23−4

「あの、濃川さん」おれは胸の内で訊ねた。「お姉さんはさっきから何の話をされているのでしょうか」

『端的に言えば世界征服の野望です』

「端的過ぎるわ」心外そうに砂漠谷エリは言った。「それはあまりに偏った見方よ、ユリちゃん。たしかにそういう見方もできるけれど、これはみんなが幸せになれる唯一の方法なのよ?」

『だから、その〈幸せ〉を決める権利はあなたにないと言っている』

「平行線ね。どうしてわかってくれないのかしら」本当に困っているという風に、砂漠谷エリは頬に手を充て考え込んだ。しばらくしてから、再びこちらへ目を向けてきた。今度はおれを見ているのだとわかった。「なら、この方に決めてもらいましょう」

「おれ?」

「計画を支える礎でもありますし」

「礎……」

『彼女は夢野さんの記憶データを、というより、脳内にある全てのデータを自身の計画のために利用するつもりです』

「おれの脳を使う、と?」

「あなただけではないわ。全脳摘出者の脳は余さず使わせてもらいます」

「サバクタニは、初めから自分たちのために利用する目的で、NODEシステムを開発したのですか?」

『そもそも人工脳技術の開発自体がそのためのものです。そしてサバクタニは、何も知らない人々を騙して脳を奪ったのです』

「ユリちゃん違うわ。全人類が幸せになるためにと、広く募った結果なのよ? おじい様は誰も騙していないわ。膨大な記憶力という対価だって、ちゃんと与えたのだし」

「おれの両親は、その口車に乗せられておれを〈脳なし〉にしたってことですか?」

『そうです』「違うわ」姉妹は声を揃えた。

「おじい様は何も強要はしていない。選んだのはあなたのご両親よ。おじい様を嘘つき呼ばわりするのはお門違いです」

『真の目的を告げずに選択させるのは騙すのと同じことです。そういう詭弁で、あなたは自分を納得させているだけでしょう』

「わからないな」おれは、情報体の頭を押さえながら言った。実体はなくとも、痛みはしっかり感じられた。「何だってそんな風に人の脳が必要なんですか。おれの記憶なんて、あなた方には何の役にも立たないでしょう」

「ええ。一つ一つは単なるゴミです。いえ、ゴミ以下です。1ビットだってリソースを費やされるのが許せないぐらい無駄なものです」けれど、と砂漠谷エリは続けた。「あなたが創り出したデータには価値があるのです。即ち、創作に関するデータです」

「漫画ってことですか?」

『やっぱり』と、濃川捜査官が言った。『本気であんなものを実行する気なの?』

「あんなもの?」

 おれの疑問を、姉妹のどちらも晴らしてはくれなかった。

「そうね、ユリちゃんは知らないでしょう。あなたの知っている限りでは、決して上手くはいかない。けれど、わたしは答えを見つけたの」

『それが、創作に関する力——想像力』

「あの、また置いてかれてるんですけど」おれは言った。

『彼女は、もう一つの世界を作ろうとしているのです』

「それって、仮想現実ってことですか?」

「そんな粗末なものではないわ」砂漠谷エリが言った。「この世界に代わる、もう一つの世界。新しい現実」

「はあ」わかったようなわからないような気がしたまま、おれは曖昧な返事をした。「それを作ることと、おれの脳が利用されることにはどんな関係があるのですか?」

『ヒトが実際に蓄えた記憶情報を使うことで、プログラムするより密度の高い仮想世界を構築できると、祖父は考えていました。描いた絵よりも写真の方がリアルに感じる、ということです』

「なるほど」

『しかし、実際に記憶情報だけ構築された世界では、人は長い時間を過ごせないことがわかりました』

「写真の中だから?」

『大まかに言うとそうなります。一見リアルに見えても、そこは継ぎ接ぎしただけの景色でしかありません。空間ではあっても、時間がない、つまり時空ではないのです。そうした場所は現実にはなり得ない』

「だけどその欠点を克服した」おれは言った。「人間の想像力を使うことによって」

『想像力——即ち未来。未来を規定することによって、記憶という過去から時間が流れ出す。空間が時空になる』

「さすがはユリちゃん。おじい様も天国で喜んでいるわ」

『けれど、世界全体の時間を牽引するほどの想像力を調達するなんて容易ではないはず』

「その点は心配ないわ。人の想像力は無限大だもの。記憶は現実に対して1にしかなり得ないけれど、想像力は何倍にでも膨らませることができる。特に創作者の中にはお馬鹿な妄想ばかりしている人もいるわけだし。その人のように」

 突然微笑み掛けられ、おれはどぎまぎした。

「あなたはとても素晴らしい想像力の持ち主だわ。〈新世界〉の構築に最も寄与された方の一人です。途中で制御が利かなくなるぐらい、爆発的な想像力をお持ちなの」

「実感はないですが」

「そうでしょう。これは意図して得られるものではありませんもの。思考パターンの複雑な組み合わせにより、天文学的な確率で生み出された奇跡。どれほど希有な存在か、言葉では言い尽くせません。見つけた時のことを思い出すと、今でも——」砂漠谷エリは顔を上気させ、自身の両腕を抱えて身を捩らせた。

『ジェット・コースケ氏の一件も、恐らく彼女の実験に因るものです。制御の利かなくなったデータが他の人のストレージに入り込んだのでしょう』

「なるほど。おれは巻き込まれるべくして巻き込まれたわけですね」身から出た錆、というにはあまりに理不尽だ。おれはただ漫画を描いていただけなのだ。だが、起きてしまった〈奇跡〉は今更引っ込めることもできまい。おれは悔し紛れに訊ねた。「時空を再現できたのはわかった。けど、リソースの問題は? 現実に代わる世界を構築するなら、それ相応の情報量が必要になるはずでしょう。実物大の街のジオラマを作るなら実物と同じ広さが必要になるのと同じです。サバクタニのサーバを全て使ったとしても、そこまでのリソースはないんじゃないですか?」

「それなら心配ないわ」そう言って砂漠谷エリは人差し指を立てると、自分のこめかみを指した。

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