23−3
砂漠谷エリは朗らかな笑みを浮かべていた。彼女にはこちらに危害を加える気などさらさらないのではと思ってしまうほどだった。そんな中で、こちらの情報体は強張っていた。おれの中にいる濃川捜査官が、警戒の色を示し続けていたのだ。
『あなたの元から出て行った覚えはありません』濃川捜査官が言った。その声は、おれと同じように砂漠谷エリにも届いているようだった。『むしろ出て行ったのはあなたの方でしょう』
「わたしはおじい様の意志を継いだだけよ。出て行こうなんて考えてもいなかった。あなたの父親に追い出されたのよ。無能な、凡人以下のあの男に」
『あなたの親でもあるのですよ?』
「違うわ、ユリちゃん」砂漠谷エリは艶のある唇を笑みで曲げた。「わたしは偉大なるおじい様の孫。ただそれだけ。たまたま肉体を形成したのがあの男とあの女との間だっただけで、わたしという人間はおじい様に育まれたの。おじい様がいなければわたしはいなかった。おじい様はわたしの、本当の意味での生みの親なの」
おれはある言葉を思い浮かべた。それは濃川捜査官に届いてしまった。
『問題ありません。それが普通の感想です』
「すみません……」
「ユリちゃん、どうしてあなたにはわからないのかしら。一緒におじい様の教えを受けていたはずなのに、どうして?」
『それは、わたしには常識があり、あなたにはなかったからというだけのことです』
「ひどいわ。たった一人のお姉ちゃんに向かってそんなこと」
「あれ?」つい声が出てしまった。「エルさんとエレさんは? 四人姉妹になるんじゃないんですか?」
砂漠谷エリは微笑みを浮かべたまま何も言わなかった。情報体が固まってしまったか、おれの言葉など聞こえていないようだった。
『エルとエレは砂漠谷エリが侍らせている仮想人です。見た目のインパクトと、自分を引き立たされる目的で、彼女は自分に似せた仮想人と、それを搭載したロボットを傍に置いているのです。本当はわたしたちは二人姉妹です』
「妹が色々とご迷惑をおかけしたようで」砂漠谷エリはおれに向けて言った。「お詫びに、ご所望のものをお返ししますね」
彼女の細い指が空を切った。するとそこから光球が生じ、こちらへ飛んできた。避ける間もなかった。おれは顔面で光球を受けた。痛みはおろか、感触のようなものは一切なかった。ただ、砂に撒いた水のように、何かがおれの中に染み込んでくる実感があった。それは元々おれの中にあったものであり、空いていた穴を埋めるためのピースであった。
欠落していた記憶が補完された。おれはサバクタニの本社に呼び出され、砂漠谷エリと対面し、〈直脳〉して、そこで濃川捜査官と会うように指示された。世界を救えと言われた。おれはその言葉に従い、濃川捜査官に会った。捜査協力と称して、サバクタニのサーバに侵入するための偽の記憶データを彼女に提供した。砂漠谷エリに言われたまま、頭脳警察に危害を加えるデータを送ったのだ。
「濃川さん」
『本物の記憶のようです。改ざんの跡はありません』
「嘘なんかつかないわ。わたしはいつだって本当のことしか言わないの」
『真実を全て話しているわけでもないでしょう』
「そうね。でも、全てを知ることが人を幸せにするとも限らないもの」
『隠し事は嘘をつくのと変わらない』
「人の幸せを願うことが悪いことなのかしら」
『人が何を幸せと思うかなんて、あなたに決める権利はない』
「わたしが言っているのはもっと一般的なことよ。誰もが等しく求める、普遍的な幸せ」
『あの計画が、人間にとっての〈普遍的な幸せ〉だと?』
「わたしはそう感じたのだけれど?」
『狂ってる』
上空で繰り広げられる鳥の喧嘩を見上げているようだった。姉妹のやりとりには、おれの知らない主語が頭に付いているらしかったが、それを訊ねる隙間はなかった。代わりに、とでもいうように、記憶の底から一つの言葉が浮かんできた。おれの中にあったものではなく、濃川捜査官のものだろう。彼女が念頭に置いていたに違いない。
「〈全人類接続計画〉」
二人の声が止んだ。その原因が、おれがつい口走った言葉にあることに、おれは遅れて気が付いた。
「あ、すみません」おれは謝った。「何かインパクトある言葉だったんで、つい」
砂漠谷エリは声を上げて笑った。口元に手の甲を添え、いかにも金持ちらしい所作だった。しかし、彼女が笑ったのは、おれが楽しませるようなことを言ったからではなさそうだった。
「懐かしい響き」砂漠谷エリは言った。「そう。ユリちゃんの中では、まだその名前のままなのね」
濃川捜査官が疑問を抱くのが伝わってきた。砂浜に打ち上げられた、正体不明のブヨブヨの物体に向けるような疑念だった。
「おじい様が唱えた〈全人類接続計画〉。もちろん、それは今も生きているわ。でも、残念ながら時代の変化に対応しきれていない古さもある。わたしはそれをアップグレードしたの。おじい様の素晴らしい考えが、永遠に残り続けていくために」
全人類結節点化計画、と彼女は言った。
「通称〈NODE計画〉。覚えやすいでしょう? 覚える必要はないけれど」
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