28−2

 科野の声を背中に受けながら、扉を開けた。

 扉の向こうにはまた扉があった。開けたのと同じ、洋風の扉である。そのまた向こうには、同じ扉が待っていた。扉があるのは屋内に限らず、野外にあることもあった。そこは街中であったり、草原や砂漠の真ん中であったりもした。要するに場所は関係なく、扉を開く度、風景にはそぐわない扉が目の前にあるのだった。

「扉があるのは結節点の風景です」と、濃川捜査官は言った。「つまり、昏睡状態にある人々の脳で展開された〈新世界〉が作り出したものです。〈新世界〉は各脳に同期情報を伝えるためのバックドアを仕掛けています。わたしたちはそれを辿って、中心へ向かっているのです」

 風景の中には時に人の姿もあったが、彼らの方ではおれたちに気付いていないようだった。皆、それぞれの理想とする世界で脳に情報を与えるため必死で生きているのだろう。そんな彼らとおれたちとでは、同じ空間に居ても生きているレイヤが違っていた。一般の人間が、下層現実とそこに生きる住人たちを認識できないのと同じように。

 心なしか、扉をくぐる毎に人の数が増している気がした。初めの頃は開けたらすぐ目の前にあった扉も、距離が空いているように感じた。

「それだけ〈新世界〉の構築が進んでいるということです。中心に近い部分、すなわち初期に感染した脳内であれば、既にかなり大きな仮想世界が出来上がっているはずです」

「ということは、中心に近付きつつある」

「恐らく、もう何枚か扉を開けた先に彼女はいます」

 そこから三枚扉を開けた所は、他とは様子が異なっていた。濃川捜査官の言葉通り、中心部へ到達したようだった。

 その光景は図書館を思わせた。実際に図書館なのかもしれない。両側に天井まで届く木製の書架が聳え、それが奥まで続いていた。書架の途中には切れ目があり、そこがまた通路になっていた。曲がり角で横を見やると、薄暗くて見通せなかったが、やはり奥まで同じような書架が並んでいるようだった。棚には一冊分の隙間もなく本が並んでいた。洋書の装丁で、背表紙には文字がなかった。

「これの何処かにお姉さんが?」

 しかし、濃川捜査官は迷う様子もなく進んでいった。通路を右へ折れ、進んでは左へ折れ、また進んでは折れるというのを繰り返した。書架には番号も印も何もなかったが、どの通路を辿るべきなのか、彼女にはわかっているようだった。

 既に扉の位置もわからなくなった頃、前を行く濃川捜査官が足を止めた。おれも止まった。停止の理由はすぐにわかった。廊下に積まれた本。それらが作る不安定な柱が、荒野のサボテンのように何本も伸びていた。柱を順に辿っていくと、その先に彼女は居た。通路に置いた椅子に座り、砂漠谷エリが本を開いていた。いや、食べていた。一枚ずつページを破り取り、それをレタスのように食んでいた。

「あら」ページを破る手が止まった。咀嚼していたものを飲み下し、砂漠谷エリはこちらを見た。「いらっしゃい。遅かったわね」

 虚ろな眼差し。おれたちを見ているようで、何も見ていないようでもあった。

「そんなに汚れて。何て格好をしているのかしら」

「その言葉、そのまま返すわ」濃川捜査官が言った。

 木の丸椅子に腰掛ける砂漠谷エリの頭上はやけに暗かった。それが光の加減ではなく実際に何かの影だと判別できるまでには時間が掛かった。彼女の上には真っ黒な、楕円形の球体が浮かんでいた。そこから何本もの紐、或いは帯のようなものが垂れ下がり、砂漠谷エリの体の至る所に巻き付いていた。それはまるで、奴隷が逃げ出さないようにするための拘束具のようだった。

「無様な格好」

「人の食事時に乗り込んでおいて、随分なことを言うのね」〈食事〉が再開された。破ったページを、砂漠谷エリは口へ押し込んだ。「ユリちゃんも早く繋がりましょう? わたしのことをいくらかでも理解できると思うわ」

「そうやってあなたに貪られるための餌を供給するだけでしょう?」

「餌だなんて。人を野獣みたいに」

「野獣より質が悪い。野獣は地球を乗っ取ろうだなんて考えない」

「まだわからないの、ユリちゃん? これは乗っ取るとかそういう話ではないの。他の個体と繋がろうとするのは、この世に存在する全ての者に刻まれた本能なのよ。宇宙の真理といっても大げさではないぐらいの事実なの」

「地球上の全ての生物の脳が繋がったら、その先はどうするの? 宇宙のどこかに居るかも知れない異星人の脳とでも繋がる?」

「さすがはユリちゃん。おじい様の薫陶を受けただけあるわ」

 濃川捜査官は歯を食いしばり、顎を引いた。脇腹が痛むようだった。体勢を崩しかけたのを、おれは駆け寄り肩を掴んで支えた。

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