第45話『アイを伝えたい』

「違うって何?どういうこと?私の言ったことが何か間違ってる?」



 しろさんは、苛立ちを隠さない。

 それはきっと自分自身への怒りであり、理解し合えないことと、私への失望から来ている。



 今までの私なら。

 きっとここで引き下がっていた。

 私の勘は、人の悪感情を読み取って争いを避けるためのものだから。

 頭を下げて、あるいはその場から逃げて。

 そうやって、草食動物のように生きてきた。

 でも、それはできない。足がないから。

 それはしない。逃げたくない、理由があるから。



『少し、私の話を聞いていただけますか?私の生前の話です』

「…………」



 ぴたり、と文乃さんが止まった。

 そういえば、文乃さんは私の生前のことに興味を持っていたっけ。

 其の興味がいまだに継続しているかは不明だけど、たぶん口をはさんでいいような軽い話ではないと判断したんだと思う。

 まあ、ただの勘だが。

 話を聞いてくれる状態になったと判断し、私は言葉を発する。 



『以前、私は文乃さんに座右の銘を訊かれた時、『弱肉強食』と回答しました』

「そうだね。記憶しているよ」



 弱いものはただの肉塊であり、踏みにじられ、食いつくされ、みじめに死ぬだけ。

 それを見て、或いは目に止めることもせず、強者は高い場所で、高笑いをする。

 それが社会の縮図であると、心から信じている。



『あの言葉に、私の気持ちに、嘘は一切ありません。本心から、それが世の理だと思っています。それは、私が常にの側だったから、出た言葉なんです』

「……肉?常に?」

『はい』



 

 もうはっきりとは思い出せない、思い出したくない・・・・・・・・、両親の顔を思い浮かべながら私は口を開く。


 

『私は、虐待家庭のサバイバーでしたから・・・・・・・・・・・・・・・



 その言葉を皮切りに、私は昔話を始めた。




 ◇



 父も母も、私が幼稚園児や小学生のころは普通だったと思う。

 父は、少し豪快で強引な人物だった。

 ビールと野球観戦が好きな、普通のサラリーマンで。

 母は、物静かな人だった。

 パートをしながら子育てをする、ドラマが好きな普通の主婦で。

 そんなごく普通に生きて、ごく普通の家庭で育って。

 日本という国ではありふれた環境だったはずだ。



 ーーある日、母がほかの男と家を出ていくまでは。



 相手は、良く知らないが、上等なスーツを着た金持ちで、弁護士を連れていて。

 慰謝料だといって、ぽんと金を渡していた。

 見下しきった、まるで肉塊を見る動物のような目で。

 母がどんな表情をしていたのかは思い出せない。

 ただ、父の何かをこらえているような表情だけはよく覚えている。

 あの頃はまだ勘が鋭くなかったから、父の気持ちは父にしかわからないけれど。

 父は、何も言い返すことはなく、ただ震えていた。



 ただ彼は、私が高校に入学する際に、一切の金銭的支援を拒否した。

 更には、生活費の類も払わないと言い出した。

 思えば、彼は私個人の幸せを願ってはいなかったんだと思う。

 いや、母の子でもある私に憎しみが向いていたのか、あるいは最愛の人に肉の脂身のようにあっさりと捨てられたことで何もかもどうでもよくなったのか。

 いずれにせよ、私に選択肢などなく、バイトをしながら学校に通う生活をするしかなかった。

 ほとんどの時間を、バイトに費やしていた。

 ……費やせる、バイト先が見つかったことだけは幸運だったかもしれない。

 ともかく、私は得た金銭を父に渡していた。

 弱いものは、強い者には逆らえない。

 そして、弱いものはさらに弱いものを攻撃する。

 父は、酒浸りになり、私に暴力を振るうことも多かった。

 逆に突然泣き出し、私を困惑させることもあった。

 それが社会なのだと、私は高校生の時に学んでいた。



 その時くらいから、私は相手の気持ちを勘で見抜く・・・・・ことができるようになった。

 論理的な物じゃない。

 根拠があるわけでもない。

 ただなんとなく、相手が胸中に抱いている感情がわかる。

 不安、嫉妬、怒り、悲しみ、等々。

 機嫌が悪いときは、父は何をしても怒り、暴れるので近づかない。

 逆に機嫌がよい時には、ある程度事務的なことを話しても問題がない。

 まるで、ウサギが肉食動物におびえて耳を発達させたように。

 あるいは、キリンが敵を発見するために、首を伸ばしたように。

 私は弱者のまま、そんな異常な環境に適応し続けた。

 奨学金やバイトなどを利用して、何とかそれなりの大学に入学し、卒業して。



 ブラック企業に入社した。

 父が荒れ始めてから、私は勘が鋭くなっていったことは既に説明した。

 彼が不機嫌か否か、不機嫌だとしたらどれくらいストレスがかかると爆発するのか。

 爆発を鎮めるには、どうすればいいのか。

 そうしたことを、怒鳴られながら、殴られながら学んでいくうち、人の感情に敏感になっていった。

 それゆえか、私は嫌な役割を押し付けられることも多かった。

 なぜブラック企業に入社したのかと言えば、そこしか合格できなかったからである。

 就職活動はどうにもうまくいかなかった。

 無理もない。

 バイトと、試験勉強くらいしかしていない大学生活。

 本当に、これと言って自慢できるものがなかった。

 サークルやバイト、あるいはボランティア活動といった人並みのことはほとんどやってこなかった。

 また、コネも用意できなかった。

 実家は論外、親せきも父や母と折り合いが悪く、大学内の同級生もそこまで親しい関係は築けなかった。



 そういった諸々の事情の結果として、体調を崩した状態で半ば壊れながら働き続ける羽目になり、挙句の果てには足を滑らせて命を落とした。

 必死で人並みに生きようとあがいて、もがいて、進み続けて。

 何も為せずに、強者に踏みつぶされるだけの一生だった。

 ただただ、無意味だった。

 


 ◇



 話し終わったとき、文乃さんは真っ青になっていた。

 それだけ、ショッキングな話なのだろう。

 主観でしか物事を見れないゆえに、私には判断がつかないのだが。

 だが、少し時間がたって、おずおずと文乃さんは口を開いた。



「……聞きたいことが、ある」

『何ですか?』

「君の過去はわかった。それで、この話をして何を伝えたいの?恨み言?それとも愚痴?私が君に聞かせたみたいに」



 まあ、もっともだよね。

 山も谷も、オチもなければ面白くもない話だ。

 こうやって長々と話してみると、しろさんやほかのVtuberさんたちはすごいと思う。

 長々と話をして、それを面白くできるのは間違いなく才能だ。

 少なくとも私は無理。

 



『人を作るのは環境だってことですよ。良くも悪くも』

「それは、私は強者の立場から動かないということかい」

『ええ、そうです。あなたには力がありますし、それはどうしたって変わらない現実です』



 少なくとも、ぽんとマイクとか機材とか買うのは余程金を持ってないと無理なんだよね。

 彼女の在り方は、彼女が資産家の娘だから出来ること。

 まかれた種が、自力で日陰から日向に移動できないように。

 弱者が強者になることはできない。

 考え方だって、そう簡単には変わらない。



「……じゃあ、ダメじゃん」



 ため息交じりに、しろさんが答える。



『でも、それでいいんですよ』

「はい?」



 ダミーヘッドマイクとして、生まれ変わって。

 しろさんを見てきた。

 はじめて、ちゃんとした強者を見てきた。

 しろさんは間違いなくピラミッドの頂点に位置している。

 圧倒的な力を持っている。



『その力を使って、貴方は人を助けることを選んだ。それがあなたです』

「…………」




『人って、一面でくくれるものじゃないんですよ。文乃さんは、早音家のご令嬢であり、元いじめられっ子であり、そして私達を救ってくれているVtuberさんです』




 私が、元虐待家庭のサバイバーだったり、社畜だったり、ダミーヘッドマイクでしろさんの友人であるように。

 人には、様々な面がある。

 近くにいないと、そういうのは見えてこないものかもしれないが。

 


『変わる必要なんてないんです。過去だからどうだったからって、それを全否定する必要なんてないんです。だって』

「で、でも、君はそんな私が大嫌いでーー」

『いいから、黙って聞いてください』



 はじめて、私は敬語を使うのをやめる。

 私が抱いている怒りが、伝わるように。

 精一杯、彼女の耳と心に響くように叫ぶ。



『《b》私は!早音文乃さんが!永眠しろさんが!好きだ!大好きだ!《/b》』

「……ふえ?」



 しろさんが、あっけに取られている。

 口が半開きになっている。




「今、君と私の過去の話をしているのであって……」

『違う。過去の話じゃない』



 少なくとも、私は過去に拘泥するためにこんな話をしたわけではない。

 私が彼女に抱いている感情を、勝手に誤解されて、決めつけられたことに対して抗議しているだけだ。



『過去に起きたことは変わらない!私が死んだのも、貴方がいじめにあっていたことも、貴方が資産家の娘として生まれてきたこともまぎれもない事実だ!』

「じゃあ!」

『でも!それだけじゃないでしょう!一緒に過ごした時間があるでしょう!』




 少なくとも私にとっては、かけがえのない時間だったし、彼女の隣が私のかけがえのない場所になっていった。

 しろさんは、少し気圧されていたがまた口を開く。



「でも、君は強者が嫌いで」

『そうだよ、あなた以外の強者は大嫌いだ』



 人生のほぼすべてをあっけて培われてきた価値観だ。

 そう簡単には変わらない。

 けれど、私の価値観より、私より大事にすべき人がいる。



「私は、君を死なせて……」

『別にいいじゃないですか。そもそも、私が生きたかったとでも思ってるんですか?』



 まあ、これを言うのもどうかと思うが本当に生前のことはどうでもいいんだよね。

 すっかり忘れてた賠償金のことも、文乃さんのご両親が立て替えてくれたみたいだし。



「……でも、今更信じられないよ、だって、君が嫌っている人たちと私は何が違う?」

『私の中では違うし、しろの永民さんたちにとっても違う。あなたが、貴方だけが特別だから、推しだから』



 それを盲目だというなら、それでいい。

 どのみち、もう眼球の持ち合わせはない



 反論は許さない。

 感情論に、理屈が通じるわけがない。

 好きだから、見ていたいから、同じ時間を共有していたいから。

 理屈として成立していないものを、論破できるはずもない。



「……本当に?」

『信じられないなら、何度だって言います。信じてもらえるまで、何度でも』



 先ほどまで青かった顔は、もうかなり赤くなっている。

 どうしたらいいのかわからないという風に、視線が定まらなくなっている。 



『文乃さんと出会えて、しろさんの視聴者になって、友達になって、相棒になれて。そうやって認めてもらえたことが嬉しかった!一緒に遊んで、笑いあって、相談に乗って、特に何も考えずにぼんやり過ごしたりしている時間が楽しかった!』



 何よりも。



『私は、貴方が幸せでいてくれたら幸せだからって。心からそう思ってるんです、だから』


 

 頭を下げようとして、下げる頭がないことに気付く。

 だから、せめて言葉と口調を努めて丁寧にして。



『お願いします。続けてくれませんか、Vtuber活動を。Vtuber活動をしている楽しそうで、幸せなあなたが見たいんです』

 



 そうやって、私は彼女にお願いをした。

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