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求められるままに描いたイラストは反響を呼んだ。あれ以来、紙とペンを持った住人たちが立て続けにやって来ては、各人思い思いの絵(主にエロ)をリクエストした。どうせ他にやることもないおれは、乞われるままに筆を走らせた。
こちらから言い出したわけではないが、いつしか報酬が得られるようになった。それは大抵の場合が食料で、一枚につき夕飯のおかず一品分の缶詰かパウチ食品との交換となった。図らずもおれは、こちらでも絵で食べていけるようになったのだ。しかも恐らくは〈
生活に余裕ができると、健康面にも気を遣うようになった。朝は日の出と共に起きた。床を出て、全身で朝日を浴びる習慣を身につけた。暖かな陽光が強張った筋肉をほぐし、体を目覚めさせるのだ。
コップ一杯分の水でうがいと洗顔を済ませると、朝食の調達に出る。これは自ら課したもので、ずっと狭い部屋で絵を描き続けるのは肉体的にも精神的にもよろしくないと思ったからだ。出掛ける前に、カレンダーの確認も忘れない。重要なのは日付よりも曜日だった。それにより、巡るルートが変わってくる。
例えば月曜日。休日は〈物資〉が豊富に残っている可能性が高い半面、収集日でもある。うかうかしていたら、貴重な〈物資〉が持ち去られかねない。おれは皺だらけになったビニール袋をポケットに突っ込んで部屋を出た。
通りへ出ると、街は既に動き始めていた。大半が仕事へ向かう〈上〉の連中だが、中にはおれと同じ目的を持っている仲間の姿もあった。やはり〈上〉の人間に混じっていると、その風貌は一目瞭然だ。
「よう」
「おう」
「どうだい」
「向こう、いいよ」
そんなことを言い合って情報交換する。こうやっておれたちは、支え合って生きている。〈上〉の連中が助けてくれるわけでもないから、自分たちで支え合うしかないのだ。
「おい、夢ちゃん」
最初にイラストを依頼してきた男が近付いて来た。彼は、仲間内では〈タケさん〉と呼ばれていた。
「どうだい、順調かい?」イラストを描いて以来、タケさんは何かとおれを気遣ってくれた。何も知らないおれにここでの仕来りから食料の調達の仕方まで、色々なことを教えてくれたのだ。「困ったことがあったら何でも言えよ」
「ありがとうございます。大丈夫です」
「夢ちゃん、段々いい顔つきになってきたな」タケさんは言った。「ここで暮らすに相応しい顔だ」
「そうですか?」おれは言った。「自分ではあまり変わらない気がするけど」
「ここが違うのよ、ここが」タケさんは己の胸を親指で示しながら言った。「大事なのは心さ。〈
タケさんはニカッと笑った。前歯のない笑顔だった。
「本当に幸せなのは、こっちで暮らす俺たちさ」
彼が〈上〉では何をしていて、どういう経緯でここへ来たのかは知らない。それはタケさんに限らず、ここで暮らす誰にも言えることだ。お互いの過去は詮索しないというのがここでの基本的なルールの一つだった。自ら開示している情報が全て。それ以外は本人の意思で許していない限り知るべきではない。大昔はそんなことが当たり前だったのだろうが、おれにとっては新鮮な不文律だった。タケさんではないが、人間は本当に、大事なことをいつの間にか忘れてしまっているのかもしれない。
絵の依頼は次から次へと舞い込んだ。おれは恐らく〈上〉に居た頃よりも忙しく働いた。おかず一品分というレートが、住人たちの色々な欲求を掻き立てた。彼らは一枚のイラストでは飽き足らず、別のものを何枚も求めた。やがてその中で「一枚絵ではなく複数枚描いて欲しい」という声が上がり始めた。
「できればストーリーを付けてさ、こう、シチュエーションでも興奮できるのを」その依頼人はもじもじしながら言った。彼が提示してきた報酬は、一週間毎日の三食分のおかずという破格のものだった。
報酬云々より、漫画を求められたことに気持ちが疼いた。おれは依頼を受け、溜まっていた仕事を片付け、早速漫画制作に取り掛かった。
寝食を忘れ、ほとんどの時間を机に向かっていた。締め切りに追われるわけでもなく、自主的にそうしたのだ。苦痛ではなかった。むしろ、原稿が一枚仕上がり、完成に近付く度に独特の幸福感を覚えた。登山家がエベレストの頂上を目指している時と同じ感覚だったに違いない。
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