第26話『嫉妬が引き起こす現象』
「ねえ、君は私のこと愛してる?」
『ええ、愛してますよ』
もはや、日課のようなやり取りを今日も繰り返す。
ただし、違う部分もある。
「ふーん」
なぜか、文乃さんがすごく不機嫌なのだ。
この前、ナルキさんと、成瀬さんとコラボをしてからずっとこんな調子だ。
どうしよう。
理由を訊いても教えてくれないし。
『文乃さん』
「……何?」
『何に怒ってるんですか?』
「別に」
『私に、そういうごまかしが通じると思っているんですか?』
「…………」
『すみません。言い方が悪かったですよね。ただ、このままではいけないと思うので』
あいにくだが、いやでも勘が鋭いのだ。
文乃さんが不満を抱いていることはわかっている。
二人の今後の関係性を考えれば、ここで不満を解消しておくべきだ。
「わかった。じゃあ、話すよ。本当は言わない方がいいんじゃないかって思ってたんだけど」
まあ、私の勘の鋭さは文乃さんも知っての通りだ。
嘘でごまかせる程度のものでもない。
しろさんは、不満を言うために口を開いた。
「ナルキさんに耳舐めされた時さあ、デレデレしてたね」
『ぶふっ』
思わず吹き出してしまった。
確かに、人生初めての両側から耳舐めをされたということで、テンションが上がってしまっていたのは事実である。
無論、コラボASMRの配信を聞いたことは生前もある。
だが、直に両耳を舐められるなど初めての体験であり、まず絶対にありえないことである。
ゆえに、まあ、文乃さんの言う通りデレデレしてしまっていたかもしれない。
ぶっちゃけナルキさん一人にメロメロになっていたかと言われればそんなことはないのだが。
……まあ怒るよね。普通に考えてさ。
私だって、逆の立場なら間違いなく憤慨するし。
『文乃さん』
「何かな?」
『ごめんなさい』
「いや、でも別に君が悪いわけじゃなくてさ、あれはたぶん男性ならしょうがないというか成瀬さんの大胸筋がとんでもなかったというか」
『私が悪いとか、そういう問題ではないし、ましてやしろさんがわるいわけでもありません。これは、感情の問題ですから』
だから、ちゃんと隠さずに言った方がいい、と伝えた。
もし、私と文乃さんがもっと浅い関係であったなら。
仕事上の割り切った関係性であったなら。
私は、そこまで言うこともなかっただろう。
あるいは、上下関係があればもっと違ったのかもしれない。
けれど、そうではない。
私と文乃さんは、友人である。
であれば、理論や正論で語ることは、きっと正解ではないと思う。
感情論は、感情でしか解決できない。
文乃さんは、すうっと息を吸い込んでゲーミングチェアの上に正座した。
「色々言いたいことがあるから、答えてくれる?」
『何でも、偽りなく答えます』
まずは、質問から始まるらしい。
「成瀬さんとは、生前にかかわりがあったんだよね?仲良かったの?」
『いえ、全然。ただの職場の先輩と後輩ですよ』
たまたま、私が生前いた部署に、成瀬さんが入ってきただけ。
私がそこで比較的若手だったということもあり、教育係のようなことをしていた。
なんで教育係のようなものかと言われると、それは正式な教育係がやめているからなんだよね。
うちの職場は、いろんな人がすぐに抜けていくんだよね。不思議だね。
上司が、退職代行に対して毎日のようにぶちぎれていたんだよね。怒ったってどうにもならないのに。
仕事をする時間が長すぎたせいで、関わる時間はそれなりにあったが……特に仲が良かったわけでもない。
人に興味を持ってる余裕なんてなかったんだよあの時は。
「でもさ、成瀬さんって駅まで行って花を供えてたんだよ?本当に仲良くなかったの?」
『いやあの、本当に会社に仲のいい人とかはいなかったので。忙しかったですし』
「そ、そうなんだ。そうだよね」
忙しかった、という一言がよほど重かったのか、文乃さんは納得してくれた。
どうして、浮気を詰められている時の旦那さんみたいなことになっているんだろうか。
弁解できたからいいけど。
まあ、実際花を供えるためにわざわざ来ていたのは意外だったけどね。
文乃さんから聞いた時は、本当に信じられなかったようだね。
意外と、義理堅い性格だったのかもしれない。
そういえば、仕事も結構真面目にやってくれてたっけ。
……そもそも、私がいた会社はまともな人いなかったから、思えば成瀬さんは数少ない普通の人だった気がする。
「君の耳を舐めるのは私だけがいいなって思っちゃったんだよね」
『……なるほど』
これって、あれでは?
所謂、やきもちでは?
私が成瀬さんに耳を舐められて、興奮しているのを見て気分を害されたということだろう。
ちなみにだが、配信者も自分の視聴者がほかの配信を観るのを嫌がる人も一定数いるのだとか。
とはいえ、成瀬さんではなく私の方に怒りが向くあたり、個人的には私好みだったりする。
『文乃さん』
「……はい」
『まず一つ、言わせてください。私にとって一番大切なのは文乃さんです。他の誰でもありません』
「……ふえ?」
ぽん、と文乃さんは一瞬でゆであがる。
今日は林檎みたいだな、と思いながら話を進める。
『ええと、何か埋め合わせをさせてもらえませんか?』
「というと?」
『まあ別にやましいことをしたというわけではないですけど、それでも気分を害してしまったのは事実なんですよね。だから、埋め合わせをしたいなと思いまして』
「なるほど」
感情論なのだから、文乃さんの感情をスッキリさせないと解決しないのだ。
椅子に背筋をピンと伸ばした状態で座っているしろさんは、少しだけ考えて言葉を発する。
「じゃあ、二つ程お願いしていいかな?」
『いいですよ。なんでも、おっしゃってください』
別に、彼女がやって欲しいということであれば、いくつでもやった方がいいと思う。
二つというなら、それで構わない。
「まず一つ、この後また私とカラオケデ、デートすること」
『わかりました』
少し途中で照れてしまっているしろさんを見ながら、私は同意する。
別に、私としては決して苦痛ではないしね。
むしろご褒美です。
「二つ目は、私の収録に付き合ってもらうこと」
『わかりました。……それだけでいいんですか?』
「うん、とりあえずはそれでいいよ」
しかし、これでも結局持ち運んだりするのはしろさんはメイドさんたちのやることなんだよね。
手足のない、自分で動けないゆえに私がしろさんにしてあげられることはそう多くない。
あまり人との交友が多くなかったからわからないけど、普通に考えればこういう時は贈り物をしたりどこかに連れ出したりということもできるはずだ。だが、わたしにはおつてい不可能な話。
お金がないし、なんならもう連れていくための手もないわけで。
まあ、できることをやるしかないよね。
『それで、収録って何をするんですか?』
永眠しろというVtuberが提供するコンテンツは、概ね二種類。
一つは、配信。
これは言わずもがな。
もう一つは、動画。
箏動画など、生配信をするのには不安があったり、あるいは動画にして短い時間にまとめる方が適切なのではないかと思われたものを動画にしているらしい。
しろさんのチャンネルにアップロードされているのを見てみたが、おおよそ十分から十五分程度のものが多い。
また箏を弾くのかと思ったが、どうにもそんな感じには見えない。
『何を収録するんですか?』
見たところ、これと言って何か特別な道具があるようには見えない。
当然、いつものような箏もなければ着物も着ていない。
本当に、何をやるのやら。
ただ、いつもと場所が違う。
箏動画の撮影は絨毯の上で行うが、今は文乃さんが使っているベッドの上で収録をしようとしている。
「今日はだねえ、シチュエーションボイスを収録させてもらうことにするよ」
『ああ、ボイスですか』
シチュエーションボイス。
それがなんであるかと言えば、いわばロールプレイである。
状況に応じて、キャラクターになり切って演じる。
もちろん、Vtuber自体がキャラクターを演じるものであり、ある意味彼らは常にロールプレイををしているともいえるが、両者は似て非なるものである。
Vtuberは、かつてはともかく今は間違いなく配信を主としているものが大半。
ゆえに、どうしても本人の人格、素が出てくる。
それゆえに、無理のない範囲でキャラクターと自身の人格を融合させる。
だが、その一方でボイスは逆だ。
短時間ゆえに、ボロが出ることはほとんどない。
なので、自分を押し殺して役になり切ることができる。
どちらかと言えば、Vtuberというより声優に近い仕事であるような気がする。
『それで、具体的にはどんな設定で、どんなシチュエーションで収録するんですか?』
「私は、君の同棲しているか、彼女という設定かな」
いや、始める前から照れないでほしい。
こちらもそういう態度を取られてしまうとなんだか気恥ずかしくなってくる。
まあ、ありがちな設定ではある。
ASMRは配信のみならず、こういった動画も含めて距離の近さが売りであるから。
恋人や、夫婦などの設定は定番であるはずだ。
疑似的に推しと恋人になれるわけで、いわゆるガチ恋勢にとっては本当に嬉しいものであるはずだ。
それはともかくとして、一体どういうシチュエーションなのだろうか。
やっぱりベッドの上で収録するんだし、添い寝シチュエーションだったりするのだろうか。
寝息とか聞けちゃったりするのだろうか。
そんなことを考えながら、私はどきどきしていた。
『どういうシチュエーションですか?』
「ああ、それはね」
ぞくり、とした。
私の勘が、危険だと訴えている。
心なしか、文乃さんの瞳の、ハイライトが消えている気がする。
「浮気した彼氏を監禁するシチュエーションボイスだよ」
『あっ、はい』
どうやら、まだ文乃さんはまだ怒っているらしい。
まあ、仕方がないよね。
監禁かあ。
『最高じゃないですか』
「?」
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