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 ひょっとすると、おれはまだ田中太郎氏の車の中で眠っているのではないかと考えた。これは夢なのではないか、と。あるいは、やはり車に乗せられたままどこかへ連れて行かれ、そのまま首を絞められて見ている幻覚なのでは、とも。それらの方がよほど現実味があるように思えた。だから頬を抓る気も起こらなかった。

 砂漠谷エリはおれの後方に向け目配せした。振り向くと、田中太郎氏が恭しく頭を下げ、入ってきた扉からを出て行った。

 部屋――というよりフロアには、おれたち二人きりとなった。ネオ東京の真ん中とは思えない広さと静けさがあった。

 いや二人ではなかった。部屋にはあと二人存在した。カツカツと踵を鳴らして、やはりイブニングドレスのような服を着た女が二人、それぞれフロアの反対側から歩いてきた。砂漠谷エルと砂漠谷エレ。おれは〈美人三姉妹〉の作り出す三角形に囲まれる格好となっていた。

 包囲網は瞬く間に狭まった。頭の奥で、ないはずの脳が痺れる感覚があった。

「わざわざご足労いただき、ありがとうございます。お疲れになったしょう?」砂漠谷エリが言った。「どうぞそちらへお掛けになって」

 彼女の白く細い指が、窓辺の応接セットを示した。一刻も早くどこかへ腰を下ろしたかったおれは頷いた。砂漠谷エルに右手を取られ、砂漠谷エレに左手を取られながら、窓辺へ向かった。革張りの一人掛けソファに座らされると、もう二度と立ち上がれないような気がした。

「こんなものしかなくて、申し訳ありませんが」言いながら砂漠谷エリが、シャンパングラスを差し出してきた。

 細長いグラスの中で、黄金色の液体が泡立っていた。同じものを彼女も持っていた。おれはグラスを受け取り、砂漠谷エリが飲むのを待ってから口を付けた。炭酸の刺激が通り過ぎた後、果実の甘みが口の中へ広がった。

「お口に合ったかしら」

「なかなか美味いです」本心から言った。

「よかった」砂漠谷エリは笑みを浮かべた。直視しているとこちらが後ろめたさを覚えるほど美しい笑顔だった。

 彼女は砂漠谷エレに命じてキッチンカウンターへシャンパンのボトルを取りに行かせた。その間に、自分はおれの向かいのソファに腰を下ろした。氷の詰まったアイスバケットごとボトルが運ばれて来て、硝子製のローテーブルに置かれた。砂漠谷エルと砂漠谷エレが、姉の座るソファーの背もたれに浅く腰掛けた。三人が揃う様は全ての均整がとれており、そういう美術作品を観ているようだった。

「突然お呼び立てしてすみません。お仕事、お忙しいのに」砂漠谷エリが言った。

「いえ、丁度一段落ついたところでしたので」油断すると彼女の胸元へ視線が吸い寄せられた。必死に彼女の眉間の方へ意識を集中した。「しかし、驚きはしました。急にこうしてあなたたちと会うことになるなんて。まるで夢でも見ているみたいですよ」

「夢かどうか、確かめてみます?」

「……どうやって?」

 すると彼女はおもむろに身を乗り出し、細く真っ白な手をこちらへ伸ばしてきた。おれは逃げることも叶わず(むしろ待っていた)、彼女に頬を抓まれた。痛い。

「どうやら夢ではないようです」

「よかった」砂漠谷エリは自身のソファへ戻った。「この時間を、夢や幻にされるのは悲しいですから。せっかくこうして会えたというのに」

「そんな風には思いませんよ」おれは言った。仄かな酔いが舌の回転を滑らかにした。「こんな素敵な時間をなかったことにするなんてできません。しっかりと脳に刻みつけますよ。幸い、私の脳には記憶領域が余っていますから。後からいつでもこの体験を思い返せるよう、克明に記録しておきます」

「嬉しい。ぜひ、そうしてください」彼女は本当に嬉しそうに笑んだ。それから胸元を隠すような仕草をし、「ただし、ちゃんと全てを記録してくださいね?」

「もちろんですとも」

 その場にいた誰もが笑った。

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