10−2

 目を瞑っていても、街路灯の光が通り過ぎるのがわかった。だが、単調な間隔と車内の静けさが、おれを着実に眠りの世界へ引き込んでいった。これから直面するであろう身の危険すらも、押し寄せる睡魔が圧してしまった。

 どれだけ経っただろうか。名前を呼ばれ、おれは目を覚ました。入眠前の状況を頭の中で呼び出し、確認した。サバクタニの人間が家に来て、車に乗せられた。今はその車内だ。状況に齟齬はなかった。

 一切の夢を見ない、深い眠りだった。そう長い時間ではなかったはずだが、眠りこけていた実感があった。それでいて、意識はすっきりしていた。久しぶりに快眠したとでもいおうか。これから殺されるかもしれないというのに皮肉なものだった。

 男はドアを開けたまま、車の外に立っていた。どこかの地下駐車場のようで、白い照明が光沢のある頭皮に当たり、輝かせていた。

「お休みを中断してしまい、申し訳ありません。到着いたしました」田中太郎氏は言った。

 おれは促されるまま車を降り、氏に続いて歩き出した。辺りに人影はなかった。代わりに、自走式の監視ロボットが数台、自分が通る旨を呟きながら走り回っていた。

 凶行にはうってつけの駐車場から、エレベーターホールに入った。待機していたエレベーターに乗り込むと、田中太郎氏は革手袋を外し、操作パネルに掌を翳した。何かのスキャンが行われ、何かの許可が下りた。エレベーターが上昇を始めた。車と同じように滑らかな上昇だった。

 ここで絞め殺されるのかしらんと思っていると、周囲の景色が開けた。エレベーターが地下を抜けたのだ。上昇は尚も続いていた。硝子の向こうには、夥しい量の光の粒が、夜空をも染めんばかりに溢れていた。三十年に及ぶ困難から復活を遂げた巨大都市の夜景だ。左手には新宿の、古くからある高層ビル群。正面には丸の内の灯。遠くには、634メートルの巨大オブジェ・旧スカイツリー。右手にぼんやり灯る橙色の光は、更に古い旧電波塔の東京タワーである。それらの位置から察するに、ここは六本木のようだ。

 夜景は既に足元に過ぎ去っていた。そんな風に街を睥睨できる場所は、都内に一つしかない。外から見ればネオ東京の中心にそびえる世界樹のような建造物、六本木メトロポリス――SSSSの本社ビルだ。地上高は長く世界一の座にあったドバイのブルジュ・ハリファを上回る999.9メートル、階数231階、延床面積108万4611平方メートルの、現時点で世界最大の建造物である。地震の多いこの国では無謀とも思える高さを誇るこの建物だが、滅震構造により理論値で震度9の直下型および海溝型地震にも耐えられるよう設計されているという。ビルには商業施設、ホテル、ネオ東京都庁が入居し、150階より上がSSSS本社となっている。

 やがてエレベーターは速度を落とし、静かに停止した。階数表示は出ていないが、相当な高さだ。少なくとも都庁よりは上だろう。本来ならば、おれのMINDでは上がってこられないような場所だ。ドアが開いた。

「こちらへ」

 田中太郎氏に促されるまま、おれはエレベーターを降りた。赤い絨毯を敷いた一本道の廊下が延びていた。両側の壁には、等間隔で絵画が飾ってあった。いずれもゴッホの「ひまわり」だった。今は六点が現存しているが、いずれもサバクタニが買い取ったはずである。

 足音を絨毯に吸われながら歩いていると、幽霊にでもなった気分が湧いてきた。そのまま廊下を進んでいくと、やがて一つの扉に突き当たった。

 扉には札も表示も出ていなかった。しかし、それが特別な扉であるということは一目でわかった。田中太郎氏は扉の前に立ったまま、しばらく動かなかった。直脳で何らかのやり取りをしているようだった。やがて彼はこちらを振り向いた。

「どうぞ、中へ」

 扉が音もなくスライドし、開いた。おれは足を踏み入れた。

 少なくとも、人気のない倉庫街で絞め殺される可能性はなくなったと見てよさそうだった。殺されるとしても、ネオ東京を一望できる場所で最期を迎えられる――そんなことを考えていたせいで、人の気配に気付くのが遅れた。街の灯にライトアップされた灰色の夜空を背にして、女性が立っていた。胸元が大胆に開いたイブニングドレスのような服を纏った彼女は、街のホログラムで見慣れた砂漠谷エリと同じ顔をしていた。

「ようこそ。夢野恋太郎先生」

 砂漠谷エリと同じ声で言った女の口元に、微笑みが浮かんだ。

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