6−5
瞼を下ろしているわけではないが、物理視界が認識から消えた。代わりに、直脳通信用の風景が視覚を占めた。人によっては好きな景色を設定しているらしいが、おれはデフォルトのままだ。青空の下に、風にそよぐ緑の草原が果てしなく広がっていた。草の上には一脚のテーブルセット。おれは片方の椅子に腰掛けていた。
やがて、テーブルを挟んだ向かいに編集者が、ソファーにいたのと同じ体勢で現れた。彼は自分がどこに連れてこられたのかわからないようで、周囲を見回してから、おれに気付いた。
「何です、ここ?」
「
「今すぐ外してくれ。気持ち悪い」
「その前にちょっと、確かめさせてもらいますよ」おれは言った。「おれの今後が掛かっているので」
「は? やめ――」
おれは更なる脱法プラグイン〈ジゴロ〉を起動させた。目の前の編集者がたちまち丸裸(観念的な意味で)になった。露わになった彼のフォルダ構成から、仕事関連のフォルダをいくつかピックアップし、フォルダを直接開いて確かめた。対人関係の記録はちゃんと存在するが、その中にジェット・コースケ氏に関するものは残っていなかった。今度は〈ジェット・コースケ〉の名前でファイル検索を掛けた。
検索終了。該当は一件。コミュニケーション履歴ではなくメールだった。それも一通だけ。更にはダイレクトメッセージ《DM》ではなく、外部から送信されたものだった。おれはそのファイルを開いた。
受信日時:2081/06/28 22:23
差出人:ジェット・コースケ(佐藤佑子)
件名:なし
本文:お世話になっております。ジェット・コースケです。
先日掲載いただきました『シャラップ! めべりくん』に
つきまして、
ご迷惑をお掛けし、誠に申し訳ありません。
全ては私の不徳のいたすところでございます。
しばらくは世間様から距離を置き、
日陰でひっそりと暮らしたいと思います。
編集部の皆様のますますのご活躍、御誌の更なる発展を
願いながら、
挨拶とさせていただきます。
かしこ
「夢野さん」濃川捜査官の声が、水の中で聞いているように響いた。「この方、鼻血が出てきました」
そろそろ切り上げ時だった。あまり続けると、脳を壊しかねない。
メールデータをコピーし、自分のローカルストレージにペーストした。それから全てのファイルを閉じ、直脳通信を終了した。おれは元の、四方を黄ばんだ壁と紙束で囲まれた雑居ビルの一室へ戻った。ローテーブルの向こうでは編集者がソファでぐったりしていた。彼の鼻の下には、赤黒い筋が一本通っていた。
「やり過ぎたかな」
「首尾はいかがでしたか?」彼女が問うてきた。
「一応、手掛かりらしきものは見つけましたけど……救急車呼んだ方がよくはないですか?」
「このままでは色々と不都合です」言いながら、濃川捜査官はうずたかく積まれた紙束へ近付いていった。それから、「きゃー、壁が崩れてくるー」と彼女にしては声を張りながら、それらの〈山〉を崩し始めた。
古い紙が次々に雪崩を打ち、埃が巻き上がった。どこかで本物の悲鳴が上がった。今まで、このフロアにある全ての紙束が絶妙なバランスで均衡を保っていたようで、被害は我々のいる応接スペースに留まらず、オフィス全体に広がっていった。
驚天動地。阿鼻叫喚。方々から咳き込む音と無事を確認する声が聞こえてきた。
「誰かー、救急車をー」濃川捜査官が必要以上の棒読み口調で言った。
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