第8話『飛び越えろ、性別のしがらみ』
まあ、確かにそうだろうな。
先ほどのテストでは、普通のスタンドマイクでしか使っていなかったのである。
当然、私でも――ダミーヘッドマイクでも正常に作動するかどうか試す必要性はある。
それはわかる、頭ではわかるが、理解が追いつかない。
何しろ、まだ転生して数時間と経っていないのだ。
目覚めると、メイドさんたちがいて、死んでいることとマイクになっていることに気付いて、そして部屋の中に死ぬ前に助けた自殺志願者の女子高生が入ってきて。
その女子高生は、Vtuberで、私はなんというか彼女が所有するマイクで。
さらに言えば、彼女は今ここでマイクが機能するかのテストを済ませるという。
ある意味、生を受けてからわずか数時間ですよ?
時間の密度濃すぎない?
赤ちゃんと言っても過言ではないこの身に余る経験値だと思うんですが。
とはいえ、愚痴ばかり言っても致し方ない。
マイクとして、彼女のASMR配信の一助となることが私の今の仕事だ。
音質のチェックと、改善案の提言。
こんなもの、はっきり言えばブラック企業での労働と比べればどうということはないと言える。
かかる時間も、先ほどの配信を観ていればせいぜいで二時間程度。
二徹三徹が当然だった、前の職場と比較すれば何ともない。
『じゃ、じゃあよろしくお願いします』
「は、はい」
『何で敬語なんですか?』
「いや、まあ緊張しちゃって」
『さっきまで全然大丈夫だったじゃないですか』
「それはそうなんですけど、その」
すう、はあと彼女は深呼吸をする。
どうやら、本当に緊張しているらしい。
先ほどまで、なんというかごく自然にリハーサルをしていたというのに、どうして今更恐れているのだろうか。
どうせまだ配信をしているわけでもないだろうに。
彼女は、頬を赤らめて、ぼそりと呟く。
「君って男の人だよね?なんというかちょっと気恥ずかしくて」
『ええ……まあ』
確かに、私は男性である。
一人称こそ私だが、それは就活と顧客への対応によるものであり、心も体も完全に男性である。
昔は「俺」とか「僕」なんて言っていた気がするのだが、今では正直考えられない話ではある。
大学生くらいまでは「俺」だったんだけどね。
確か、終活ーーじゃない、就活をしていく中で人間性とかといっしょに「俺」という一人称が削られていったような気がする。
閑話休題。
私は男である。
声で男だと判明したのだろうか。
まあ、確かに機械の体とはいえ、男性と密着するのは抵抗があるだろう。
ASMRはその仕様上、マイクと配信者が密着する必要がある。
それが恥ずかしいということか。
おっさんゆえに、女子高生の気持ちに寄り添えているとは言えないのだが、それでも異性と密着するのが恥ずかしいという気持ちはわかる。
私も普通に恥ずかしい。
あれ?
そもそも、なぜ
『そう言えば、ふと気になったんですけどちょっといいですか?』
「何?」
『いや、文乃さんからすると私の声ってどういう風に聞こえてます?』
「え?うーん、なんというか普通の男の人の声って感じかな?個人的には結構好きかも」
『なるほど』
機械音声とかではないらしいな。
多分だけど、生前の私の声がそのままテレパシーとして流れているんだろうな。
彼女は、生前の私の声を聞いているがあの時は、私もかなり慌てていたから声が上ずっていた。
だからその時と今の私の声が結びつかず、バレていないのだろう。
あるいは、一言二言声をかけただけだから記憶に残っていなかったのかもしれない。
正直、彼女のメンタルを考えるとバレないに越したことはないと思う。
彼女は、自分が死ぬところを見ているはずだ。
幸い、それにショックを受けているようには表向きに見えないが、もし私の
私がミンチになる光景がそれをきっかけにフラッシュバックしても何らおかしくはない。
ただでさえ、配信者という仕事はメンタルを損ないやすい仕事であると聞いている。
心を傷つけかねないような事態は、なるべく回避するのがよいだろう。
『じゃあ、取り敢えずはやめておきますか?リハーサル』
「それはやだ」
……じゃあどうしろと?
「克服するよ、今ここで」
『……顔真っ赤ですよ?』
廃棄されるのは嫌だが、それはそれとして無理に使ってほしいわけでもない。
が、文乃さんは止まらずに、ずい、と顔を近づける。
それも、キスでもするかのような、鼻と鼻が触れ合いそうな距離まで。
触覚が存在しないゆえにわからないが、たぶん鼻息とかすごい当たってると思う。
ふんふんって、かわいらしい音が聞こえるし。
気恥ずかしいので、避けようとしたが、私はそもそも首を動かせないのだということを思い出した。
首より上しかないからね、ガハハ!
『あの、文乃さん』
「な、何?」
『私も、普通に緊張してます』
「そ、そうなんだ」
『ええ、そうです』
「そ、それはあれかな?緊張を楽しめってこと?」
『うーん、それはちょっと違うような』
なおも、私は言葉をつづけた。
『血があったら、顔に全部集まっているんじゃないかってくらい恥ずかしいです』
「ふえっ、な、何を言っているのさ!」
彼女は完全にショートしているというか、機能不全になっていた。
まあ、私も似たようなものだけど。
「緊張していると、共有しておきたかったといいますか。それで、少しでも楽になればと」
「あー。そういうやつね」
『緊張しているのは本心ですからね?』
「まあちょっと、落ち着いたかも」
「あくまで、マイクだもんね。君はマイク、マイクは観客、観客はカボチャ、カボチャは君……」
『いやそれは普通によくわからないんですけど』
多分、マイクもカボチャも同じ無生物であり、それ故に緊張しないという自己暗示なんだろうけど、どうしてそういう思考回路に至ったのかは謎だ。
役者が緊張した時に、客をかぼちゃと思い込め、というのはよくある話だとは思うけども。
顔色が、トマトのような赤から、薄いピンクくらいまでに回復していた。
よかった。
これはあくまでもマシになったということであって、あいかわらず赤いのは変わらないんだけど。
「そもそも、慣れなくてはいけないんだよ。女性のASMR配信ともなれば、視聴者の過半数は男性であると考えるべきだからね。いちいち恥ずかしがってはいられないんだ」
『まあ、そうですね』
「だから、逃げたくないから、君で克服させてほしい」
『いやあの、それはわかりますけどもう少し期間を置いたほうが』
「つべこべ言わないで、とうっ!」
『おふっ』
彼女は、私の頭をがっちりと、腕と首と頭で抱きかかえた。
結果として、視覚的にいえば、私と彼女は正面から抱き合っているような状態になった。
まあ、私は抱えられているだけなのだけれど。
温感もなくなっていたようで、彼女の黒くてきれいな髪が私の顔と視界にかかるほどに密着してもなお、彼女の体温はわからない。
やっぱり、どうやら私の感覚は視覚と聴覚以外はもう残っていないらしい
ただ、緊張でハアハアと荒くなった、彼女の呼吸音だけが伝わってきた。
まあ、何をしたいのかはわかる。
諸刃の剣、どころか柄も刃になったようなショック療法でどうにか克服しようとしているのだろう。
できるのだが、こうして密着されると、私まで緊張してしまう。
「これ、めちゃくちゃ恥ずかしいね……」
『そうですね……』
まあ、別に私が緊張したところで何が問題が起こるわけではないのだけれど。
こうしてみると、ポルターガイストみたいな動き回る能力が備わってなくて逆に良かった説がある。
そんな能力を持った状態でこの状況に陥っていたら、緊張と焦りで何をしていたかわからない。
そんなことを考えながら、私はただ解放されるまで無言だった。
彼女も、無言だった。
『「…………」』
どうするんだこの空気。
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