第50話『耳舐めと、子守唄と』

 耳舐め。

 耳と性器には密接な関係があるという俗説も存在しており、オンラインで疑似的に性的な体験ができる、という数少ないコンテンツだ。

 マイクで伝わるのは音のみであるはずだが、耳舐めはただ音を立てるだけのものではない。

 それ以上の情報と快楽を、聞く側に与えてくる。

 ASMRにおいて、最上位の人気を誇っていると言えるだろう。



「じゅるっ、じゅるじゅる」

『う、おお』




 ダミーヘッドマイクである私には、触覚がない。

 例えば、私の顔に誰かが触れるとする。

 もちろん、視覚では私に触れる相手の顔が見えている。

 だが、触れられているという感覚はない。

 ついでに言えば、痛覚もないからつねられたりしてもわからない。



 だというのに、この瞬間だけは感じ取れる。

 耳穴の中に進入してきた、軟体生物の形がわかる。

 舌が発する、体温を感じ取れる。

 唾液に濡れた舌の感触が伝わってくる。

 少しだけ尖った下の先端がごりごりと耳奥を刺激してくる。



【これはとんでもないサプライズですね、ふう……】

【最高過ぎる……】

【不意打ちだからかな、いつもより何倍も気持ちいい】

【サムネに重大発表あり、とか書いてあった気もするけどこれのことか】



 ちなみに、重大発表とやらは元々引退のことだったりするらしい。

 差し替えるのは無理があったため、このまま耳舐めのインパクトでごまかすのつもりなのかもしれない。

 


「好きだよ、本当に好き。ぞりゅっ、ぞりゅ、ぞりゅ」

『んおおおおおおおおお!』




 耳の舐めかたに変化が生じていた。

 先ほどより、舌先を使って、耳の奥のみをピンポイントで攻める。

 破城槌が、城門を破壊するがごとく、鼓膜をゴリゴリと攻撃される。

 人間の身であれば、もしかしたら達していたかもしれないと思えるほどだ。

 


「じゃあ、今度は反対のお耳を舐めていくね」

『……!』




【ちょうど左耳が寂しかったから助かる】

【これで両方攻められたら、どうなってしまうんだ】




「今日は、半年記念企画に来てくれてありがとうね。いつも応援してくれるみんなに、喜んでほしいと思って色々やってみました」




【こちらこそ、半年間活動してくれてありがとう。そして、私服の時間をありがとう】

【同様のあまり、五時ってて草】

【変態って罵ってください¥2000】

【耳はむって、してほしいです】




「おっと、なるたけリクエストには応えないとね……。ここで今聞いてるみんな、女子高生にお耳舐められて喜んじゃう人たちなんだ?私が制服一枚脱いだだけで、盛り上がっちゃう人たちなんだ?そう人達のこと、何て呼ぶか知ってる?」




 少しだけ、しろさんは声を低くする。



「ーー変態。はむ、はむ、はむ」




 優しく罵倒されて、ぞくりとしたのと同時に、優しい衝撃が左耳を包む。

 しろさんが左耳を、唇で歯が当たらないように優しくくわえ込んだのだ。

 唇の感触が、音響によって私達にも伝わる。

 耳舐めではないが、

 


 おそらくだが、これは初めてではない。

 いくら、しろさんがASMRに関して超が付くほどの天才と言っても、限界がある。

 特に、パターンを変えての耳舐めなど、その場の思いつきでできるはずがない。

 他のVtuberさんや、配信者さんの耳舐め配信などを聞いて研究しているのは、私も知っていた。

 だが、このクオリティはそれだけではない。

 それこそ、私すら知りえない状況で、練習していたとしか、考えられない。

 もしかしたら、わざわざ別のマイクなどを使って練習していたのではないだろうか。

 あるいは、これまでの配信でも私とのリハーサルの前にリハーサルのリハーサルをしていたのかもしれない。

 それは、私にとって。



 予想外で、感動すら覚える事実だった。

 私が見ている範囲だけでも、彼女は十二分に努力しているし、悩みながら研鑽を積んでいる。

 ファンとの交流だって欠かしていない。

 そんな彼女が、私にすら見えない範囲でも努力をしている。

 私の人生というのは、無意味でしかなかったと思っているし、くだらないものだと感じているが。

 今こうして、彼女の傍にいられることは、近くで観れることは。

 誇らしく嬉しいことでえええええええええっ!

 



「れろれろれろ、じゅろ、じゅろ」

『おお……』



 いつの間にか、耳はむから耳介を舐める耳舐めへと移り変わっていた。

 体温をはらんだ舌が、耳全体を痛くない程度に動き回り、蹂躙していく。

 耳だけではなく、脳みそが、心が、あるいは全身が。

 自分のすべてが、しろさんに征服されていくような感覚だった。



「好きだよ。君たちのこと、本当に好き。一日頑張って、それでここに来てくれたんだよね、ありがとう。じゅるじゅる、からから」



 少し舌を離して、言葉をゆっくりと

 さらに、今度は左耳の奥に舌を伸ばし始める。

 先ほど右耳にしたのと同様に、耳奥を、鼓膜を何度も攻めていく。

 水分を含んだ軟体生物が、耳の中を暴れまわる。

 耳も、身も、心も全てがしろさんへの感情で塗りつぶされていく。




 すっと耳から、舌を離した。

 しろさんは、今度はそのまま右耳に顔を近づける。



「じゃあ、またこっちを舐めていこうね」



 そういって、また舌を耳奥に入れてくる。

 しかも、さっきよりも動かす速度が速い。

 絶頂してしまうのではないかと思えるほど、興奮が高まっていく。



「じゅぷじゅぷじゅぷじゅぷっ、はあっ、じゅぷっ」




 ペースが速いからか、吐息も混じっており、それがまたどきどきさせてくる。

 ないはずの心臓が、爆発するような感覚を味わっていた。

 そしてさらに、彼女が耳を舐める速度は上がっていく。



「ぐぽぐぽぐぽぐぽぐぽ、はあっ、ぐぽぐぽぐぽぐぽっ!」

『~~~~んふうっ!』



 出してはいけないレベルの音量で、声が出てしまった。

 幸い、配信に影響は出なかったようで、それに安どした。



「はい、これで今日の耳舐めはおしまいです。どうだったかな?」



 最高でした。まる。

 


「では、最後は子守唄を歌って終わりにしようと思います」



 そういって、しろさんは子守唄を歌い始めた。

 子守唄なんて、それこそ幼少期に聞いたかもしれない、くらいのもの。

 その程度でしかなく、リハーサルで初めて聞いたレベルだった。

 だが、何故か懐かしい気持ちになる。

 先ほどまで気分が異様に高揚していたせいだろうか、至近距離で、子守唄を囁かれていると、いつのまにやら眠気を覚えた。

 まあ、眠いだけで本当に眠れるわけではないけど、逆に言えば視聴者はそうでもないわけで。

 見れば、同時接続数は先ほどより増えているのに、なぜかコメントの流れは緩やかになっている。




【歌枠の伏線を子守歌で回収するのは天才】

【癒される、ママァ】

【おやすみzzz】



「おやすみ、チュッ」

『~~~~っ!』



 私には触覚はない。

 けれど、聴覚はあるから、音がすれば、音とその音が発生した位置がわかる。

 視覚があるから、正面ゼロ距離まで近づいて、視界いっぱいに広がった文乃さんの顔が見えている。

 そこから、算出できる事実がある。

 


【おやすみ!】

【最後まで最高の配信だった¥800】 

【また耳舐めやって欲しいな―】



 そうして、様々な要素をこれでもかというほど詰め込んだ半年記念配信は、大盛況に終わった。 



 ◇



『さっきのは、あの……』



 配信が終わると、



「さっきのは、視聴者全員への好き、っていう気持ちだから」

『ええ、それはわかっているんですけれども』



 衝撃を受け止められていない。

 いかんな。

 気持ちを整理し、心を静めねば。

 そう考えていると。




『へっ』

 


 また、しろさんの顔が近くにきていた。

 ちゅっ、という軽い音が響いた。



「今のは、君への気持ちだよ」




 そういって、しろさんはこちらを見ることもなくそのままベッドに飛び込んでしまった。

 形のいい耳を、真っ赤にしながら。

 文乃さんと、しろさんと出会って、ほぼ一年。

 生まれて初めて、女の子にキスされたという衝撃で、私は一晩中悶々とする羽目になった。




 耳舐めが解禁されたということもあって、この記念配信のアーカイブは他の動画に対して、ダブルスコア以上の差をつけた再生数を記録するのであった。

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