4−2

 おれは、視界の端で退屈そうに壁に寄り掛かっているセーラー服の少女へチラと目をやった。少女の方でもこちらを見た。

「なあに、お父さん?」

 もちろん、他人の目があるから声を出して答えるわけにはいかなかった。おれは正面へ目を戻した。可憐な少女から、人間よりもゴリラに近いような刑事へ。それから、小さく息を吸った。酸素が頭骨内にある通信機の動作にどれだけ有効かは知らないが、頭が冴えるような気がした。吸ったところで呼吸を止め、目の奥に力を込めた。脳の処理速度を、もう一段階上げた。

 物音が消え、目の前の視界が認識できなくなった。代わりにおれは、頭の中に設えた机に向かってネームを描いていた。

 ストーリー疑似記憶を創るのだ。自分を騙すほどの、完璧な物語ウソを。

 おれは、あの部屋の住人とは昔連載していた雑誌の新年会で知り合って以来の仲だった。彼がどうしても裸体を上手く描けないというので、いつも自分が使っている写真集を貸したのだ。写真集は古代ギリシアの裸体像を集めたものである。なかなか稀少な本なので、そろそろ返してもらいたいと思い彼の元を訪ねた。当人と連絡がつかず、直接訪ねたが不在だったので、悪いとは思ったが上がり込んだ――

 知り合った当初からの情景が、まるで見てきたもののように浮かんできた。会ったことはおろか、見たことすらないジェット・コースケ氏の顔かたちまで鮮明に。こうして作った疑似記憶はいつまでも脳内に置いておくわけにはいかないので、ファイル名の末尾にはアンダーバーでも付けておいた。残しておくと本物の記憶と混同しかねないし、〈作った〉という記憶と同時に存在すると真実味が衝突する危険もあった。取調べが終わったらすぐに消去しなければならないようなものだった。

 擬似記憶を以ておれは証言した。水が流れるようにスラスラ話さぬよう注意した。あくまで緊張感を保ちつつ、かといって嘘をこさえながら喋っていると思われぬ程度に話すのだ。擬似記憶に〈寄り掛かる〉といおうか、記憶を手繰りながら話していると印象づけるよう、所々でつっかえたりしながら言葉を紡いだ。

 ゴリラ顔の刑事は、太眉の奥から鋭い眼光を向けてきた。どんなに小さな嘘や綻びでも見つけてやろうという刑事らしい意気込みが、ムンムンと漂っていた。だが、擬似記憶のお陰でそうしたものにも物怖じせずに済んだ。相手がよく見るとゴリラよりオランウータンに近い顔立ちをしているといったことなどを冷静に観察する余裕がおれには生まれていた。ガタイはいいので間をとって〈ボノボ〉だな、とさえ思えたほどだ。しかしボノボにしては優しさが少ないか。

 こちらが話し終えると、ボノボ刑事は記録係の方を振り返った。若い刑事は首を振った。声紋判定に異常は見られなかったのだろう。

「なるほど、わかりました」ボノボ氏が顔をこちらに戻した。彼は不服さを隠さずに言った。「人違いとはいえ、失礼しました」

「いえ、そちらもお仕事でしょうから」本当ならば誤認逮捕を咎めることはできただろうが、深追いはせずにおいた。こちらも擬似記憶で証言している点ではお相子だった。

 取調べ室を出て、若い刑事の案内で警察署のロビーまで行った。別れ際、彼は周囲を気にしてから小さく「『辻斬りいぞう君』読んでました」と言った。昔、おれが少年誌に連載していた漫画だった。

「僕の情操教育の一環となったような作品です」

「それはどうも……」おれは居心地の悪さに駆られながら呻くように言った。「ご両親の教育の賜物だと思いますよ」

 最後に喰らった不意の一撃に深手を負って、おれは警察署を後にした。何はともあれ、取調べは終わった。

「でもさ、お父さん」道すがら、隣を歩く娘が言った。「もし、ジェット・コースケさんが捕まって、お父さんと知り合いじゃないって警察の人に知られたらどうするの?」

「その時は、まあ、また別の記憶を拵えるさ」

「嘘の上塗り?」

「まあ、そう言われればそうだけど」おれは頭を掻いた。「お父さん、そういうのには慣れっこだから」

 どれだけ〈真実〉を捏造しようと、おれの頭の容量が埋め尽くされることはない。本当は、こんな使い方をするためのものではないのだろうが(少なくとも手術を受けさせた両親の望みではないだろう)、道具の持ち主はおれなのだ。おれが正しいと思う形で使って悪いということもないだろう。それで今さら誰かが悲しむこともあるまい。そんな風に思っていた。

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