11−3
手の中のグラスで、氷がカランと音を立てた。おれは我に返った。目を上げると、砂漠谷エリの微笑とぶつかった。その笑みは心なしか、先ほどまでとは何かが違った。何がとははっきり言えないが、強いて言えば怒りとか不快感といった、ネガティブな方面の感情が覗えた。NODEシステムを批判したことで気分を害してしまったのかもしれない。
「ところで、今日お招きいただいたのは、こうして身の上話をするためなのでしょうか」繕う思いで、おれは話題を変えた。
「あら」砂漠谷エリは、自身のシャンパングラスをくるくる回しながら言った。「何か呼びつけられる心当たりがおありですの?」
タイミングを鑑みれば、濃川捜査官への捜査協力のことが一番に挙げられた。というより、それ以外には考えられなかった。あとはひたすら漫画を描いていただけで、外出することなどほとんどなかった。
ふう、と溜息が聞こえた。その音すらも、フルートの音のようで耳心地がよかった。
「あなたには、どんな隠し事をしても仕方がありませんね。全ての可能性を演算されて、見破られてしまう」
「そんなことはないですよ」実際、頭の回りはいつもより悪かった。ほとんど回っていないといってもいいぐらいだった。
砂漠谷エリの、長い睫が持ち上がった。黒い瞳が、真っ白な微笑が、こちらを向いた。
「あなたに、お願いがあるのです」
デジャヴ。前にも同じ眼差しで、同じことを言われた気がした。
「お願い、ですか」おれはぼんやりしたまま言った。「僕があなたにできることがあるのだろうか」
「あなたにしかできないことです。こうして巻き込んでしまうのは、大変心苦しいのだけれど」
それから、砂漠谷エリは持っていたシャンパングラスをテーブルに置いた。おれの手からも、ウイスキーのグラスがエレによって抜き取られた。
砂漠谷エリが、細い指を組み合わせながら言った。
「口でお話しするより、直接繋がった方が伝わりやすいかと思います。詳しくは〈あちら側〉でお話ししましょう」
彼女がそう言った次の瞬間、目の前の景色が遠のいた。意識が頭の奥の奈落に、引きずり込まれるようだった。
次に気付いた時、青白い、人工的な灯りが見えた。ブゥゥゥーン、と断続的に唸るモーター音も。頭上には水槽があった。底には白い砂が敷かれ、その上を魚が三匹泳いでいた。熱帯魚だろうか、赤や黄色や青がくっきりしていた。
おれはどこかに寝かされていた。ベッドの上だ。広い寝台に一人、仰向けになっているのだった。砂漠谷三姉妹の姿はどこにもなかった。おれは身体を起こし、周囲の闇を見回した。やはり目に付く生き物といえば、水槽の中で泳ぐ熱帯魚たちだけだ。
そもそも、なぜこんな所に寝かされているのだろうか。覚えていない。酔い潰れたのか? いや、それ以前に、サバクタニ本社に呼ばれたこと自体が夢であった可能性だって考えられる。だとしても、一体ここはどこなのだろうか。
「夢ではないですよ」耳許で声が囁いた。
全身に鳥肌が走った。だが不快感は一瞬で、すぐ快楽へと変換された。砂漠谷エリの顔が、吐息が当たるほど近くにあった。両方の方に彼女の冷たい手を載せられ、自分が服を着ていないことに気付いた。
「ここはわたしの直脳空間です。無事、接続することができました」
「随分、ムーディなデザインですね」
「大切な人しか招待しないプライベート用ですから」彼女は言った。「――もう長い間使っていないけれど」
「それは光栄だ」精一杯冷静さを保とうとするが、声の震えを抑えられなかった。先ほどから、彼女の指先がおれの胸元を這い回っているのだ。「……これは、どうしても必要なことなのかな?」
「わたしたちの意識クロックを同調しているの」砂漠谷エリが艶っぽい声で囁いた。「波長を合わせれば、言語化できない細かなニュアンスも正確に伝達できるから。あなたの快感はわたしの快感になり、わたしの快感はあなたの快感になる。そして二人は一つになれる」
「それは……素敵なことだ……」
「そうでしょう?」
首筋に柔らかな肉の感触が吸い付いてきた。大きな蛭なのかもしれないが、振り払う気にはなれなかった。そもそもそんな自由もなかった。彼女の指は大きな蜘蛛のような動きで腹部を下っていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます