14−3

 髭を剃り、髪を整え、ネクタイを締めた。鏡の中にいる男は、中年の割には清潔感のある見てくれになっていた。

 気持ちを整えるために、新宿までは歩いて出ることにした。そこから山手線で原宿へ向かった。代々木公園の入り口に着いたのは待ち合わせの五十二分前だったが、遅れるよりはマシだと思った。

 何だかんだ言って、仮想娘もついてきた。いくら当人が拗ねても、おれが機能をオフにしない限り、彼女がおれの視界からいなくなることはなかった。

「ねえ」随分久しぶりに、彼女は口を開いた。「やっぱり帰った方がいいんじゃないかな」

「この期に及んでまだそんなことを」おれは肩を窄めた。「ここまで来たんだ。もう腹は括ってる」

 仮想娘の態度や言動は、総合的に見ればおれの精神状態の反映だ。つまり、おれが不安を抱えていれば、それを脱却すべく導くようなことを言う。彼女がおれと本物の娘との対面に消極的なのは、やはりおれ自身のせいだった。

 会いたいと切望する一方で、会った時のことを考えるとこれはこれで別の不安が頭をもたげていた。もし娘がおれを見た時にがっかりしたような表情を浮かべたら。そこまで露骨でなくとも、言葉の端々に距離を感じたら。そんなことを想像すると、やはり会えるかどうかの不安と同じぐらい、腹の底から吐き気が込み上げてきた。要するにおれは、仮想娘が普段接してくれるぐらいの温度感で本物の娘も接してくれることを望んでいたのだ。

 残り二十八分。休日とあって辺りには人が多かった。家族連れにカップル。学生らしきグループ。革ジャンにリーゼント、もしくは大きなリボンを付けた男女のグループが、ロカビリーに合わせ踊っている一団もいた。誰もが思い思いの休日を過ごしていた。自分もそうした平和な休日の一員になれるかと思うと、諸々の不安が少しは和らいだ。そうだ。今日ぐらいは人並みに幸せを味わってもいいじゃないか。人生に一日ぐらい、こんな日があったって罰は当たらないはずだ。

「お父さん」娘の声が言った。しかしそれは仮想娘のものだった。「もう時間ないよ」

 残り十七分。時間がない、のではなく、いよいよその時が迫っていた。

「悪いな。おれはやった後悔よりやらなかった後悔をしたくないんだ」そう彼女に言って、おれは〈仮想娘〉のプラグインを落とした。何か言おうとしていたようなセーラー服の少女がぷっつり消えた。残り十五分。

 頭の中で何かが引っ掛かった。何か、妙なものを目にした感覚だった。そこにあるはずのないものを、居るはずのない人物を見たような気がした。

 おれは無意識にあちこちへ視線を向けていた。それが、今の引っ掛かりから目を背けるための行いであることに気付くまでそう時間は掛からなかった。視線を正面に戻すと、引っ掛かりの正体がわかった。二メートルの距離を置いて、濃川捜査官が立っていた。

 彼女は悲しそうな顔をしていた。

「濃……川……さん?」

 確認するように呟いたおれの言葉に、彼女は頷くことも首を振ることもしなかった。しばらくこちらを見つめてから、結ばれた小さな唇を小さく開いた。

「残念です、夢野さん。信じていたのに」

「な、何が?」

 答えを聞く前に、おれは両脇を二人がかりで取り押さえられた。さっきまでロカビリーを踊っていた革ジャンの男たちだった。いつの間にか彼らに囲まれていた。その中の誰かに後ろから膝を折られ、おれはその場に跪いた。

 目の前に濃川捜査官がやって来た。こちらが膝をついてようやく、おれたちの目線は同じ高さになった。

「これはどういう冗談なんでしょう?」おれは笑みを作りながら訊ねた。

「冗談だったらどんなによかったでしょう。ですが、あなたはとても冗談では済まされないことをしてしまいました」

 おれは目を閉じた。やっぱりな、という言葉しか浮かんでこなかった。やっぱりこうなった。わかっていたさ。娘に会えないことは何度も想像してきたじゃないか。だが、投げられるとわかっていたにも関わらず、上手く受け身をとることはできなかった。

 濃川捜査官がロカビリー捜査官たちに連行するよう指示するのが聞こえた。体には抵抗する力も入らず、おれは彼らにされるがままとなった。

 両脇に屈強な腕を回され、引きずられるように歩きながら、公園へ出入りする人々が遠巻きにこちらを眺めているのが横目に見えた。何かの出し物だと思っているのか、無邪気に端末のカメラを向けてくる人間もいた。その人垣の中に元妻が、そして娘がいないことを、おれは心の底から願った。

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