11−2

 シャンパンのように甘美な時間であった。それが、勝手に覚悟していた死からの反動によるものなのか、手元の酒によるものかはわからない。そんなことを考えられないほど、頭の回転は鈍くなっていた。脳のないおれがアルコールの影響を受けるのだろうかという疑問も、グラスの泡のように浮かんではすぐに消えた。

 三姉妹とは主に互いの仕事について話し合った。彼女たちはおれの仕事に並々ならぬ興味を見せていた。どういう手順で漫画は出来上がるのか。どういうところからアイデアが生まれるのか。こちらも、そういうことを訊かれる機会とは無縁なのでスラスラ喋った。いつかメディアの取材が来た時のために取っておいた言葉を交えながら、半分近くは自身の哲学や創作論といった自分語りをした。荻野やエゼキエルにすると煙たそうな顔をされる話だが、美人三姉妹はさも楽しそうに聞き入っていた。

「あなたたちのことについても訊かせてもらっていいだろうか」充分に語り終えたところで、おれは三人に水を向けた。完全に、酔いに身体を預けながら。「もちろん、差し支えのない範囲で」

 すると砂漠谷エリが代表して口を開いた。今の仕事は大変やりがいがある。何といっても、NODEという人類に革新をもたらしたシステムを管理する企業での仕事である。システムの改善が、そのまま人々の生活環境の改善に繋がることも少なくはなく、世界中から感謝の言葉を寄せられることも多いという。

 一方で、急逝した父の跡を継ぎ、二十代にして世界的規模の会社のトップに立ったことへの重圧も感じている、と彼女は言った。自分が上手くやれているか、自分の下す判断は正しいのか、日々迷いながら仕事に臨んでいるという不安を吐露した。

「幸い、わたしには二人の頼りになる妹たちがいます。三人寄れば何とやらで、どうにかこの重責をこなしています」そう言って砂漠谷エリは、エルとエレを交互に見やった。三美人はそれぞれが優しい顔になり、微笑み合った。永久凍土すらも溶かす春の訪れを見ているようだった。

「意外だな」おれは言った。「街に立つホログラムからは、とてもそんな不安は想像できない。もっと自信に満ちた人たちかと思っていました」

「弱音を吐く女は嫌いですか?」

「いえ、むしろ逆です。あなたを一人の人間として捉えることができて嬉しいんですよ」

「まあ。わたしを今まで何だと思っていたのですか?」

 おれたちは笑った。

 空のグラスが抜き取られ、ウイスキーのオンザロックが渡された。いつの間にかシャンパンは終わり、おれはウイスキーに切り替えていた。もう何杯目だかはわからなかった。そのグラスも空にした時、エルとエレがおれのソファーの背もたれに腰掛けていることに気が付いた。逃げられないと思うが、逃げる気も起こらなかった。

「――いつかこうして」と、砂漠谷エリは呟くように言った。「夢野先生とお話ししたいと思っていました」

「おれのことをご存知だったのですか?」

「もちろんです。先生は、我が社の――NODEシステムそのものの発展に寄与された方ですから。父や祖父からも、その功績を幾度となく伺っていました」

「功績だなんて。僕は何もしていませんよ」おれは頭を掻きながら言った。「麻酔を掛けられ、手術台に寝ていただけです。目が覚めたら全て終わっていて、〈脳なし〉――全脳摘出者としての人生を歩き出したというだけなんです」

「とても、勇気のあるご決断をされた」

「親が、ね」肩をすぼめた。両親の顔を思い出そうとするが、彼らの顔にはモザイクが掛かっていた。「プライドの塊のような人たちでしたからね。どうしても息子を秀才に仕立てたかったのでしょう」

「NODEシステムはお嫌い?」

「あ、いえ、そんなことは」慌てて取り繕った。いつもの癖でつい、批判的な物言いになってしまった。「助かっていることもありますよ。むしろその方が多いぐらいです。これのお陰で、色々な経験をすることができますし」

 今こうしてここにいるのも。頭脳警察の捜査に協力するのも――

 ふと、濃川捜査官の顔が浮かんだ。何十年も昔に一度出会ったきりの人物のように、ひどく懐かしく、遠い存在に思えた。

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