26−3
「人工脳の中にもう一つの脳を作る」ホワイトボードに二重丸が描かれた。彼女は内側の円を斜線で網がけにした。「ダミー脳とでも言おうか。このダミー脳を囮にして生きたウイルスを捕まえに行く。外側のこのセンセイは、〈新世界〉がまやかしであるという認識を持ったままだから、世界の端を知覚できる」
「それは、おれじゃなきゃ出来ないことなんだよな? おれの無駄にハイスペックな脳でなければ」
「生脳とはいえ、人間の脳を丸々一個再現しようとするなら、一部を拡張した程度の〈脳たりん〉では足りないよ。よしんば再現出来たとしても、外側の脳を動かすほどのリソースを確保できない。これは〈脳なし〉だからこそ実行できる作戦だ」
「ダミー脳へ誘き寄せることができたとして、それが外側の脳に感染する可能性はないのか?」
「世の中の大半が〈脳たりん〉である以上、確証はないけど、わたしはこの昏睡は基本的に人工脳と生脳がセットになって初めて起こると考えている。ネットワークに繋がった人工脳を入り口に、生脳という中身を食い荒らしていく感じかな。その証拠に、センセイも濃川ちゃんも発症していない」
「今は、という注釈付きですが」濃川捜査官は頷いた。「今は人工脳だけに症状が出ていますが、いつプログラムが変異するとも限りません。祖父のファイルにもあったと思います」
おれは砂漠谷一心氏のメッセージを思い出した。初めに〈脳〉と名乗る相手に呼び掛けられた時、彼は十分間、意識を奪われていた。
「単純に、近くに生脳があるから乗っ取れるという段階ではないだろう」科野は言った。「しかしいずれはその程度の力を身につける。時間は、もうあまり残されていないかもしれない」
「ワクチンを作って、それを世界中に拡散するとなると結構な時間が掛かるんじゃないか?」おれは訊ねた。
「普通のやり方でいけば、最低でも一年は掛かるだろうね。だけど今は緊急事態だ。眠りの波が世界を覆うより先に、ワクチンを行き渡らせる必要がある。そのためには二つのことが必要だ」そう言って科野はホワイトボードに〈リアルタイム生成〉と書いた。「まず、ウイルスが手に入り次第、わたしがすぐに解析を始めて抗体を算出する」
「できるのか、そんなこと」
「ウイルスのことにはちょっと詳しいからね。詳しくは言えないけど」
おれは濃川捜査官を見た。彼女は肩を窄めた。
「聞かなかったことにします。もう一つは?」
科野は次に〈砂漠谷エリの確保〉と書き付けた。
「わたしがワクチンを作っている間に、センセイたちには砂漠谷エリ氏と接触してほしい。この事態の中心に居るのは彼女だからね。真ん中から発信すれば、ワクチンも隈なく拡げられる。それにあわよくば、彼女を止めれば〈新世界〉も停止させられるかもしれない」
「頭脳警察は愚か、世界中の機関が探し当てられなかった相手だぞ。おれたちだけで見つけられるのか?」
「センセイと濃川ちゃんの力を以てすれば、わたしは可能だと考えるけど」
そう言って科野は濃川捜査官へ目を向けた。濃川捜査官は右手の薬指に嵌めた指輪をいじっていたのを止め、顔を上げた。
「わたしも同感です。夢野さんに連れて行っていただきたい場所があります」
「そこにお姉さんが居る」
おれの言葉に、彼女は頷いた。
「わかった、そこへ行こう」
「決まりだね」科野が手を叩いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます