5−4
「あなた方の狙いはわかりました」おれは言った。「つまり、マンションの管理人は建物に入れてくれないが、空き巣の入ったおれの部屋なら警察の権利で調べられる、と。そういうわけですね」
「端的に言うとそうなります」
「そしてそれを断る権利はない」
「そもそもここには義務しかありません。あなたは一度、警察を騙しているわけですから。これすら本来ならば許されるものではありません」
〈お願い〉ではなく〈命令〉。おれは溜息をついた。
「一つ、訊いてもいいですか、ノウカワさん」
「
「濃川さん」おれは言い直した。「事件が無事に解決した場合、全ては不問になるんですか? その……嘘をついたことと公序良俗法違反は」
今度は相手が小さく溜息をつき、肩をすぼめた。仕方ない、という風に。
「前者については不問とすることを約束します。後者については、公表したのが他人ということなのでそもそも罪には問えません。この国は、少なくとも今のところはSF小説に出てくるようなディストピアではありませんから」彼女は続けた。「少なくとも、今回の一件で協力していただけるのであれば、MINDが増えることはなくとも下がることもありません。娘さんとの面会が遠のくこともございませんので、どうかご安心ください」
「それはよかった」自分の一番デリケートな部分まで初対面の相手に握られていた。これがディストピアでないとするならば、何が当てはまるのだろうか。もちろん、そんな考えは尾首にも出さぬよう気を付けながら、おれは笑みを作った。「安心しました」
頭脳警察側での準備もあるというので、捜査は翌日から行われることになった。
濃川捜査官が帰って行った後、部屋の隅で三角座りした娘が恨めしげな眼を向けてくるのに気付いた。その理由は大体わかった。おれが最後に見せた〈せこい交渉〉が気に入らないのだ。
「仕方ないんだよ」おれは先に弁明した。「MINDが下げられたら元も子もない。しっかりと確約を得ておかないと」
「それにしたって」と、娘はむくれたまま言った。「あんなのカッコ悪い。相手に見くびられる隙を与えるだけだよ。実際あの人、ゴミを見るような眼でお父さんのこと見てたし」
「ゴミって、お前……」これにはいささか傷ついたが仕方がない。警察相手に、揉み手をしながら罪の帳消しを乞うたのだ。我ながら、思い出すだに恥が身に突き刺さった。そんな痛みに耐えながら、おれは呻くように繰り返した。「仕方ないんだよ」
娘は口を尖らせ、そっぽを向いた。
ドアが開き、荻野が顔を覗かせた。
「あー、センセイ、何やってんすか。終わったんなら早く仕事に戻ってくださいよ」
「今行くところだ」
荻野はそわそわしていた。
「何だよ?」
「さっきのお客さん、誰なんですか?」
「あれは——」警察の、しかも頭脳警察の捜査官だと言ったら、またややこしいことになるに決まっていた。下手をするとこいつの口から編集部に知られて仕事を失いかねない。「姪だよ。兄貴の子だ」
「へー。あ、でも、センセイってご実家から絶縁されてるんじゃなかったでしたっけ?」前にそんな話をしたが、覚えていたようだ。サーバに記憶が残る以上、忘れるわけもない。
「〈切られた〉んじゃない。〈切った〉んだ」おれは言った。「そんな無頼な叔父に憧れているのだよ、あの子は」
「ふーん。もうちょっと頭よさそうな子に見えましたけどね」
「どういう意味だ、おい」
「エゼキエルは電車が遅れてるらしいんで。早く戻ってくださいね」
ドアは閉じられた。おれは無駄な傷を付けられた気持ちを抱えたまま、再び娘の方へ目を向けた。
やはり彼女は三角座りをしていた。先ほどよりも身を屈め、頑なになっていた。声を掛けようとしても、言葉が見つからなかった。ただ溜息が出てくるばかりであった。こんな時、〈高性能〉と謳われたおれの脳は何の役にも立たない。
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