第31話『苦手なもの』
「ご、ごめん今日はちょっと疲れちゃっててさ」
しろさんは、ため息に対して慌ててフォローに回る。
その声も上ずっており、視聴者たちもハプニングであると気づいたようだ。
【何だ、ただのハプニングか】
【金属音ASMRなのに、吐息まで味わえるの最高すぎるだろ】
【無理しないでね】
『…………』
私は、何も言わなかった。
今は、いうタイミングではないと思ったから。
◇
「今日はありがとう。おやすみなさい」
【お疲れさまです】
【ゆっくり休むんだぜ】
ため息から三十分ほどで、配信を終えた。
完全に、配信が切れたことを確認したのち、彼女はベッドに倒れこむ。
そしてゴロゴロとローラーのごとく回り始めながら、言葉を発する。
「はあああああああああ、やっちゃったねえ」
『……まあ、そうですね』
彼女が何を悔やんでいるかはわかる。
ため息だろう。
とはいえ、結果的に「ため息助かる」などというコメントが多かったように感じる。
同接が大幅に減った様子もなかった。
悪い結果ではないのではなかろうか。
そんなことを言ってみたのだが。
「それはそうだけどさ、やっぱり私的にはなるべく純粋にASMRを楽しんで欲しいんだよね。金属音を聴いてもらうっていう配信で、なるべくノイズを載せるって言うのはやっちゃいけないんだよねえ」
『それはそうですけど、それならそもそも、喋ったらダメなのでは?あと逮捕するとかどうとか、あれは何なんです?』
いやまあ、喋っていた理由はわかる。
見せられた金属ASMRは、全て実写のASMRだった。
つまり、何を使ってASMRをしているのかの説明が必要なかった。
だがしかし、文乃さんは――永眠しろさんはVtuberである。
Vtuberという存在は、その仕様上、あくまでも現実世界には存在しないことになっている。
ゆえに、口頭かテキストで説明するしかない。
ただ、彼女はあまりテキストでの説明を好まない。
彼女が自分の口で、言葉で、伝えなくては意味がないと考えている。
「いやまあ、あのですね、逮捕するとかいったのはシンプルに盛り上がっちゃって。なんか君の後頭部を見ていたら、悪戯したくなったんだよね」
『……いや、あの、どういうことですか?』
随分と元気だ。
まるで、エネルギーが有り余っているとでも言わんばかりに。
あるいは、先ほどまでテンションが低かった反動か。
『金属音が苦手なんですか?』
てきめんだった。
明らかに、びくりと彼女の肩が震える。
ゆっくりと、彼女は振り向く。
その目には、複数の感情が入り混じっていた。
困惑、恐れ、驚愕、感心……。
大方、「何でバレたのかわからない」といったところだろうか。
まあ、ただの勘だが。
「何でそう思うんだい?」
『明らかに、無理をされているように見えましたので』
まあ、ただの勘なのだが。
私には、配信中、無理に言葉を発しようとしているように思えた。
そして、無意味に言葉を重ねるのは、大抵己を鼓舞するためと相場が決まっている。
私も、そういう時代があったからわかる。
『否定、なさらないんですね』
「まあ、否定はしないね」
意外だ。
そこはきっちり認めるんだな。
「君は鋭いからね。隠し事をしても、どうせすぐばれる」
『……そうでしょうか』
確かに、
むしろ、死んでからの方が敏感になっているとさえ思う。
多分、体調不良が全部消えたからだろうな。
嗅覚や味覚のような、人として大事なものを失った代わりに、ありとあらゆる負債を捨てきったからね。
いや、この勘もある意味負債のようなものか。
鋭くなった
『それでも敢行しようとしたのは、苦手な音を克服しようとしたからですか?』
「…………」
私は、あまり他者に踏み込むことはしない。
それは、勘が踏み込むべきではないと警告してくれるからだ。
そういう見極めの時、この勘はもっとも強く働く。
けれど、それでも。
今回だけは、踏み込まなくてはいけない。
なぜならば、友達だから。
「言わなくてはいけないと思う。君は、私のマイクで、友達で、相棒だと思っているから」
その言葉に嘘はない。
そこまで信頼されている、ということ。
そしてそれでも、まだ言いたくはないと思ったということだ。
「でも、今はまだその勇気がないんだ。もう少し、待ってほしい。いずれ絶対に話すから、その時までは」
『わかりました。それで構いません』
『ただ、今後は金属音ASMRはやらない方がいいですよ。少なくとも、根本の問題が克服できていないうちは』
「ああ、それはわかってるよ。どのみち多分もうやらないんじゃないかなと思う。正直、ニッチすぎるしね」
『ああ、まあそうですね』
金属音ASMR。
少なくとも、Vtuberがするものとしては、かなり稀である。
ぶっちゃけ、そんなに何回もやるものではない気がする。
……鉄琴とか、手錠とか、今回のためだけに買ったものについてはいささかもったいないような気もするが、まあそれも仕方がないことではあるだろう。
その日の夜、彼女はずっとうなされていた。
いや、少し違う。
私が、ここにきてからずっと。
毎日、毎晩。
彼女はうなされている。
寝返りを打ち、苦しそうな声を出している。
余程悪い夢でも見ているのだろうか。
『…………何を』
言葉が、漏れる。
心から、疑問が漏れて、零れ落ちる。
これほどに文句のつけようのない環境に生まれて。
いま、自分の夢に向かって全力で進み、それを叶えつつある。
そんな状況で、彼女は何を思って、何に悩んでいるのだろうか。
毎晩何に、涙を流しているのだろうか。
きっとそれは私では、想像だにしないような重荷なのだろうと思う。
私と彼女は、どこまでいっても真逆だから。
強者には弱者の痛みがわからないように、きっと逆もまた然りだから。
『……もしも』
もし、彼女がいつかすべてを打ち明けたら。
私は、どうするのだろう。
私も、私の隠していることを、私の正体を打ち明けるべきなのだろうか。
私は、それをしたくないと思っている。
それは彼女の精神衛生上のためであるし……同時にきっと私のためでもある。
死とともに捨てた、弱者としての自分を思い出したくないからだ。
強者である彼女がそばにいる状況でそれを思い出すのは、みじめになるだけだから。
何より彼女に対して、悪感情を抱いてしまうことが、許せないから。
説明すれば、心が過去に戻ってしまう気がしているのだ。
『けれど……』
必要となれば、きっとためらうべきではないのだろう。
私は、彼女の友達だから。
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