第14話『彼方まで伸びし指』

「梵天から使っていくね」




 梵天。

 すでに何度も配信で使っている耳かきを、ここで投入する。

 しろさんにとっては最も馴染んだものであり、視聴者さんにとっても、おそらくは最も聞きおぼえのある耳かきだと思う。

 ASMRといえば耳かき、耳かきと言えば梵天と相場が決まっている。

 いわば、スタンダードオブ耳かきである。



 さて、その音は。




『おお……』




 思わず、声が出てしまった。

 うん、声が思わず出てしまった。

 こういうのがいいんだよ、こういうので。

 もはや実家のような安心感がある。





「続いて、ステンレス製の耳かきを使っていきます」



 しろさんが取り出したのは、ステンレスの耳かき。

 梵天よりは少し短い。

 綿棒程度の長さだろうか、ただし綿棒とは違ってへらがついている。

 金属音ASMRに使っていたそれが、耳に差し込まれていく。

 金属音が元々苦手だったようだが、最近はそこまででもなくなっているとか。

 だからこそ、今回の配信でも使っているのだけれど。

 



『ふおお……』




 金属がこすれるような音。

 爽やかな、涼しい音。

 シャリ、シャリ、という音。

 刀を振るうような、鈴が鳴るような、凛とした美しい音。



【金属音ASMRやってた時のやつだな】

【さっきより涼しげでさわやかな音。落ち着くなあ】

【この音好きかも】



 今までのASMR配信ではステンレス耳かきはほとんど使ってこなかったからね、視聴者さんにとっても新鮮なのかもしれない。

 なんなら、今回の配信で初めて聞く人もいるかもしれないからね。

 金属音ASMR配信の再生数、他のASMRと比べるとかなり低いし。

 耳舐めと、耳かきが回りすぎているというのもあるけど。



 こうやって、しろさんが改めてステンレス耳かきを使うことで、視聴者さんにとってはまた新しい発見と餡るかもしれない。

 各々が、各々の好きな音を聞いてくれるのが彼女の望みでもある。

 彼女はステンレスをしまい、一つのケースを取り出した。



「綿棒ですね、今度使っていくのは」



 ぱかり、とプラスチックのケースを開ける音が響く。

 綿棒を入れるケースって、どれもみんなドラム缶みたいな円柱だよね。

 綿棒を入れるケースって、結構独特な形をしているよね。

 空になったら、綿棒以外のものを入れたりしない?

 私は前世でやってた。

 飴とか、チョコとかいれたんだけど、これ私だけかな?

 少なくとも文乃さんは、やってはいないらしいけど。

 果たして、貧乏生活をし過ぎた私がずれているのか、逆に富豪のもとに生まれたしろさんが特殊なのか。

 はたまた、その両方であろうか。



 これといった特徴のない、白い綿棒。

 綿棒は、耳掃除に使われる。

 特に、赤ちゃんなどは耳を傷つけないために、耳かきではなく赤ちゃん専用の綿棒が採用されることも多い。

 だが、その一方で、耳かきには向かないとも言われている。

 耳穴内部で耳垢を押してしまうため、耳垢が奥で詰まってしまうんだとか。

 しかし、逆に言えば。


 

「ほらー、耳掃除するよ。ぐりぐり、ぐりぐり」

『うっ、あっ』



 彼女の持つ綿棒が、耳奥のみを丹念に攻め続ける。

 ぐりぐりと、ごりごりと、鼓膜だけを攻撃され続けている。

 一点を刺激されると、いつもとは違い、いつも以上にセンシティブな気がする。

 新しい何かに目覚めそうだった。

 



「つぎ、ゴムブラシで耳かきをしていくよ。しゅこ、しゅこ、しゅこ」



 綿棒を奥から出して、彼女が取り出したのは、今回の配信のために通販で取り寄せた耳かき用ゴムブラシ。

 黒い持ち手の先端に、ゴムでできた青いひだがこれでもかというほどびっしりとついている。

 ごしゅっ、ごしゅっ、という音を立てて耳の中にゴムブラシが入っていく。



『ふおおおおお』



 リハーサルでは試したものの、まだ馴染んでいない新感覚に、つい声が出てしまう。

 奥までブラシが入り込むと、パリパリという音に変わる。

 くるくるとゴムブラシを回転させると、ぐりぐりという音になる。

 


「ぱりぱりぱりぱり、かりかりかりかりこりこりこりこり、ぱりぱりぱりぱり」

 


 しろさんの耳かきと、それに対応したオノマトペが、絶妙に気持ちいい。



【大好き】

【眠れる……】

【すやあ】



「ぐっすり眠ってね。今日は何も考えなくていい日だからさ」



 そうやって、しろさんがかける慈愛に満ちた声も、聴く人を眠りにいざなっている。

 私も、機械の体でなければ、今頃きっと寝落ちしていたはずだ。



「じゃあ、お次は竹の耳かきを使っていくね」



 ゴムブラシを耳から引き抜いて、次に彼女が取り出したのは、竹の耳かき。

 正確には、煤竹の耳かきというらしい。

 竹を、熱して固くしたものであるという風に聞いている。

 梵天よりも、色の濃い耳かきが右耳に入ってくるのを感じながら。

 耳の中を掘り進める音は、乾いていて、心地よい。



「じゃあ、お次は指かきをしていきます」



 しろさんは、薄いゴム手袋をはめる。

 歯科医が使うような、薄さであり、ごそごそという音がマイク越しに視聴者たちの耳に届き、私達の期待感を煽る。

「じゃあ、まずは右耳からしていきますね」




 ゴリゴリ、と関節を複数持った蛇のような何かが耳の中に侵入してくる。

 耳道を、鼓膜を蹂躙される感覚が響く。

 関節が曲げ伸ばしされることで、耳の中で指が暴走し、脳内でえも言われぬ感覚が炸裂する。

 ずりずり、と、耳の中で出し入れすることによっていけないことをしているような感覚がある。

 す、と指が離れた。



『あ……』



 名残惜しくなって、つい声が漏れてしまう。

 少し、恥ずかしい。




【気持ちいい……】

【最高】

【ビクビクする】



「じゃあ、次は左耳を始めていきますね」



 背後から、耳元で囁かれる。



【うおおおおおおおお!】

【左やられたらおかしくなっちゃう】



 今度は、左手の指が左耳に侵入する。

 しろさんは、右利きなので左の動作性はわずかに右に劣る。

 だが、それもまたよい。

 少し不器用で、ごりごりと蠢く左手が、縦横無尽に動き回る右手とはまた違った快感を与えてくる。

 


「じゃあ最後は、両耳を責めていくね」



【もうダメ、おかしくなっちゃう】

【こんなの耳が孕んじゃうよ】



 最初に感じたのは、耳をふさがれる感覚。

 指で両耳道を封鎖され、空気が反響してごうごうと音を立てる。

 そして、ゆっくりと指が耳の内部へと侵入していく。

 ゴリゴリ、という音が両耳から響く。

 いや、耳だけではない。

 耳をふさがれたことによって、脳内で指の立てる音が反響している。

 全身が、心が完全にしろさんに支配されていた。



【好き】

【最高すぎる】

【これは寝ちゃう】



 これは、視聴者たちも同じだった。

 当然だ。

 同じ音を聞いていて、同じ人が好きなのだ。

 感じていることも、おそらくはきっと大差ない。



 ◇



「今日は聞いてくれてありがとう。お疲れさまでした、もしかしたらまたやるかもしれないかな、おやすみなさい」



【おつねむ―】

【最高でした】

【素晴らしかった】



 しろさんは、配信を切ると椅子から立ち上がって、ベッドに倒れこむ。

 どうやら、それなりにつかれたらしい。

 無理もないかな。

 文乃さん、相当今回の配信に力を入れていたし。

 リハーサルも、彼女はいつもの倍以上の時間をかけていた。

 それはきっと、今回の配信が彼女の主力になりえるからだ。



 ASMR配信者にとって、配信の同時接続数以上に大切なことがある。

 それは、アーカイブないし動画の再生回数だ。


 メリットは二つ。

 再生されればされるほど、おすすめに表示されやすくなる。

 また、再生数が高い動画は印象がいい。

 「これだけ再生されていれば、きっと高品質のものに違いない」と、初見の人は判断する。



 つまり、一つ再生数が伸びる動画があれば、新規を取り込みやすくなるのだ。

 しろさんのASMRで最も幅広い層に需要があるのが耳かきであり、そこを彼女は理解していた。

 だから、文乃さんは必死で頑張った。

 今までに彼女が積み上げてきた経験と技術を全部使って。

 己の理想である、「より多くの人を癒す」を達成するために。

 さて、そんな試みはうまくいくのだろうか。 




『きっと、うまくいきますよ』




 いつもよりも活発だったコメント欄の様子から、今度のアーカイブは伸びるだろうと判断した。

 まあ、ただの勘なのだが。

 私の勘は、よく当たるからね。

 だから、今は。



『お休みなさい』



 他の誰でもない、私だけの権利。

 彼女をいたわり、ねぎらう権利を行使する。

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