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 メールを送って一時間もしないうちに濃川捜査官から着信が来た。

『連絡が滞っており申し訳ありません』挨拶もそこそこに電話口の彼女は言った。『こちらも幾分立て込んでおりまして』

「いや、そんな。お忙しいところにメールなんか送って、却って申し訳ない」

『それで、メールに書かれていたことですが』

「ええ。それについて、できれば直接、会ってお話ししたいのです」

『電話では不都合が?』

「誰が聞き耳を立ててるかわかりませんから」

『社獣、ですか』それから手帳だろうか、紙を捲るような音がした。『今日の十五時ならば都合がつけられます。いかがでしょう』

「ありがとうございます。大丈夫です」

『こちらからお宅へ伺いましょうか』

「いえ。新宿あたりにしましょう」おれは花園神社の傍にある喫茶店を指定した。

『わかりました。では、十五時に』

「ええ、十五時に」

 電話は切れた。おれは深く息を吐いてから、立ち上がった。

 洗面所へ行き、鏡の前に立った。お世辞にも血色がいいとは言えない、むしろはっきりと土気色をした、やつれ顔の男がこちらを向いていた。こいつの頭の中には脳がない、とおれは鏡を見ながら考えた。とてもそんな風には見えない、と反論するのもおれだった。人畜無害の中年男。今年が本厄である他には、拙いことなど何もないように見えた。さしたる信用も呼ばないだろうが、特別警戒されることもなさそうだった。

 電動シェーバーで髭を剃った。顎の裏までしっかりと剃り上げた。不精な要素を一掃すると、中年男としてますます普通の印象が強まった。これから世界を救おうとしているようには、どうしても見えなかった。

 丸ノ内線に乗り、新宿三丁目で降りた。改札を出て、大型書店で時間を潰した。紙本主義者なら嬉しさで昇天しそうな紙媒体のずらり並んだ店内を最上階まで順番に回ったが、その中の一冊も手に取ることはなかった。やはり、それなりに緊張していた。視界に出した仮想時計を見ると十五分を切っていたので、一階へ降りた。

 書店を出て、通りを渡り、件の喫茶店に入った。既に奥の席には見覚えのある後ろ姿が座っていた。背もたれを使わず、背筋を真っ直ぐに伸ばした座り方は、紛れもなく濃川捜査官だった。

「すみません、お待たせしました」

「いえ。早く着いたのはわたしの方ですから」

 おれは彼女の向かいに座った。おしぼりを運んできたレトロフューチャーな自走機械にアイスコーヒーを注文した。濃川捜査官の前には空いたコーヒーカップが置かれていたので、彼女の分のおかわりも頼んだ。

「落ち着いたお店ですね」

「ジャズの音がそう感じさせるんです。ここはスピーカーの配置に凝っていて、他のテーブルの会話が聞こえないようになっています。かなりの大声で笑っても、声は誰にも届きません」

「秘密の話をするにはうってつけの場所ですね」

「そういうことです」

 トレイを手にした自走機械がやって来て、アイスコーヒーをテーブルに置いた。更に、人間でいう耳に当たる箇所からシュルシュルと管を伸ばしたかと思うと、濃川捜査官のカップにコーヒーを注ぎ始めた。

「ごゆっくりどうぞ」見た目のレトロさとは対照的な、流暢な自動音声で言うと、自走機械はテーブルから離れていった。

 濃川捜査官は砂糖壺を引き寄せると、小さなトングで角砂糖をコーヒーへ入れた。例によって一度や二度では済まなかった。

「夢野さん、そのままで聞いてください」彼女は角砂糖を運びながら言った。「店内に怪しい人影は見えますか?」

「それらしい人は特に」

「先日コンタクトを取ってきた社獣は?」

「いないようです」

「そうですか」

 砂糖の投入が終わった。壺が空になったようだ。濃川捜査官はスプーンでコーヒーを掻き回してから、カップを口へ運んだ。見ているだけで舌が甘ったるさで引き攣る気がしたが、彼女は顔色一つ変えなかった。

「結構です。では本題に入りましょう」彼女は傍らに置いたバッグから、クリアファイルを取り出した。そこから抜き出された一枚の紙がテーブルの上を滑ってきた。「このメールに書かれていることは本当ですか?」

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