5−3

「一つ、お訊ねしたいのですが」淡々と、事務的に、彼女は言った。「〈同性〉とは、どなたのことを指しているのでしょうか」

 伏せられていた全てのカードが捲られ、自分の勝ち目がないことを知らされた。そんなイメージが、人工脳の中で浮かんだ。

 いくら脳の回転率を上げても、材料がなければ擬似記憶は生成できなかった。一を百にすることは可能だが、〇を一にすることは不可能だ。よく「創作は〇を一にする人間にのみ許された営みだ」という言説を聞くが、これは間違っている。実作者の立場から言わせてもらえば、一にも満たない小数点以下の細かい材料が集まって、アイデアという一が生まれるのだ。決して全くの無から何かを生み出しているわけではない。そして今はこんな屁理屈をこねている場合でもない。

「お、脅すんですか?」ようやく搾り出した言葉がそれであった。

「警察側からの圧力の違法性を問うているのでしょうか。その前に、夢野さんが先日おこなった虚偽の証言を検証することになりますが。恐らく、何らかの罰則は与えられます。少なくともMINDの減点は確実でしょう」それから、と言いながら、彼女は鞄の中からクリップで留めた紙束を取り出した。それはジェット・コースケ氏が警察に踏み込まれるきっかけとなった漫画――即ちおれのアイデアを盗用して描いた作品だった。「この漫画を元々考えたのも夢野さんですよね? 先日の供述調書では一切触れられていませんが。まあ、それに関してはこちら側の落ち度というか、一般警察の捜査能力の限界なので仕方ありません」

 なぜそれを? 頭に浮かんだ疑問から、つい彼女の眼を見てしまった。脳解析を受けた覚えはないのに。警察には一言も言っていないのに。

」と、捜査官は抑揚を欠いた声で言った。「脳解析を受けた覚えはないのに。警察には一言も言っていないのに――という顔をしていますね」

 思考が停まった。今は何もすべきではない。おれの中のどこかで、誰かがそう警告していた。こうなったら何をしても無駄だ。足掻けば足掻くほど深みにはまっていくだけだ。

「ご安心ください。決して夢野さんの脳を覗いているわけではありませんので。それができたら、わざわざここには来ません」彼女はちっとも楽しくないといった調子で言った。「さて、夢野さん。本題に入ってよろしいでしょうか?」

 おれは頷いた。首に力が入らなかったから、ただ頭が揺れただけだった。

「初めは単なる公序良俗違反案件でした」と、黒髪の捜査官は話し始めた。「しかし、このジェット・コースケ氏の場合に関しては、一人の人物が犯した違反にしては、事由があまりに多岐にわたっていました」

「罪のバリエーションが豊かだった、ということですか?」

「はい」彼女は頷いた。「個人の想像力には限界がありますから、創作物には自ずと個人の〈癖〉のようなものが現れます。ですが、ジェット・コースケ氏の作品には統一性がありません。まるで複数の人間が同じ名義を使っているみたいに」

 昔は何人かが集まり、一つの名義で漫画を描くことも少なくなかったと聞く。だが、創作物のクオリティを保つことと非生産的な国民を少しでも減らそうという名目で制定された〈創作家免状制〉により、一名義は一人と決められた。もちろんこの裏にも、捜査をし易くしようという警察の目論見が多分にはたらいているのだろう。

「そして、その内の一つ――つまり、今回摘発対象となった作品ですが、これもジェット・コースケ氏の他作品の〈癖〉とは一致しませんでした。むしろ、夢野さんの作品との方が相関が大きかったのです」

「ちょっと待ってください」おれは彼女の言葉を遮った。「さっきから〈癖〉って言いますが、そんなもの明確に数値化できるものなんですか? ただの実感じゃないんですか?」

「我々が開発した創作物分析アルゴリズムに則った客観的な数値です。心理学、物語工学、神話学を中心に作品から物語を抽出し、細分化、その作者特有の物語的特徴を可視化します。たとえば夢野さんであれば、過去に手がけた作品を列挙するとこちらのような結果になります」

 そう言って彼女は別の紙を差し出してきた。そこにはおれの過去作のタイトルが並んでいた。普通ならウィキペディアでおれのページを見れば済む話だ。しかし、このリストは普通ではなかった。おれの名義が出ていない、企業の紹介パンフレットなどの仕事も含まれていた。

「どうでしょう、なかなかの精度かとは思いますが」

 彼女の言葉に、おれは頷くしかなかった。どうせ否定したところで、顔色を読まれるだけだ。物語を分解するなど、至極野暮な行いだとは思うが。

「我々は、ジェット・コースケ氏のこれまでの発表作全てに同様の分析を掛けました。その結果、全体の三分の二に当たる作品が、氏以外の他者の作品と高い相関関係にあると判明しました。それも、それぞれが全て別の作家のものに。そうして浮上した作家たちを取り調べると、誰もジェット・コースケ氏との接点はありませんでした。唯一、知り合いだと名乗ったのは夢野さん、あなただけなのです」

 本人の部屋にいたのだから言い逃れはできなかった。知り合いでなければ、完全に不法侵入だ。

「しかしそれも嘘だとわかった。というより、初めからわかっていましたが。何はともあれ、これらの状況からアイデアの出所となった人物は、少なくともジェット・コースケ氏に口頭で情報を伝えたわけではないことが明らかとなりました」

「自分の意思で伝えたのではないとすると……」

「漏れ出ている、もしくは意図的に盗まれた、ということになります」

 ただの空想だったものが、質量を帯びた現実となって現れた。その事実を、初めは上手く飲み込むことができなかった。だが、目の前に並べられた情報を、そして己の身で味わったことを鑑みれば、それが本当のことであるのだと受け入れざるを得なかった。

「まさか」言葉が口の中を上滑りした。「天下のSSSSサバクタニでそんなこと……」

「はい、本来ならあり得ません。しかし、どう考えてもそれが現実に起きている。だから我々は、こうして問題にしているのです」

「ハッキングを受けているのか、それともウイルス?」

「誰が、あるいはどのような理由かは、今のところわかっていません。そもそも要因が外部にあるのかさえも」

「サバクタニ自身の仕業だと言うんですか?」

「そうは言っていません」彼女は湯飲みを持ち上げた。だが、少し口を付けただけですぐに戻した。今度はレンズは曇っていなかった。「ですが、その可能性を捨てきれないのも事実です。だからこそ、NODEシステムを直接調べたいのですが、そんなことは到底させてもらえない」

「それはまあ、そうでしょう。個人の思想を守るのが彼らの使命なのだから」

 レンズの奥で、黒い瞳に光が過ぎた。

「全幅の信頼を置いているようですね、サバクタニに」

「自分の脳ミソを預けているわけですからね」そうなったのは自分の意思とは無関係だが、とは言わずにおいた。「信じないとやってられない。警察としてはやっぱり、彼らを悪者に仕立てたいのでしょうけど」

「正当性を確認するためにも真っ当な捜査を行いたいだけです」心なしか、彼女の語気が強くなった。初めて、感情の片鱗のようなものが見えた気がした。「隠すから不要な疑念が生まれるのです。本当に疚しいことがないのなら、素直に捜査を受け入れるべきなのです」

 それから彼女は何かに気付いたような顔をし、「すみません」と呟いた。人前で感情を露わにするのを恥だと思ったのかもしれない。

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