17−3
「随分とお忙しそうだね、センセイ」
当初、科野の検診は週に一度だったが、漫画家業が忙しくなるにつれ、二週に一遍となり、それが月一回となっていた。スタンドアローンになったおれの人工脳も安定してきたらしく、科野もそれでいいと言ったのだ。
「〈上〉に居た頃より大分売れっ子になったと見える。みんな、センセイの話ばかりしているよ」
「お陰様でな」施術台に乗せられ、頭に電極を繋がれたままおれは言った。
「脳は安定しているようだ」コンソールを見ながら科野が言った。「案外、ここでの暮らしが合ってるのかもね」
「おれもそう感じることがある。記憶をなくす前から来れば良かったとさえ思うよ」
「頭の中に先端技術を入れた男の台詞とは思えないね」
「どんなに機能の優れた道具があっても、それを使いこなせなけりゃ意味がない。結局のところ、おれにはここでの生活の方が性に合っていたんだ。人間が本来の形で生きられる、ここでの生活が」
「安易な文明批判は、システムから弾き出された者たちの負け惜しみにしか聞こえない」
科野が格言めいた口調で言った。誰が言ったことだろうと思うが、ネットワークから切り離されているので検索は掛けられなかった。
「誰の言葉だ?」
「わたしの言葉。なかなか様になっているだろう?」
「意地が悪い。ネイキッドとは思えない発言だ」
「わたしはネイキッドじゃないよ。文明の利便性を貪り生きる豚さんさ。ブヒブヒ」
「こんな所にいるのは実験台を集めるため、か」
「最終的にはそうなるかもね。気にくわない?」
「いや」おれは眼を瞑った。「何でもいい。今のおれがあるのは、お前のお陰だからな」
「それはよかったブヒ」
検査が終わり、科野は測定したデータを眺めていた。特に異常はないとのことだった。
「ところで、最近も夢は見るかい? 前に言っていたような、別の自分についての夢」
「そういえば見ないな」おれは起き上がりながら言った。「疲れすぎて夢も見ないほど熟睡している。健康的だろ」
「なるほど」科野は何やら考え込んだ。
「何だよ」
「いや、別に」そう言いながら、彼女は出て行こうとするおれを呼び止めた。「一つ、訊かせてもらいたいんだけど」
おれは頷いた。
「もし記憶を戻せるといったら、センセイはどうする?」
「戻せるのか?」
「もしもの話だよ」
おれは考え込んだ。考え込む、という行為が、ここへ来てから多くなったような気がする。ネットワークに繋がれていた頃は、こうした判断は瞬時に下されていたはずだ。これも、人間らしさの現れなのかもしれない。
「いや」おれは首を横に振った。「戻さなくていい。おれはここで漫画を描き続けることを望む」
「それで満足かい?」
「満足している」
「なるほど。妙なことを訊いたね」
「あいつにも何度か同じようなことを訊かれたよ」今はいない、セーラー服の少女を思いながらおれは言った。「最近は訊いてこなくなったが」
「そう。諦めたのかもしれないね」
「何を——」
こちらが問う前に、科野は追い払うように掌を振った。それから次の患者を呼んだ。おれは診察室を出て行かざるを得なかった。
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