

 いじめのトラウマで人を信じられなくなっている彼女が、少しずつ変化している。

 彼女は、良い方向に変わり続けている。

 この歌リレーが成功するのかどうかはわからない。

 それは、五人のVtuberにかかっているからだ。

 けれど、きっと文乃さんなら、しろさんなら、大丈夫。

 大丈夫だと、そう信じることができた。

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